【まどすぱif】全員魔法学園に放り込んだと仮定して。

春井涼(中口徹)

【まどすぱif】全員魔法学園に放り込んだと仮定して。

 王立ギルキリア魔法学園。この学園の第三学年には、開校以来最高と名高い実力者が在籍していた。


 名を、冬雪ふゆゆき夏生なつき。在校生の身でありながら、一人前の魔法師のみに許される二つ名を持つ、規格外の生徒である。


 魔術科に在籍していながら、併設された精霊科のカリキュラムの内容まで網羅。さらには、学園を卒業しなければ在籍が許されない、呪術科の知識と技能まで先取りして習得。なぜこの学園にいるのか分からないとまで言われる、魔法の天才。


呪風のろいかぜ』。これが彼の二つ名である。


「おい、冬雪のやつ、この間の進級試験の実技でまた満点出したらしいな」


「『呪風』ってやつだろ? いいなあ、俺も早く二つ名欲しいよ」


「この間暴れて退学になった魔術科の生徒、風紀委員長ですら手を付けられなかったのに、冬雪があっさり鎮圧したって聞いたぞ」


「確か二人くらいいたんだよな。片方は実技の成績結構良かったらしいのに、もったいないことするんだな」


「噂だが、先生たちと魔法戦やって、片手間で完勝したらしいじゃん」


「馬鹿、さすがに嘘だろ」


 これほどの実力者であれば、成績は当然学年トップなのだろう──残念ながら、そうではなかった。冬雪の成績は良く言って中の上、首席の座など程遠い。知識と技能は備えつつ、それ以外の成績があまりにも壊滅的なのだ。


 よって、この日冬雪は、校長室に呼び出しを受けた。


「トパロウル校長、冬雪です」


 ドアを三度ノックして名乗る。こんな場面で二つ名は名乗らない。そもそも学園内で二つ名を名乗るのは、基本的には教師陣だけである。


「入れ」


 という声に応じて校長室に入り、欠伸を噛み殺す代わりにぐっと伸びをする。緊張感の欠片もない。


「冬雪、お前さん、なぜ呼び出されたか分かっているのか」


「いいえちっとも? 帰っていいですかね?」


 並の生徒ならば、ここで一度トパロウル手ずから、魔術で罰を受けるところだ。アルベルト・トパロウル校長に怒られると怖い。それは『断挟』という彼の二つ名が示す通りである。冬雪がそれと無縁でいられるのは、単に無駄だからに他ならない。


「お前さんには、特別に、これを言っておかねばならんと考えたのだ」


「うわあ面倒くさい」


「まだ何も言っとらん」


「その台詞が既に面倒くさい」


 嫌になって諦めたので、冬雪夏生は教師に怒られない。実は同級生にそんなことを言われているなどと、冬雪は自分では気付いていなかった。噂に気付いていないだけで、普通にそんなところだろうなと察してはいたが、生活態度を改める気配はない。


「いいか、お前さん、今年で何年生になる?」


「三年生ですねえ」


王立ギルキリア魔法学園ここは何年制だ」


「三年制ですねえ」


「そうだ、お前さんのような奴でも、進級さえしていれば最高学年になるときが来るのだ。今がそうだぞ」


「ほら面倒くさかった」


 真面目に聞いてすらいなかった。冬雪は現在、これで一応、校長直々に説教されているのだ。


「はあ、この学園は魔法の名門と名高いが、たまに間違って入学してくる奴がいるものだ。そういう奴は大抵二種類に分けられる。極度に駄目な奴か、極度に実力がありすぎる奴だ。両方持ち合わせる生徒は初めてだぞ」


「お褒めに預かりまして、大変光栄に存じます。今後もより高みを目指し精進いたします」


「誰も褒めとらん、心にもないことを言うな、こんなもので上を目指すな。なんでこんなところにいるんだ、お前さんは。真面目にやらんなら退学しても文句は言われんぞ。それだけの実力はとっくに付いているだろう」


「はあ、まあ、でもボクにだって理由があるから居座っているのでして」


「居座っている自覚はあったのか、意外だな」


「だからほら、一個でも落第したら留年なのに、ボクは一回も落第してないでしょ?」


「その能力を別のことに活かせ。本当に、なんでこんなところにいるんだ、お前さんは……」


 そうは言っても理由があるのだから仕方ない。


「まあいい、本題はここからだ」


「ええー、まだあるのかよ」


「お前さん、明日が何の日か知っているか」


「四月七日……ああ、世界保健機関が発足した日」


「知らん、なんだそれは」


 冬雪にも分からない。ただ頭に思い浮かんだものをそのまま口に出しただけだ。この世界、大国同士の条約は存在しても、複数国家間を跨ぐ国際機関は存在しないのである。


「そんなことより、明日は王立ギルキリア魔法学園の入学式の日だぞ」


「ああ、それでか。おおかた、『最高学年の生徒として、下級生の模範となるべく態度を改めろ』みたいなこと言うつもりだったんでしょう。知らんわそんなの、ボクはボクのやりたいように振る舞う。それだけだ」


 下手な物真似で、分かっているなら実行しろ、すらも封じて冬雪はきびすを返す。入学式があることなど分かっている。それが居座る理由に大きく関わることなのだから。


「多少はましな先輩になるかと思ったが、難しいか」


「……キャメロンよりはましでしょ」


 冬雪は校長室を出て、人通りのない廊下を歩く。第三学年以外は、今日は自宅学習の日なのだ。




 入学式は、在校生も出席が義務付けられている。初心を忘れず、向上心維持を目的として、だとか、新入生に歓迎の意を示すため、だとか、色々と理由付けはされているが、極端な話、実態はただの手伝い要員だ。


 そんな朝、ぼんやりとした顔で窓際の日当たりのよい特等席に着席し、うつらうつら船を漕いでいる冬雪の背中を、勢い良く叩く者がいた。


「よっ、おはよー。インキ臭い顔してどうしたよ」


 金髪サイドテールが特徴的な彼女は、シンシア・キャメロン。冬雪の同級生で、目下学年で最も仲の良い友人だ。


「……? なんだ、芝刈りのキャメロンか。あんたはどこのクラスになったんだっけ?」


「おいおい昨日喋っただろう、忘れたとは言わせねえぜ。喜びな、あーしは今年もおめーのクラスメイトだ」


「また芝刈りと同じクラスか、部活も同じな上に三年連続じゃねえか……」


「誰が芝刈りじゃおめー、あーしのあだ名は芝刈りやのうてシンディだ、シンディ。ほら復唱!」


「芝刈り、芝刈り。ってかインキ臭い顔ってなんだよ、別に版画機は使ってないぞ」


「あーしの二つ名、本当に『芝刈』で固まりそうで戦慄してる」


「そもそも卒業できるのか?」


「できらあ! ちゃんと入学してるんだからそれくらいのポテンシャルはあるわい!」


「本当かあ?」


「でなかったらどうやってあーしが入学して進級までしてきたと」


「裏金」


「キャメロン家にそんな金はない!」


「大声で言うことでもないだろ」


 シンシア・キャメロンは、綱渡りの上手い女である。試験では毎度落第寸前の点数を出して平然としており、確かに順調に進級自体はしているのだ。芝刈り、というあだ名が付いたのは、飛行魔術が下手すぎて、芝生の地面すれすれを飛行していたためだ。一周回ってもはや器用まである。


「そんなことより、夏生くん昨日、アルベルトのおっさんに呼ばれたらしいじゃん。何言われたの?」


 おっさんとは、校長のトパロウルを指した呼び方だ。ファースト・ネームを呼び捨てにしているが、これは別に、親戚というわけではない。


「大したことは言われてないな」


「そんなわけ」


「せいぜい、『真面目にやれ』と説教を受けたくらいだ。右から左に流したが」


「あー、入学式があるからか」


「今のところ、式典をぶち壊すようなことはしていないんだがな」


「今のところ」


「今後もその予定はない」


 むしろその逆である。


 入学式の開式まで三時間、そろそろ教室から連れ出される頃だろうか、と考え始めた冬雪を、教師が呼んだ。


「冬雪夏生、あとついでにシンシア・キャメロン、手伝いに来なさい」


「うへえ、あーしも?」


「まあ、無為に時間を浪費するよりはいいだろう。行くぞ芝刈り」


「そろそろ恥ずかしがってないでシンディって呼べよう。それにしても手伝いって、二つ名持ちの夏生くんこっちはともかくなんであーしまで」


「あんたも二つ名はあるだろう、『芝刈』」


「ねーわそんなもん、二つ名にしてもしょぼすぎるわ」


 げんなりとして着いてくるシンディを連れ、冬雪は教室を出る。先行する教師の後を追い、連れてこられたのは集会場、つまりは入学式の会場だった。




「これより、王立ギルキリア魔法学園入学式を開式します」


 午後になり、入学式が始まった集会場の隅の席で、冬雪は大きな欠伸をした。まだ開式の宣言が済んだばかりだというのに、もう飽きたのだ。


 そもそも冬雪は、このような式典の類が好きではない。嫌いだから壊してやろう、とまでは思わないものの、堅苦しい場に参加を強制されると、露骨に嫌そうな顔をする。


「ところで夏生くん」


「なんだ」


「君は、気になってる新入生はいるのかい?」


 隣のシンディが小声で話しかけてきたので、冬雪は少し考え込んだ。


 既に案内などで顔を合わせた新入生はいるし、新三年生は学園のシステム上、成績優秀者は入学試験に立ち会うことがある。冬雪は成績優秀者とは言い難くも、実力者ではあるので、例外的に立ち会ったのだ。その際に生徒会長や風紀委員長とも模擬戦闘をしたのだが、まあそれはさておき。


