第6話 お出迎え

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 不規則な揺れが車内に響くたび、ひかるは今にも眠りに落ちそうな意識が起き上がる。くぁ、と欠伸をこぼしてぼんやりとした眠気まなこで見回すと、隣ではすました様子の凍月いてづきが手元のルービックキューブを動かしていて、さらに隣ではヘッドフォンを付けた奏音かのんはスマホに一心不乱に音を打ち込んでいる。


 退屈なのにまかせて、何気なく視線を真正面へと向ける。人の気配の少ない車内の、大きな窓からは緑が見えた。


 ひかるは馴染みのない木々や田畑の景色に自分が今、遠くに来たことを実感する。振り返って見れば、今の呑気さが幻だと疑うほど、実に長くトラブル続きの旅路だった。


 錬堂れんどうあずさの誘いで、魔術師の頂点に君臨する一人、『人形姫』の館で一週間の助手兼特訓をすることになった三人は、今日の早朝、いよいよ人形姫が隠遁生活を送る人形館へ向けて出発した。


 大都会の駅で迷子になって、新幹線にあわや乗遅れそうになったり、思ったよりも新幹線が早くて降りそびれそうになったり。語り尽くせないほどのトラブルに見舞われた。


 それが今、道中の慌ただしさが嘘のような穏やかな時間が流れている。


 くぁ、とひかるが何度目かわからない欠伸をこぼす。


「人形姫の館では秘密の茶会が開かれるんだって、知ってた?」

「有名な都市伝説だ。実際に確かめた魔術師はいない。……どうしたんだ? 急に」


 退屈を紛らわせようと、適当な話題を放り投げる。凍月も、ひかると同様に、長い時間を持て余していたのかしっかりとした言葉を返した。


「母さんが、人形姫の館について教えてくれたんだ」


 錬堂梓に提案されたその日に、ひかるは母に相談した。夕食のコロッケを揚げながら、母は「そう、良いじゃない。あかりさんなら安心ね」と何やら『人形姫』と親しいような返事をする。

 思わず根掘り葉掘り話を聞いていくと、兄である葉月は『人形姫』と親しい友人関係にあることがわかった。その上、光が飲んでいる最中の紅茶は、『人形姫』のオススメの一品だと知っては、光はただ口をぽかんと開くしか無かった。


「ただの噂じゃ無かったのか……。人形姫は館に引きこもって人形を通してしか他の魔術師の前に姿を現さないとされている。けど、梓さんや白銀の兄が顔馴染みってことは秘密の招待客がいるのは間違いないだろうな」


 そう言って凍月はルービックキューブをくるりと回転させた。一瞬視線を落として面の状態を確認してから、指で弾きながら瞬くうちに色が揃っていく。


「凍月……凄いなそれ」


 光は凍月がルービックキューブの面を揃えていく姿に目を丸くした。ただでさえ優等生でイケメンで通っているのに、これ以上の特技を増やすとは……そこまで考えてはたと思いつく。

 凍月がルービックキューブの特技を学校で披露したことは無かった。


「そうか? じゃあ、これは」


 凍月は肩掛けのバッグから金属の輪が複雑に絡んだ知恵の輪を取り出した。一見して攻略法の見えない金属の迷路に光の思考があらぬ方向にこんがらがる。


「……解けるのか?」

「当然」


 凍月はぐるりと知恵の輪を回すと、目にも止まらぬ速さで手を動かすと、金属の輪が二つに増えていた。


「どうだ」


 いつになく自慢気な様子の凍月に、光は思わず言った。


「凍月は、パズルを解くのが得意なんだな」

「……そうかもしれない」


 凍月は、己の魔術師としての未熟に小さくないコンプレックスを抱えている。凍月にとって、成長とは魔術師としてのものを指す。どれほど、普通の高校生として勉強が出来る、スポーツが得意、といったことを重ねたとしても凍月の虚ろは満たされない。


 光は魔術師に目覚めたことで、凍月や奏音と友人になれた。

 凍月にとっても同様で、光や奏音は裏も表も隠さないでいられる初めての友人。魔術の他に、自らの長所を見つけた光の言葉は確かに、凍月の心を揺さぶった。


「なになに? 私にも教えてよ」


 作曲の最中だった奏音も、隣に座る二人の盛り上がりに思わず手を止めた。


「知恵の輪、知ってるか?」

「ううん。深層にある娯楽ってホントに少ないんだよね」


 しげしげ、と奏音は金属の輪を見つめた。表情にはありありと「こんなもの作ってどうするんだ」という疑問が浮かんでいる。


「見てなって、ホントに凄いんだぜ」

「えぇ……」

 

 つまらなそうにしていた奏音も、目の前で、意味の無い複雑な輪が瞬くうちに解かれ、二つに分かれたことに目を輝かせた。「どうなってるの」思わず呟くのに凍月は知恵の輪を手渡した。凍月の瞳が挑戦的な色を乗せて奏音を見つめる。奏音の心のうちで、ちりちりと対抗心に火がついた。


 表層に来て以来、どこか浮世離れした姿しか見せない奏音だが、その実かなりの負けず嫌いである。凍月が知恵の輪を渡す、無言の勝負の誘いに奏音は嬉々として乗った。


「物凄く簡単だったりして。解けちゃったらごめんね」


 睨み合う奏音と凍月。二人の間に火花が散る。


「言ったな。よし、三分以内に出来なかったらお土産一個奢りで」

「俺はできないに賭けるよ」

「じゃ、出来たら二人は私に何か奢ってね」


 果たして、結果は――?