 その中で、期待できそうな入学志願者もちらほらと見かけた。また、立ち会ってはいないし案内もしていないが、入学者名簿の中に、見知った名前があることにも冬雪は気付いている。


 つまり結論は、


「ああ、いるよ。かなり優秀そうなのがな」


 冬雪が自慢げに言うと、シンディは目を丸くした。


「おうおう、随分買ってるじゃねえか。おめーのお気に入りか、ええ?」


「そんなところだ」


「まじかよどんな奴なんだ」


「実力で言えばボクと互角か、それ以上は見込める。それにボクよりはるかに真面目だから、成績優秀者の常連になれるんじゃないかな」


「うわあ、あーしとは真反対だあ」


 シンディは魔術科の不真面目な非実力者である。救えない。


「まあ、一つ問題があるんだけどな」


「問題っていうと?」


「あいつは、魔法が使えない」


「……は?」


 頓狂な声を出したため、シンディの下に教師が飛んできた。「あ、やばい」と慌てて姿勢を正すのも間に合わず、教師の手刀が脳天を打つ。


 呻くシンディが頭を抱えて蹲る中、入学式は順調に進行していく。現在は校長の挨拶が終わったところであった。


「入学者の言葉。総代、平井零火」


「はっ」


 司会の呼びかけに応じ、一人の少女が入学者の席で起立した。新品の制服に身を包んだ彼女は、新雪を思わせる銀白色の髪と、氷を連想させる水色の双眸を持つ、色白で小柄な人物だ。黒を基調とした制服とのコントラストの目立つ彼女が入学者の総代、平井ひらい零火れいか。そして、冬雪が先に挙げた人物でもある。


 立派になったものだ、と冬雪は頬を緩めた。零火とは、一年半前から面識がある。当初の彼女はそれは酷いものだったが、今はこうして、総代として大勢の前で壇上に上がるまでになったのだ。


「皆さん、初めまして。総代を努めさせていただきます、平井零火です。この度はこうして王立ギルキリア魔法学園に入学し、壇上で挨拶をさせていただくことに、深い喜びを──」


 表情に緊張は見えるが、落ち着いて話せている。何より、堂々とした態度で壇上に立つ姿が様になっている。成長する様子を傍で見ていた分より一層、それが冬雪には誇らしい。自慢の後輩だ。つい表情を緩めて零火の話を聴いていると、話の切れ目に会場全体を見渡した零火と、一瞬だが確実に目が合った。


 緊張が解けてわずかに微笑んだ零火が続きを話し始め、冬雪は穏やかな心地で、彼女の声に耳を傾ける。未だに呻くシンディがうるさいので、こっそりと防音幕を張って遮断した。


「──以上で、私の挨拶とささていただきます」


 話し終えた一礼して壇上を降りる零火と、再び一瞬だけ目が合った。


「よくやった」


 冬雪が口元だけでそう伝えると、零火は微笑で応える。シンディはまだ蹲ったままで、それを見ていない。もったいないことだ。




 入学式の後、新入生がいなくなった集会場を片付けて冬雪が外に出ると、ホームルームが終わって解散した新入生たちも、教室から出てきたところだった。帰宅する者、部活動の見学に向かう者、上級生と立ち話する者、様々だ。


 その中には、銀白色の髪の少女もいた。零火である。彼女はきょろきょろと周囲を見回してきたが、やがて冬雪を発見すると、彼の元に駆け寄ってきた。


「夏生先輩!」


「あら可愛い」


 隣に立っていたシンディが、その様子を見て顔を綻ばせた。随分と懐かれたものだ、と冬雪は他人事のように呟く。周りを歩いていた生徒たちから、「あれ今年の総代だよな?」などという声が聞こえてくるが、零火は気にした様子はない。


 冬雪の前に到着すると、零火はぺこりと一礼した。


「お久しぶりです、先輩」


「まさか本当に入ってくるとはな、しかも総代か」


 冬雪にぐりぐりと頭を撫でられ、零火は心地よさそうに満面の笑みを浮かべている。


「先輩に会いたくて、ちょっと頑張っちゃいました」


「何その可愛い理由。健気すぎて泣ける」


「なんであんたが泣くんだ、零火はボクの後輩だぞ」


 わしゃわしゃと頭を撫でていた手を滑らせ、抱き寄せるような姿勢でシンディを威嚇する冬雪。驚いた零火が彼の胸で目を瞬かせているが、彼がそれに構う素振りはない。


「ふっ、残念だったな、この学園に来たからには、今後はあーしの後輩でもあるよだよ」


「はん、同級生にならんように、せいぜい努力するんだな」


「安心しろよあんちゃん、零火ちゃんはあーしがしーっかり可愛がっておくからな」


「何も安心ではないが。むしろ心配しかないが」


「こーんな清楚な美少女の先輩を前にして、何が心配だと?」


「どーこに清楚な美少女の先輩がいるって?」


「ここだよここ、おめーのその色違いの目は節穴か」


「……お二人は、仲がいいんですね?」


 自分を挟んで息の合った会話いかくを始める冬雪とシンディに、思わずといった声音で零火が尋ねる。彼らは同時に答えた。


「どこがだ」「よく分かってるじゃん」


「……」


 もうそれが何より雄弁な答えなのだが、零火は何も言わないことにして話題を転じた。


「そういえば夏生先輩、部活はどこなんですか?」


「魔道具研究部」


「ああ、そういえば先輩、魔道具好きでしたね」


「この後は新入生は部活動見学だったか。これから部室を開けに行くが、君もついてくるかい?」


「はい!」


 シンディは驚いて冬雪を二度見した。


「……なんだ」


「あれ、新入生に見せていいものなの?」


「何か問題か?」


「問題しかなくない?」


「どこに」


「全てに。主に部長の趣味に、安全に」


 冬雪は、しばらく考えてから、そっとシンディから目線を逸らした。その仕草で急速に沸き上がってきた嫌な予感に、零火はそっと冬雪から離れる。


「……まあ、零火なら死なんだろう」


 嫌な予感が、増幅された。




 魔道具研究部。王立ギルキリア魔法学園の部活動のひとつ。活動内容は魔道具の製作と研究、及び改良。部室は魔術科棟の最上階にあり、これは生徒会室を挟んで風紀委員会室の反対側にある。


 そんな生徒会役員と風紀委員の行き交う廊下を、冬雪たちは歩いていた。生徒会の赤いバッジと風紀委員会の緑色の腕章を着けた生徒と幾度となくすれ違い、到着した部室の前で、冬雪は鍵を取り出して扉を開ける。


 その中を見て、零火はシンディが懸念した内容を一瞬で察した。


「うわ」


 その一言に、感想の全てが表れていた。


 その反応に苦笑して、シンディは冬雪に言った。


「な?」


「……」


「だから言っただろ、問題しかないって」


 結論、部室が倉庫の状態だった。否、それでは倉庫に失礼だ。あまりにも散らかりすぎて、足の踏み場がない。倉庫とごみ屋敷の中間体である。酷い惨状だ。


 冬雪が部室に入り、シンディが入ったため、顔を引き攣らせつつ零火もそれに続こうと部室に足を踏み入れると、机の上に置かれていた物体が煌めいた。


「あ、しまった」


 冬雪が振り返ったときにはもう遅い。物体から銀色の網が飛び出し、入り口に向かって飛んでいく。零火は掛からなかった。咄嗟に身をかがめたために回避できたのだが、対象を見失った網は廊下を歩いていた風紀委員と生徒会役員を拘束した。


「え、な、なに、これ?」


「おいいい加減にしろ魔道具研究部!」


「元はと言えば、生徒会と風紀委員会おまえたちが勝手に魔道具研究部うちの部室をガサ入れするからだろうが」


 網の中で困惑したり暴れたりする二名を解放し、冬雪はぴしゃりと部室の扉を閉めた。そして未だに状況を理解できていない零火に手を差し出して立ち上がらせると、回収した網を発射した装置に詰め直した。


「……なんですかこれ?」


「だから言っただろ、問題しかないって」


 結論から言えば、この装置は部室への侵入者を拘束する魔道具だった。部室の中に魔道具研究部関係者以外が入ると、先刻のように網が射出され、侵入者を拘束する。これは扉だけでなく窓の方を向いたものもあり、どこから侵入しても、網に狙われる仕掛けなのだ。


「まあ、零火は見事に回避したけどな」


「しかもその結果、見事に生徒会と風紀委員会が捕まるっていう」


「申し訳ないことしちゃいましたね……」


「いや、あいつらは気にしなくていい。生徒会と風紀委員会は、過去に三度、この部室に侵入を図った前科がある。むしろそのための防犯装置だからな」


「前科に防犯……夏生先輩、どこまで生徒会と風紀委員会を敵視してるんですか」


「むしろあいつらの方が、ボクたちを敵視しているんだ。こっちは人畜無害に魔道具で遊んでいるだけなのに」


「その魔道具が問題なんだよ!」


 部室のドアが勢いよく開けられ、現れた男子生徒が反論した。直後、彼の眼前に伸びる銀色の槍。発生源は冬雪の手で、何もなかったはずの彼の手の中から、銀色の物体が伸びているのだ。


「何をしに来た、セオドア・ヴェルニッケ風紀委員長」


 常人なら腰を抜かす対応だろうし、実際シンディもやられたら咄嗟に後ずさるだろうが、この闖入者も、冬雪ほどではないにせよ、魔術科の実技優秀者である。退くことはなく、この槍が戯れだと判断して軽く肩を竦めて見せるに留める。


「魔道具研究部の冬雪夏生部長に、クリスティーネ・クルーザ生徒会長の言伝をね。そうしたらなんだ、魔道具研究部が人畜無害なんていうひどい冗句が聞こえて来るじゃないか。さすがに黙ってはいられなかったんだよ」


「人畜無害だろう、実際」


「部室を爆破して生徒会室にだけ被害を出し、自分たちは完全に防御をして被害を押さえ込んだ魔道具研究部が、人畜無害? 笑い話としては不充分じゃないかい?」


「だから校則を度外視した部室の強制捜査と備品の押収は正当だと? ふん、笑わせる。酷い冗句を言ってるのはどっちだろうな」


「緊急避難だったんだ、生徒会の許可は出ていただろう。そしてあのとき、君たちが抵抗したせいで風紀委員こちらには怪我人が出た」


「生徒会規約に緊急避難の項はないし、規約に基づかない以上、生徒会の許可は無効なものだった。抵抗は正当防衛だ、正当防衛を人畜有害と見做すとは、風紀委員会も堕ちたものだな」


 次第にヒートアップして火花を散らす、冬雪とヴェルニッケ。両者の手元で大人げなくも魔法陣特有の煌めきがちらつき始めたとき、見かねた零火がそれに割り込んだ。


「ええっと、風紀委員会の委員長さんがわざわざ出向いて来たってことは、何か重要な要件だったりして……」


 その一言で両者は一旦矛を収め、本題に戻ることにした。




「あの、キャメロン先輩……」


「シンディって呼んで」


「あ、はい、シンディ先輩。その、魔道具研究部と風紀委員会って、仲悪いんですか?」


「良いか悪いかで言ったら、極悪だね」


「極悪……」


 責任者同士の話だから外に出ているように、と言われ廊下に出され、零火はシンディに、この剣呑な空気について質問した。風紀委員会や生徒会の生徒が往来する場所にぽつんと放置され、向けられる懐疑的な視線に耐えられなかったのだ。


 なお部室に入ろうとしたヴェルニッケが網にかかり、港で水揚げされた鮮魚よろしく暴れる一幕もあったが、それは零火は見なかったことにした。


「そう、極悪。といっても、悪いのは生徒会と風紀委員会なんだけどね。しかも全部幹部レベルのいがみ合いだし」


「一体何があったんですか?」


「うーん、まあ理由はいくつか挙げられるよ。まず一つはさっきも夏生くんが言ってた通り、生徒会が校則を無視して風紀委員会を魔道具研究部うちにけしかけて、危険物を所持している疑い(しかも証拠なし、ただの憶測)で強制捜査を行ったこと」


「それ、生徒会の信頼が失墜するんじゃ?」


「でも夏生くんも普段割と物騒なもの作ってるし、これに関しては一〇割生徒会と風紀委員会が悪いって話でもないんだよ。違法なものは勿論なかったんだけど、そのときに軽く魔法を使った戦闘になって、風紀委員会の子に怪我人が数人出たくらい。表向きは痛み分けってことになってる」


 実際、怪我人も重傷は負っていないのだ。冬雪も手加減したし、突入した風紀委員もそれなりの実力者だったので。そしていがみ合いの理由は、これだけではない。


「それから、幹部レベルで仲が悪いのはこっちも大きいんだけどね……」


「なんですか?」


「魔道具研究部部長の夏生くんは、魔術科三年生の実技成績がぶっちぎりのトップ」


「それは知ってます」


 冬雪が部長なのは知らなかったが。


「さっき乗り込んできた風紀委員会のヴェルニッケ委員長は、三年生の座学は二位、実技も二位で夏生くんを敵視してる」


「うわ、切磋琢磨じゃなくて敵視なんだ」


「みっともないでしょ? それで最後に、クリスティーネ・クルーザ生徒会長。あの人は三年生の実技三位、座学がトップ」


「……なんかそう聞くと、成績優秀者が集まってる感じなんですね」


「そう、成績順位の頂点の座を奪い合ってる三人なんだよ。生徒会長と風紀委員長は、成績の面でお互いをライバルと認めて競い合ってて、ヴェルニッケ委員長はそれが理由でクリス会長に従ってるんだけどさ。夏生くん、ヴェルニッケ委員長と張り合う気もなく、実技のトップに居座ってるんだよね」


「一方的に敵視してる理由ってそれですか……でも、生徒会長が夏生先輩を疑って風紀委員会をけしかけた理由って?」


「実技は軽々とトップの座を維持してるのに、座学のやる気を見せないから苛ついてるんじゃないか、っていうのが、校内のもっぱらの噂だね」


 そちらはまだ分からない話でもなかった。冬雪は非常に高度な実力を持っているし、その前提として、魔術科では特に知識が必要になるはずだ。それらを持っていながら座学の成績が中の上、これでは快く思わない者もいるだろう。真面目にやれば、座学一位を奪取し、完全な主席となるのも夢ではないはずなのだ。


「つまり夏生先輩が、ヴェルニッケ先輩の勝負に乗った上で叩きのめし、さらに座学で真面目に実力を発揮すれば、何も問題はないのでは?」


「気付いちゃったか、まあそういうことなんだよ」


 零火が呟くと同時に部室の扉が開き、苦々しい顔をしたヴェルニッケが出てきた。「あまり滅多なことを言うなよ、零火」と苦笑する冬雪の言葉を共にして。どうやらすべて聞かれていたようだ。




 零火が再度、おっかなびっくり魔道具研究部の部室に入ると、冬雪は何事もなかったかのように彼女を迎え入れた。


「改めて、よくギルキリア魔法学園ここに来たね、零火。しかも総代で入ってくるとは、大したものだ」


 今度は無事に入れたということは、網を発射する魔道具は機能を止めることができるようだ。それがヴェルニッケには網を投げつけたところを見ると、あれは冬雪の嫌がらせだったのかもしれない。


「さっきはわざわざ言わなかったが、ボクは魔道具研究部の部長だ。ちなみにキャメロンは副部長だよ、お飾りみたいなものだけどね」


「どーも、お飾りの副部長シンディ先輩だよ」


「入学おめでとう、零火。学園の先輩として、後輩の入学を歓迎しよう」


 冬雪に祝われ、零火は胸の内に温かいものが広がるのを感じた。


「ありがとうございます、夏生先輩」


 零火が魔法を使えないにもかかわらずこの学園を受験したのは、ひとえに冬雪がここに在籍しているからだった。そして冬雪がこの学園を退学せずに居座っているのも、零火の入学を待つためであったのだ。


「けど夏生くんに聞いてびっくりしたよ。零火ちゃん、魔法が使えないんだって?」


「ええ、はい。魔法使えませんね。なのでその分、筆記試験で成績を取れるように頑張りました」


「まあ、実際には実技でも上位の成績を取ったみたいだけどな」


「どうやって?」


 シンディが疑問を呈したが、それはいずれ分かることだ。


「さて、魔道具研究部は部員が少なくてね、生徒会の意向としてはさっさと廃部にして、一等地のこの部室を、別の実力ある部活に譲りたいそうだ。そこで零火、一つ訊きたいんだが」


 冬雪は一枚の書類を取り出すと、飛行魔術を使って零火の手元に運んだ。


「君、魔道具研究部に入らないかい? 今言った通り、魔道具研究部は廃部寸前だから、部員は一人でも多く欲しいんだ」


「でも私、魔法使えませんよ?」


「望むところだ。正直なところ、幽霊部員でも構わない、という気分でね、君が入ってくれると非常に助かる。そしてさらに贅沢を言うならば、新しく開発する魔道具の実験に協力してくれると、もっと助かる」


「夏生くんはどんな魔道具でも難なく使えるから、使い勝手を試しにくいんだってさ。一年生のときからずっとぼやいてるんだよ、毎回あーしが付き合わされるけど」


「あんたは何で魔術科にいるのか分からんほど、魔力の扱いが下手だからな。極端なサンプルとしてはちょうどいいんだ」


「廃棄」と書かれた箱に入った魔道具を一つ取り出し、冬雪が作動させる。風が発生する魔道具なのだが、これがシンディに手渡されると、途端に動作しなくなってしまう。確かに、冬雪一人にしか使えないようだ。


 難しく考えなくていい、と冬雪は零火に言う。


「この学園では、部活や委員会の掛け持ちは禁止ではない。委員会同士だと制止がかかるけどね、兼部してる奴はボクのクラスにも何人かいるし、今日魔道具研究部に来ていない一人も、別の部活と兼部して今日はそっちに行っているんだ。とりあえず今は魔道具研究部に入っておいて、他に気になる部活があったら、そっちと掛け持ちしても構わない」


「分かりました、魔道具研究部に入ります」


 冬雪とシンディが露骨に安堵した。


「そうか、それは良かった。とりあえず、目前の廃部は回避だな」


 廃部の基準は、各学年一人以上の部員が所属していることなのだ。零火が入部しなければ、本当に危ないところだったのである。




 王立ギルキリア魔法学園は、今年度で創立二〇〇周年を迎え、入学式の一月後には記念セレモニーが行われる。


 セレモニーには国王が招かれる上に、校長や生徒会役員の他、各委員会や部活動の幹部が一名以上参加が義務付けられており、これは通常、委員長や部長が参加することになる。ただし会場警備に配置される風紀委員会は例外で、委員長のセオドア・ヴェルニッケは、壇上の警備のため、会場に常駐することになっていた。


 当然、魔道具研究部にも、幹部の参加を求める通達が届いていた。入学式から二週間後のことである。部室で生徒会役員に渡されたその令状を、冬雪はぞんざいに机の上に投げ出した。


「断る」


 役員は聞き間違いかと思ったようだ。


「会場には国王陛下もいらっしゃいます。各部活の幹部のセレモニー参加は生徒会規約第四章第五条にもありますし、部長さんが参加されるのが習わしで……」


「聞こえなかったか、断るといったんだ。ボクはセレモニーなんぞに参加しない。あんなものは参加するだけ時間の無駄だ」


「そ、そう言われましても、部活動として認可されている以上は参加していただかないと……」


 冬雪のこの態度には、零火も窘めにかかった。


「夏生先輩、ここで意地になっても、規約にあるのではどうしようもありませんよ」


「零火、ボクは何も、魔道具研究部が参加しないと言っているわけじゃない。ボクが参加しないと言っているんだ。さっきそいつは何と言っていた?」


「各部活の幹部が参加するのは生徒会規約に、って……あっ」


「そう、義務があるのは幹部の一人だ。部長には限らない。現に風紀委員会は、委員長のヴェルニッケではなく、影の薄い副委員長が参加する。治安組織の対応に、ボクたちがならって何が悪い?」


 酷い詭弁だ、と零火は思ったが、指摘するのは諦めた。冬雪は妙な部分で大人げないことがある、と長い付き合いで理解している。こうなった以上、決定はてこでも動かない。


「夏生先輩が行かないとすると……」


「キャメロン」


「シンディって呼ばないと行かない」


「……シンディ、任せた」


「まあ、そうなりますよね」


「はいはい、あーしが行きますよ。これで問題はなくなったね」


 半ば投げやりにシンディが答えたことで、生徒会の役員は折れざるを得なかった。セレモニーに部長が参加するのは単なる慣習でしかなく、生徒会規約に明文化されていない以上、冬雪の参加を強制することはできないのだ。副部長と会計も、部活動の幹部という扱いである。規約上は、何も問題がない。


「それで、生徒会の役員がわざわざ出張ってきた理由は、ボクの説得だけか? なら帰れ、決定は今伝えたとおりだ」


「あ、いえ、実はもう一つ」


 役員は、抱えていた鞄から一通の黒い封筒を差し出した。口は丁寧に糊付けされており、上からサインをして封印するという厳重さ。一体何が入っているのか、と固唾を飲む零火の前で、冬雪はつまらなそうに封筒を照明にかざし、そのまま燃やして灰にしてしまった。


「──了解」


「え!?」


 今の数秒で一体何が分かったというのか。封筒を開きもせずに。零火が驚愕する目の前で、冬雪は灰をまとめて窓の外に吹き散らすと、頬杖をついて不敵に笑った。


「クリスに伝えろ、鳳は龍神の乱心を抑えり、とな」




 鳳は龍神の乱心を抑えり。


 それは北極大陸を守護する大精霊フェロンドが、南極地の支配者である大精霊ヴァロミオの暴走に駆け付け、熾烈な争いの末にヴァロミオを眠りにつかせ、世界の安寧を守った、という伝承を表す言葉である。鳳とは巨大な鳥の姿を持つフェロンドを表す呼び名で、龍神はヴァロミオの姿に基づいた呼び名だ。


 生徒会室で事の顛末を報告され、生徒会長クリスティーネ・クルーザは戦慄した。クリスという愛称の彼女は、白金色の髪とベルリンブルーの双眸を持つ美少女だが、今重要なのはそこではない。


 生徒会は、創立二〇〇周年記念セレモニーの準備のために忙殺されている。とくに腐心するのが会場の警備態勢で、これは風紀委員会を総動員したとしても、なお不安が残る部分だった。国王が参加するので近衛騎士団は動くだろうが、そればかりに甘えては、魔法学園の名が廃る。


 そこでクリスは、学園で信用のおける実力者にも協力を打診していたのだが、この報告はいやはやなんとも。


「どう思う、セオドア?」


 クリスは、生徒会室で警備体制を考案しているヴェルニッケに意見を求めた。


「彼のこと、あんたはどう評価しているの?」


「実力に文句の付け所はない。それは僕が身をもって保証できる。けれどあれだけの実力者でありながら、総合成績が中の上という結果が示している通り、少し真面目さが足りない。不安があるとしたらそこかな」


 冬雪夏生が真面目にやっていれば、彼は座学も実技も余裕で主席の座に収まる。これは学園の、特に三年生の間では有名な話であり、ヴェルニッケがどうにも素直に冬雪を尊敬できない理由でもある。やればできるのだからやればいいのだが、なぜ彼はやらないのか。それは彼が不真面目だからだ。


「クリス、今からでも遅くはない、考え直さないか。代わりの人材なら、射撃部の精鋭でも充分じゃないか」


「今からでは遅いね。もう現状は共有しているから、今からではただ、警備体制を第三者に流出させたことになる。彼は裏切りはしない。このあとは、裏切らせなければいい」


「信用できるのかな」


「今の時点で、彼以上に頼れる相手はいない。味方に引き込んでおいた方がいいでしょうね。私たちがこの間の入学試験のときに痛感した通り、敵に回すと勝ち目はないから」


 散々な評価をされた冬雪が、生徒会室の隣にある魔道具研究部の美質において、何の脈絡もなくくしゃみをしたという記録はない。


「まったく、あんなものわざわざ生徒会の人間使って持って来させるなよ」


 くしゃみの有無はともかく、冬雪はぼやいてはいた。


「ヴェルニッケめ、そんなにボクが嫌いか」


「本当に、先輩ってヴェルニッケ委員長と仲悪いですよね。委員長が先輩に反感を持ってる理由は分かりましたけど、先輩は何で、委員長のこと嫌ってるんですか」


 零火が淹れた紅茶を、冬雪は一口飲んで答えた。


「零火」


「はい」


「人間の心理としてね、好悪には返報性というものがあるんだよ」


 要するに、嫌われているからこっちも嫌い、という、ただそれだけのことなのだ。




 セレモニーにおいて、各部活は幹部の出席を求められる代わり、時間を限り、生徒会に申請を出せば、文化祭のような店を出すことが認められる。創立記念セレモニーは一〇年に一度、開催年に在籍する生徒にとっては、一大イベントに他ならない。


 魔道具研究部の部長である冬雪も、生徒会に申請を出した一人だった。


「製作した魔道具の販売? それ、危ないものじゃないでしょうね?」


 申請書を読んだクリスは、胡乱うろん気な視線を目の前の人物に送った。赤みがかった茶髪をボブカットにした少女だ。学年はクリスの一つ下で二年生、魔道具研究部と手芸部を兼部し、名をルナ・アルテミエフという。


「夏生さんが言うには、危なくはないそうです」


「どうだか。彼、変に危ないもの作る癖があるし」


「変に危ないもの……?」


「大雑把に言えば、天候操作魔術とか爆弾とか飛び道具とか」


「爆弾に飛び道具……いえ、今回は実用的な、小型の魔道具だと聞いていますけど」


「本当にそうならいいけど」


 冬雪をいまいち信頼できないでいるクリスが書類に目を通すのを見ながら、アルテミエフは思った。


(夏生先輩、今まで何をしたんでしょうか……)


 訂正、冬雪は後輩にも信頼されていなかった。実際に彼がやったことといえば、学園の敷地内にだけ局所的過ぎる豪雨と落雷を起こしたり、かと思えばグラウンドで竜巻を起こしてヴェルニッケを巻き上げたり(これは偶然発生した事故である)、自作の銃をイベントに持ち込んで射撃部に完勝したり。


 これらすべてを知るのは、冬雪と三年間クラスメイトであり、入学当初から魔道具研究部に所属しているシンディ一人くらいなものだが、彼女の知る冬雪の奇行は上記に留まらない。生徒会や風紀委員会もある程度はそれらの騒ぎを知っているので、クリスやヴェルニッケからの人格面での評価について、低空飛行する一助となっているのだ。


 部長の評価は部の評価、アルテミエフとしては今少し、冬雪には奇行を自重してもらいたいのだが、とはいえ彼から魔術魔法と魔道具の開発を奪ってしまうと、それはそれで魔法史の不利益にもなりかねない。天才と変人は紙一重、仮にも通り名持ちの魔術師なのだ。頭の痛い話だが、ある程度は仕方ない。


 仕方ない、で済ませるわけにいかないのが、生徒会長のクリスである。彼女は申請書類を読み終え、「出店可」の判子を押して承認者サインを記すと、それをアルテミエフに返しつつ釘を刺した。


「いい? くれぐれも、セレモニーでおかしな行動はさせないで。不必要に要人と接触させないで。もし指示を破ったことが確認されたら、魔道具研究部の存続権と部室を取り上げる」


 釘を刺されたことをアルテミエフに聞いた冬雪は、つまらなそうに金属の破片を眺めて呟いた。


「はったりだ」


「はったり、ですか」


「ああ、クリスもヴェルニッケも、口ではあんなことを言っているが、ボクの自由を本当に奪うような対応はできない。気にしなくていいよ。それよりすまなかったね、わざわざ隣の生徒会室にお使いをさせて」


「それはいいんですけど」


 隣で魔道具の参考書を読んでいる零火が、僅かに頬を膨らませて口を挟んだ。


「それくらいなら、私が行ったのに」


「まあまあ、それで言ったら、副部長のあーしが行く方が筋だったんだから」


「ふむ、これも没だな」


 冬雪は部室の窓を開けると、手で弄んでいた金属片を外に向かって投げ捨てた。堂々とぽい捨てされた金属片は、校舎からいくらか離れ、飛翔速度が落ち始めると、鮮烈な光を放って爆発し、霧散する。


 これを見たアルテミエフは静かに納得した。


「だから生徒会長は、夏生先輩を完全に信頼しないんですね。危ないから」


「こら」




「え? 夏生先輩、出店のときお店に立たないんですか?」


 生徒会に詳しい出店計画の提出を求められ、部室で会議を行っていたとき、驚いた零火は思わず訊き返した。


「でも、セレモニーで出店しようって言いだしたの、夏生先輩だって聞いたんですけど」


「そうだな」


「なのに、先輩はお店に出ないんですか? 本当に?」


「そうだな」


 冬雪は机に散らばった部品を集めて拳銃を組み上げると、椅子から立ち上がりながら装填の動作を行い、部室の隅に設置された的に向かって試射をした。破裂音が三回、的には穴が三つ。


「誤差が大きいな、もう少し直さないと使い物にならんか」


「いやいやいや、そもそも会議中に何してるのさ」


 シンディが真顔で指摘するほど、冬雪はどこまでも自由だった。初日は二人で延々と冗句の応酬をしていたはずなのに、長いこと見ていると、意外とシンディは常識人的側面も持ち合わせていた。並べて見比べると、どちらかといえばむしろ冬雪の方に、一般的な感性が足りていないことが分かる。


(まあ、それは前からそうだったんだけど)


 突然の発砲に目を白黒させて驚いているアルテミエフには一顧だにせず、冬雪は何事もなかったかのように銃を置いて着席した。


「簡単な話で、この出店は半分は、シャロン魔石商と取引を継続するためのものだからな。実はボク自身の存在は、そんなに大事じゃない」


「そしてなんでこれで当たり前のように話を戻せるかな」


「そんなに大事な目的があるなら、なおさら部長の夏生先輩がいないといけないんじゃ……」


「零火ちゃんも、大概順応が早いねえ」


 早いのではなく、以前から既に慣れているだけのことだ。


「まあでも、シャロンはルナの身内だしな。ルナが店番をしていてくれれば、というか在籍していてくれれば、取引に影響はないんだよ。ルナが卒業していなくなったら、責任者のパフォーマンスが重要になってくるだろうけどね」


「……もしかして、ルナ先輩が魔道具研究部に兼部しているのって」


「はい、実は半分はこのためなんです。残りは興味ですが」


 シャロンの偉い人が冬雪の研究を見たら取引を停止するのではないだろうか、と零火は懸念したが、だからこそ、冬雪は店番に立たない決断をしたのかもしれない。とはいえシャロン関係者のアルテミエフが、魔道具研究部の普段の活動を報告した場合、その予防策も無駄になると思うのだが。


「というか、夏生先輩、セレモニーに参加せず店番もしないで、一体どこで何をしているつもりなんですか」


「うん? まあそれは、ね」


 意味深長に人差し指を立てて微笑する冬雪に零火が見惚れる傍ら、アルテミエフが頬を膨らませて抗議した。


「いつも私たちには、大事なことは教えてくれないんですから」


 そんな怒るというより拗ねるといった風なアルテミエフを、シンディが後ろから抱き締めて笑う。


「夏生くんの秘密主義は、今に始まったことじゃないからね。それこそ学園に入学したときから、ずっとこんな感じだったよ」


「そうですね。……ところで私は、どうして抱き締められているのでしょうか」


「え? 拗ねた顔のルナちゃんが可愛かったから」


 ここにも負けず劣らず自由な先輩がいた、と零火は嘆息した。アルテミエフと二人、先輩に振り回される常識人同盟を組みたいところだ。




 王立ギルキリア魔法学園創立二〇〇年記念セレモニー当日になると、学園の中は招待客でごった返した。参加できるのは学園の生徒とその家族、卒業生、王国の各界有力者、貴族、王族。その数、およそ三〇〇〇人。


 生徒会と風紀委員会は、入場者整理と招待状の照会に奔走した。学園の生徒はせいぜい五〇〇人、そのうち生徒会役員は一五人で風紀委員は四〇人程度、警備に射撃部員を借りてきても、人手は圧倒的に足りていない。クリスとヴェルニッケは彼らの悲鳴をBGMにしながら、次々と舞い込んでくるトラブルの報告に対処しなくてはならなかった。


 シンディは既に、セレモニー会場に入って席を確保していた。アルテミエフを通じて知り合った手芸部の部長と雑談しながら隣の席に座り、開式を待つ。途中席を間違った来場者を案内する場面もあったが、初めてのことではないので苦労はほとんどない。


 一方で、魔道具研究部の出店も営業を始めていた。アルテミエフと零火は慣れないながらも接客に励み、冬雪が用意した魔道具を来場者に販売していく。中には貴族が買いに来て緊張する場面もあったが、なんとか無事に商品を渡すことに成功。ほっと一安心するのも束の間、今度は王族が覗きに来て、気の休まる暇がない。


 来場者の入場受付が終わり、生徒会役員や風紀委員会や射撃部員が学園内に散っていくと、冬雪も部活の出す店を回り始めた。当然と言えば当然ながら、奇行を繰り返す魔道具研究部の部長、という評判が知られ渡っているため、どこに行ったとて対応は、「触らぬ神に祟りなし」とばかりである。


 例外はアルテミエフが兼部する手芸部くらいなものだ。手芸部の部長はセレモニーの会場にいるので、店に行っても会わなかったが。


 文学編集部と芸術部が合同製作した冊子を読みながら校舎の屋上に登り、学園内全域を眺める。遮るものがない場所では風が鬱陶しい。魔術で風速を調整、遠見の魔法陣を使ってセレモニーの会場である集会場を観察する。


 今のところ、学園内は平和そのものだ。一〇年に一度しかないセレモニーは参加生徒全員が初経験であるため、トラブルは絶えないようだが。適当に風で音を拾ってやると、クリスやヴェルニッケの懊悩する声が聞こえてくる。いい気味だ、せいぜい苦労するがいい。


 零火たちも頑張っているな、と冬雪は音を拾って思った。政財界の大物が集まるため、店に来る客もそういった人物もいる。緊張が絶えないだろうに、今のところ、落ち着いて接客できているようだ。アルテミエフは特に、シャロンで意外と耐性が付いているのかもしれない。


 料理部の作った軽食を口に運んだとき、冬雪はふと、奇妙な気配を感じた。彼にとっては大した脅威になるほどのものではない、しかし不穏な空気を纏った、看過できない気配。


(風紀委員会が気付くか、射撃部で制圧できればいいけどな)


 軽食の残りを口に押し込み、水で流し込んで胃袋に収めると、冬雪は状況の注視に意識を傾ける。不穏な気配は人込みをすり抜け、風紀委員ともすれ違う。残念ながら、気付いた様子はない。ヴェルニッケに通報するか、と風の魔術を設定し始めたところで、冬雪は別の気配にも気が付いた。


(これはセレモニーの会場の方向だな。セレモニーはそろそろ始まった頃か?)


 会場の音声を盗聴してみると、生徒会の役員が司会を行い、セレモニーの開式を宣言したところだった。集会場は密室だ。何かあった際に対応が遅れれば、閉じ込められた来場者が逃げ遅れ、重大な被害が出る可能性がある。


(これが連携された同一目的の行動の場合、片方は恐らく陽動だな。本命は会場の方か。陽動は……おっと、向かう先は魔道具研究部の店か? だとしたらそいつの目的って? 陽動ならどこでもいいだろうが……)


 すぐに動けるよう姿勢を整えてはいるが、冬雪は自分がどちらに向かうべきか、計りかねていた。




 先に状況が動いたのは、魔道具研究部の出店だった。


 零火とアルテミエフが接客するこの店には王族貴族や政財界の大物も訪れていたため、特に零火が長時間の緊張状態を強いられ精神を摩耗させていた。それらが途切れ、平民の客が現れたとなれば、多少気が緩んだとしても責めるわけにはいかないだろう。


(胃に穴が開くかと思った……)


 安心した零火はそれはもう自然な表情で、平民の客を出迎えた。


「いらっしゃいませ」


 ところが平民の客に、そのような内心の状態を知る由はない。そもそも、零火の存在など一切気にかけている様子もなかった。


「『呪風』、いるんだろ、隠れていないでここに出て来い!」


『呪風』は冬雪の二つ名である。百歩譲って零火が接客する自分の存在を無視されたことを許容しても、冬雪が隠れて出てこないなどとはとんだ言いがかりだ。確かに冬雪は、セレモニーに出席もせず出店の接客もせず、どこかに行ってしまっているので、ある意味では逃げたと言えなくもないのだが。


(いや、でもいない人をどうしろと)


「えっと、これどうしましょう。風紀委員会の人を呼びましょうか……?」


 完全に自分たちを無視して店の奥に怒鳴る客の男。まあこれだけ目立つことをしているのだ、何もせずともいずれ風紀委員が飛んできそうなものだが、自分たちの店で迷惑客を放っておいても鬱陶しい。普通に営業の邪魔だ。そもそもこんな客とも言い難い男、一体どこから招待状を入手したのか。


「そうですね、風紀委員会を呼びましょう」


 零火は、店に設置されている小さなスイッチを押した。今回のセレモニーのようなイベントで使用され、風紀委員会の待機所に繋がる通報装置だ。迷惑客や危険人物が現れた際に、素早く拘束するために使われる。だがここは仮にも魔法学園だ、制圧能力を持つ生徒は、風紀委員会だけではない。


 風紀委員会の生徒が到着するまでの間、零火は一応状況に手を触れずに静観するつもりでいた。もはや客とも呼べない男は店のカウンターから身を乗り出し、冬雪の二つ名を叫び続ける。これだけ呼んで反応ひとつないのだから、普通に考えていないだろうと零火は思うのだが。


 しかし男の指先に魔法陣の光が灯った瞬間、零火は静観の方針を捨てた。


「いい加減にしてください」


 突如現れた氷塊が、男の胸元を正確に撃ち抜く。出血こそしていないものの、男の身体は一メートルほど後方に吹っ飛び、背中から地面に落ちて蹲る。


 アルテミエフは周囲の気温が低下したように感じたが、実際に気温は低下しているのだ。零火がやったのだ、というのはアルテミエフにも分かった。ところが彼女の持つ情報では、これはおかしいのだ。


 魔法が使えないはずの平井零火が、どうやって氷塊を出現させたのだろうか、と。


 そんなアルテミエフの疑問をよそに、吹っ飛んで墜落した男が咳込みながら身体を起こそうとして、四肢が物理的に凍りついた。氷を想起させる水色の双眸が、華奢な身体に見合わず威圧感を放ち、今は何よりも冷たく見える。


「そのまましばらく、大人しくしていてください。非常に迷惑です」


 風紀委員が到着し、完全に氷漬けられた迷惑客が回収されるまで、周囲の来場者は遠巻きにその光景を眺めていた。次に問題が起きるのは、それとほぼ同時刻のことである。




(店の方は零火が片付けたか)


 冬雪は校舎の屋上でその状況を観察しながら、特に意外には思っていなかった。手に余るようであれば出ようと考えていたが、迷惑客がよほどの実力者でもなければ、零火に敵う人間はそう滅多にいないだろう、くらいには、冬雪は零火の能力を信用していた。


(それよりも、問題はあっちだな。セレモニーの会場に向かうこいつ、先んじて制圧しておくべきか? いや、まだ別に不審者だと決まったわけでもないし)


 逡巡する間にも、不審な人物は集会場の裏口に接近する。


(まあ、何事もなければそれでいいか)


 冬雪は飛行魔術を使いつつ屋上から飛び降り、集会場の裏口に先回りした。聞こえてくる声からして、セレモニーは生徒会長の挨拶が行われているようだ。風紀委員長セオドア・ヴェルニッケも壇上にはいるはずなので、よほどのことでもなければ被害は出ないだろうが……。


「お、来たか。ということは、侵入者で間違いなさそうだな」


「なんだ、学園のがきか?」


 初めから随分喧嘩腰だなあ、と冬雪は苦笑した。


「ご名答、あんたの言う学園のがきさ。二つ名持ちのね」


 二つ名持ちの生徒が一人だけ学園に在籍し、魔道具研究部の部長の席にいる、というのは知る者は知っている話だ。有名というわけでもないが、隠された事実というわけでもない。侵入を試みるような人物であれば、知らないはずがない情報だ。


「風紀委員でもないお前が、なぜここにいる」


「例えばの話だ」


 冬雪は語った。


「この学園を一つの国家だと見做したとする。在校生が自治を行い、学園の全てを運営しているとしたら、政府の役割を背負うのは生徒会だ。その頂点に立つのは生徒会長、今はクリスティーネ・クルーザがその席にいる」


「何が言いたい?」


「まあ話は最後まで聴きたまえよ。生徒会が政府だとしたら、各委員会は行政機関というところだろう。美化委員会は環境省、保健委員会は内務省の衛生局、という具合にね。国家には当然、治安を維持する組織も必要になる。その役割は風紀委員会だな、警察や軍隊という位置付けか」


 生徒の選挙によって選ばれた生徒会役員が統制する、風紀委員会という治安組織。学園は小さな民主国家であり、文民シビリアン・統制コントロールの行き届いた仕組みといえる。


「でもさ、警察や軍隊って、表に見える戦力でしかないんだよ。これだけでは不充分だ。影はそれだけで存在できるが、光には影が付き従う。では治安維持における影とは何か。市民に溶け込んだ治安組織が必要じゃないか。そう、つまり防諜機関。では学園でそれを担うのは誰? 射撃部? いいや、ギルキリア魔法学園うちのあれは、あえて例えるなら民間軍事会社みたいなものだ。風紀委員会に表立って協力する以上、光と陰で言えば光の立場になる。では影とは何か──そろそろ答えは出たんじゃない?」


 蒼白になり始めた男に、冬雪は変わらず得意げに喋り続ける。


ノンNオフィシャルOカバーC、非公然的に存在する秘密情報員。どこにでもいるしどこにもいない彼等には、多分この学園も監視されているだろうね。ボクとしては、事務員の彼が怪しいと思っているんだけど、まあそれはいい。問題はこの学園でも、期間限定でNOCそれが組織されていること。手と目と耳がどこにでも届くボクは、その役割に配置する上で、非常に都合が良かったのさ」




 魔術魔法における魔法陣には、魔力の流れを決めるために、様々な図形が使用される。当然出鱈目に配置したところで意味のあるものにはならず、何の効果も持たない落書きにしかならない。そして魔法陣というものは、ほとんどの人間には、それが意味のある魔法陣なのか、どんな効果を持つ魔法陣なのか、見ただけでは理解するのは難しい。


 例外は冬雪やクリス、ヴェルニッケなど、一部の優秀な魔術師だ。


 クリスとヴェルニッケは、セレモニーを非公然的に警備するための人員として、冬雪を選んだ。彼にその任務を依頼する際には、情報の漏洩は確実に防がなければならない。そのため二人は、魔法陣を使った暗号で、冬雪に連絡する方法を考案した。


 初めに暗号による連絡を行ったのは、魔道具研究部に零火が加入した日だ。多少のトラブルがあってヴェルニッケが怒鳴り込むという、些か想定外の導入とはなったが、元々仲の悪かった彼等の間で起きたことでもあり、むしろ自然な印象を形成した。


 そこで手渡された魔法陣が、魔法理論的に無意味であると一瞬で見抜いた冬雪は、それが暗号であることにも一目で気が付いた。嫌味の応酬で余計な時間を浪費したが、ともかくこれで、暗号の使用と秘密警備の任務を冬雪に認識させたのだ。


 後日生徒会の役員が冬雪に渡した封筒にも同様の暗号が入っており、冬雪は会話を行いながら、封筒の上から暗号の内容を読み取った。彼はその場にある魔法力の配置を感じ取る能力がある。この暗号によって冬雪は、生徒会から風紀委員の当日の配置場所に関する情報を受け取った。


 どうやら今回選ばれたNOCには冬雪以外の人間もいるようだ、ということは、冬雪は気付いている。だがNOCはその存在を決して他者に口外せず、他の生徒はそんな者が存在することさえ知らない。冬雪にとっても、それらは自分の仕事を邪魔するかしないかでしか興味のないことだ。


 事実として、クリスたちも他のNOC数名に期待してはおらず、あくまで本命は、冬雪夏生という化け物一人であった。


「鳳は龍神の乱心を抑えり、か……」


 風紀委員の配置場所を知り、生徒会役員に放った一言を、その日の夜に冬雪は反芻していた。そして自嘲した。


「まったく、在校生でありながら既に二つ名を獲得したというそれだけで、とっくに目立っているというのにな」


 あとはせいぜい、上手く溶け込み、あるいは不審に思われないよう普段通りに行動しながら、学園内で秘かに警備をしていればいい。何事もなければそれで終わり、いつもの評判通り、自由で奇行ばかりの『呪風』という、学園の名物であればいい。


 しかし何事か生じれば、周囲に不信感を与えずに、事態を収束させる働きをしなければならない。その有事の際というのが、今である。


「一度だけ警告だ」


 目の前に立ち尽くす男に向け、先ほどまでの講釈と変わらない表情で、冬雪は指を立てる。


「ここで大人しく投降すれば、特に学園では痛めつけることはしないし、ボクとしてはその方が楽だから大助かりだ。そもそもこういう企みは、存在を察知された時点で九割負けと言って差し支えない。大人しく諦めれば、まあ目的にもよるだろうけど、王国法でも量刑は多少軽くなるだろう」


 とはいえここには王族や貴族も来ているのだ、投降しても反逆未遂罪、処刑の可能性は残っている。


「でもボクの降伏勧告に従わず突破を試みるなら、ボクも容赦はしない。運びによっては腕の一本くらいは覚悟してもらう。ヴェルニッケの驚いた顔が見れるならそれも一興だけど、面倒だからな。賢明な判断を望むよ」


「ふざけるな!」


 男が吼える。直前に防音幕を展開したため、周囲には聞こえない。


「ここまで来て、諦めるはずがないだろうが!」


「まあ、そうなるよね」


 警告はしたのだ、もう男にかける情けは潰えた。




 容赦をしないということは、戦い方を選ばないことと同義ではない。


 侵入者の男の方は事態を大きくしても目的を達成できればいいのだが、冬雪の目的は、混乱を起こさずに事態を静かに収束させることである。戦い方はまず、目立たず、目立たせないことを念頭に入れなくてはならなかった。


 その上で冬雪が選ぶのは銀魔力、最も基礎的な魔術魔法であり、学園生徒唯一の二つ名持ちである彼にとって、扱うことなど造作もない魔術。座学実技共に低空飛行のシンディでさえ、使うのに対して苦労はしないであろう普遍的な技能。おおよそ対人戦闘に向いているとも思えない、初心者の戦術。


 しかし銀魔力は、その習得難易度の低さに反し、非常に汎用性の高い魔術でもある。


 魔力を金属的性質を持つ物質として実体状態に保つ、ただそれだけの技術でありながら、冬雪は学園の多くの生徒(魔術科に留まらない)との模擬戦闘において、銀魔力のみで完勝している。例外はクリスやヴェルニッケくらいなもので、銀魔力はその単純な性質が故、非常に応用が利く魔術でもあるのだ。


 此度の戦闘では特に、風を使用した防音幕の魔術を維持し続ける必要がある。このため、銀魔力というもはや呼吸のような難易度で考える必要すらない魔術は、非常に都合が良かった。


 突進してくる男が握るナイフに、冬雪は銀魔力製の短剣を合わせ、刃を滑らせて受け流す。同時に銀魔力を変形、一歩踏み込んでナイフを一閃。男が引けばナイフは剣になり、槍になり、大鎌が逃げ道を塞ぎ、大斧が身体を断ちにかかり、大槌が潰しにかかり、籠手が顎を打ちに狙う。


 男の方も、回避してばかりではない。冬雪の武器にナイフを合わせて反撃の機会を窺い、冬雪の攻撃の合間には手刀や蹴りで応じる。もっとも、銀魔力で身体機能を強化する彼に、その程度の攻撃は児戯にも等しい。


 冬雪は、疑問を感じ始めていた。


(大それたことをしでかそうとする割には、弱すぎる)


 衝撃波で男を吹き飛ばし、姿勢を崩したところで上から打ち抜いて気絶させ、氷漬けにして拘束。この程度の敵が学園のセレモニーに侵入し、一体何をしようとしていたのか。結局目的を訊きそびれた男の氷に腰かけ、顎に指を添えて冬雪は考える。


 全く無警戒だった場所からぞっとする気配を感じ取ったのは、そんな瞬間だ。


(まさか──)


 飛び上がるように立ち上がり、氷に閉じ込められた男を睨む。


(こいつも陽動なのか?)


 王族や貴族の集まる場すらも陽動として扱っておいて、その目的は一体何か。しばらく考えた冬雪は、集会場内に集まる人の気配を探り──、


「しまった!」


 集会場で壇上にいるはずのヴェルニッケに侵入者を拘束した旨を伝え、冬雪は校舎の屋上に舞い戻る。階段で校舎に入り、裾の長い制服をはためかせながら廊下を疾走、気配を頼りに到着したのは、校長室の扉の前。




 校長室の扉を蹴り開け、拳銃を構えた冬雪が見たのは、校長室の金庫に手を掛けるトパロウルと、その首元に魔法陣を光らせる若い男の姿だった。


「動くな!」


 冬雪が男を威圧する。冬雪の前評判から彼の手に握られる物体の正体に気付いたトパロウルは、自然な動作で姿勢を低くし、机で射線を遮った。賢明な判断だ。とっさにそれができなかった男は、射線上に無防備に身体を晒している。


 男──否、青年、あるいは少年と呼べるほど若い彼は、校長室に単騎で突入してきたのが冬雪だと知ると、睨みつけて魔法陣を向けた。


「貴様、『呪風』……!」


 対して、冬雪の反応は冷やかというより淡白だった。


「どこかで会ったか?」


 あんまりといえばあんまりな言われよう、閉口する少年に代わり、彼の身分を紹介したのはトパロウルである。


「トム・ランフォード、前の冬に校内で暴動を起こし、お前さんに鎮圧されて退学処分になった、お前さんの元同級生だ」


「いちいち覚えてませんよそんなの、月に何回生徒の鎮圧手伝ってると思ってるんですか。風紀委員会もいちゃもんつけて部室荒らしたくせに、どの面下げて毎回ボクを戦力に数えてるんだか。……え、ってことは校長、退学処分になった元生徒に脅されて、金庫の前にいたってことです? 『断挟』なんて重々しい二つ名が泣きますよ」


「一言も二言も多い奴だ……」


 退学者と風紀委員会と校長を一遍に煽り、冬雪が拳銃を制服の中に仕舞う。彼の場合、即座に攻撃しないのであれば、近・中距離戦闘での拳銃など無用の長物でしかないのだ。他に拳銃が役立つ場面があるとすれば、「目に見える脅威」としての存在意義くらいだが、この時代、まだ銃の有用性はそこまで高くない。


 それよりも、魔法学園に──特に元魔術科生徒に──利く脅しは、銃ではなくこちらだろう。


「大人しく投降しなければ、これを起動する」


 冬雪の指先に浮かび上がるのは、一つの緻密な魔法陣だ。通常、魔術魔法は難易度が上がるほど魔法陣が細かくなり、書き込むのにも時間がかかる。そして魔法陣が実際に有効なものかどうか、瞬時に見抜ける者は多くない。そのためこれは賭けだ。はったりだと相手が判断すれば、真偽がどうあれ、魔法陣を起動しないわけにはいかなくなる。


 その賭けに、冬雪は勝った。トパロウルが魔法陣を読み、その効果をランフォードに伝えたのだ。


「お前さんの首だけを斬れる魔術が書き込まれているな」


「なに……?」


「凄むな、元生徒のお前さんに、俺が特別授業をしてやっているんだからな」


 つい先刻まで自分を脅していた相手に冗句を言えるとは、と冬雪は感心した。


「あれが起動すれば、お前さんのいる位置の、ちょうど首の部分にだけ切り込みが入る。そうなれば大量の血を巻き散らすことになるが、すぐに死ねるほど生易しいものでもない。数分程度は強烈に苦痛を感じ、死ぬのはそれからだろうな」


「ご名答。流石です、トパロウル校長」


 恐らくトパロウルが何を言っても使ったであろう台詞を、冬雪は言った。実際のところ、この魔法陣は何の意味も持っていない。クリスやヴェルニッケと連絡を取るための暗号ですらない。


 彼としては、適当に攻撃可能であることを相手に認識させることができれば、それでいいのだ。この空の魔法陣が見破られたところで、ランフォードが攻撃を仕掛けてくるまでの一瞬で、冬雪が彼を制圧することは、充分に可能なのである。


「それで、どうするんだ? この場で死ぬか、死なぬのか。一度ボクに鎮圧されたという事実を加味したうえで、賢明な判断を望みたいところだな」


 最後の一押しだ。これで投降しないのであれば、冬雪も覚悟を決めなければならない。なお集会場裏で捕まえた男は投降を促したうえで普通に歯向かってきたので、今回もそうなるのではないか、という予想はあった。ところが、


「分かった、降参だ。正直なところ、『呪風』とやり合うって考えただけで気が滅入る」


 あまりに失礼な理由に対し、「同感だ」とトパロウルまで同意したので、冬雪は閉口しながらランフォードを拘束することになった。




 鳳は龍神の乱心を抑えり、という言葉は、王国中に知られている有名な逸話に基づく成句だが、実はこれには続きがある。


 鳳は龍神の乱心を抑えり、民草神の夜泣きを知らず。雲の上の存在が雲の上でいがみ合っていたところで、下界の人間には、ただ夜中に雨が降ったとしか認識できない、という意味だ。


 何事もなかったかのように冬雪が出店巡りに戻ると、魔道具研究部の営業を終えた零火が彼を見つけて駆け寄ってきた。そして抗議した。


「夏生先輩、どこに行ってたんですか! 一回もこっちに来てくれないとまでは思いませんでしたよ」


「すまんすまん、あんなの・・・・が紛れ込んで来るなら、店にいればよかったな」


 膨れる零火の頬を指で突いて萎ませながら冬雪が謝ると、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「あんなのって、先輩なんで、うちに迷惑客が来たこと知ってるんです?」


「うん? まあそれは、魔道具研究部の店には多少気を配っていたからな。本気でまずいことになれば手を貸そうかとは思っていたんだ。でもあの程度の相手、雪女の君なら問題なく制圧できると信じていたからね」


「むう、調子いいんだから。行きましょう、そろそろシンディ先輩も戻ってきますよ」


 零火は顔を背けると、冬雪の腕に自分の腕を巻き付かせて歩き始めた。歩きづらくはないのだろうか、と疑問には思ったが、自由にさせておく。彼女が自分に向ける想いを、冬雪は知らないわけではないのだ。


 なぜこんなろくでなしに、とか、もう少しましな男に出会わなかったのだろうか、とか、思うところは色々ある。だがそれが彼女の想いを否定する理由にはならない。応えられずとも、多少希望に沿ってやることはできるのだ。


 そしてその際、その光景を金髪サイドテールの同級生に見られたら何が起きるのか、想定しておかねばならないことも、この日冬雪は学習した。集会場から出てきた彼女は、冬雪たちを見つけると、深刻な表情で彼を手招きしたのだ。セレモニーで何かあったのか、と話を聴きに行き、すぐに後悔した。


「おめーも隅に置けねーな」


 あまりにもどうでもいい内容に冬雪が即座に踵を返そうとすると、シンディは彼の肩を掴んで引き留めた。


「まあ待て待て、あーしと夏生くんの仲だ、王様からのとっておきの提案を聴かせてやろう」


「いらん。そもそもなぜあんたが王様から直々に何かの提案を受けることになるんだ」


「え? それはだって、会場でやらかそうとした風紀委員会の一人をあーしが即制圧したからだけど」


「本当に、なんであんたは魔術科にいるんだ……? 精霊科に入ればよかっただろう、実技主席も夢じゃないぞそれ」


「耳に胼胝ができるほど聞いた」


「ボクも舌に胼胝ができるほど言った」


「舌に胼胝ができたらそれは口内炎だろ」


「うるせえ、ボクも言いながらなんか変だとは思ったよ」


 無論、精霊術魔法に長けたシンディが、なぜ魔術科に入ったのか、その理由も冬雪は何度も聞いている。それはこうだ。


「もう知ってる話聞いたって、何も面白くないじゃん。それなら知らないこと勉強した方が楽しいに決まってるじゃん。たとえそれで、落第寸前を低空飛行してもね」


 そう言うと、冬雪は決まってこう返すのだ。


「それで本当に低空飛行をする奴があるか、芝刈りのキャメロン」


 とはいえ、シンディが風紀委員一名を制圧したという情報は大きな問題だ。制圧した行為が、ではなく、そのような状況が発生したという事実が、である。


 不審者がどうやって警備を突破したのかと思っていたが、内通者がいたようだ。これはヴェルニッケもただでは済むまい。風紀委員会と魔道具研究部の確執も、今後より悪化が懸念される。そのくせに恐らく今後、ヴェルニッケは冬雪だけでなく、零火にも不良生徒鎮圧の手伝いを求めてくるのだろう。


 どれだけ面の皮が厚いのか、とも思うが、今のうちに零火には、それを強制する校則が存在しないこと、すなわち断ったところで成績や素行評価に何ら影響はないこと、ただしヴェルニッケの心象だけは悪くなることを教えておくべきかもしれない。


「まったく、セレモニーが終わっても忙しいことだな」


「そんなことを言っている割に、夏生先輩、嫌そうな顔してませんよ」


「冗談じゃない、これが先を思いやらずにいられるものか。今すぐにでも投げだしたい気分だよ」


「それなら、投げだせないようにあーしが押さえておこうか。ほら、これで逃げられないね」


「離れろ、キャメロン」


「シンディって呼んでくれないと離れないよ」


「いいえ、離れてもらいますよシンディ先輩。それは私の役目です」


「零火、あまりこの女に触発されるな」


「いいんです。とにかく夏生先輩は、逃がしませんからね」


「……はあ、騒がしい一年になりそうだな、これからは」


 事後処理に奔走する生徒会や、近衛騎士団と連携して侵入者の処分を検討する風紀委員会を眺めながら、冬雪は深く息を吐く。しかし残念ながら、この溜息が今後を憂えているものでないことは、どうやら否定できそうにない。


 冬雪夏生の学園生活は、まだ一年続いていく。




本編→「魔道具屋になりたかったスパイの報告」

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【まどすぱif】全員魔法学園に放り込んだと仮定して。 春井涼(中口徹) @ryoharui

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