「まじか」

「おぉ……」


 手元にはメビウスの輪を二つ重ねたものを捻ったような金属が乗っている。奏音は、最近覚えたのだという「まじか」という非常に便利な言葉をこぼして、ガックリとうなだれた。


 三分頭を捻っても少しも解けない知恵の輪に、凍月の容赦の無さを感じ取って光は思わず「Oh……」と呟くしか無かった。隣では、自慢気な笑みを浮かべた凍月が足を組んでふんぞり返っている。


「酷くない? 私初心者なのにさ」

「勝負に初心者も手練も無いだろう。結果が全てだ」


 奏音は渋々知恵の輪を返却する。それを凍月はこれみよがしに解いて見せた。


「うっわー。嫌味なやつ」

「何とでも言うがいい」

「作曲は? 凍月、作曲できないでしょ」


 負けず嫌いが発動して、奏音も凍月に倣い『自分に有利なフィールド』へ勝負を持ち込もうとする。奇しくも、自分に有利な世界で戦うことが、完全に罠を張った中間層に誘い込んで袋叩きにする魔術師の戦い方と一致した。


「倚音と刺繍音、違い分かる?」

「そのくらいは音楽の授業で習ったことがある」

「シューベルトの『野ばら』は?」

「当然知っている」


 白熱した戦いの傍らで、音楽の授業を眠気と共に受けていた光が一人、ぽつんと取り残されていた。「俺は?」と言いたげな自分の顔を指さして固まっている。


 一方の奏音は、想像よりも基礎的な音楽知識を有していた凍月に、心の中で歯ぎしりする。そうして、何か、凍月は絶対できない自分の特技は無いかと思案する。


「あ……」


 幼い頃から、自分が必死に取り組んできたこと。誇らしさと悔しさの滲む記憶。

 舞台の上で受けた喝采、追いかける背中の偉大さに抱いたほの暗い感情が、実感を伴って奏音を突き抜けていく。


 ふっと抱いた恐怖を拭って、新しい生活の中で、共に並び立つ友人を得た奏音は、再び過去と向き合う。


Mendelssohnメンデルスゾーン Violinkonzertヴァイオリン協奏曲 e-Mollホ短調――私は弾いた」


 端的な一言。告げた曲の名。奏音の矜恃が滲んでいた。


「メンコン……弾けるのか」


 奏音の口にした単語の、意味を知る凍月は思わず呟いた。信じられない、と顔に書いてある。


 メンデルスゾーン作曲のヴァイオリン協奏曲コンチェルト――日本ではメンコンの愛称で親しまれる――は三大協奏曲コンチェルトの一つに数えられ、ヴァイオリン奏者なら一度は弾きたいと願う名曲である。

 が、その難易度は生半可では無く、加えてメンデルスゾーンの作曲家の技量の高さから『弾けてしまえば名演に聞こえる』ので『突出して上手く弾く難易度』はさらに跳ね上がる。


 光はメンコンについて一切の知識は無いが、奏音が薄々、並外れた演奏技術を持っていると察せられても、その様子をおくびにも見せなかった奏音が初めて経歴を誇ったことに、言葉を飲み込んだ。


 同時に、ある疑問が浮かぶ。


 ――深層で過ごしていた割に、表層のクラシックに詳しくないか?


「メンデルスゾーン、コンチェルト……」


 凍月が、その名を反芻する。歴史的瞬間を見届けるような、荘厳な雰囲気があった。


「見事だ。俺は弾けない」


 凍月は静かに瞼を下ろし、奏音の勝利を受け入れる。勝負に負けたというのに、言葉には清々しさがあった。


 勝負は決した。両者、手を取り合って固く握り、互いの長所を称え合う。一瞬、感動的な雰囲気に呑まれかけた光は二人に喝采を浴びせようとして……すぐに正気を取り戻した。


「どういう流れだ、これ」


 ああ、なんだったか。

 ――暇だったから、適当に凍月に話を振ったんだっけか


 記憶が定かなら、最初の話題は『人形姫』が兄と知り合いだった、という話のはず。いつの間にか随分遠くに来ているような。


「――お降りのお客様はご注意ください」


 パッと、慌てて視線をあげた先には目的地の文字。

 友人と会話していると時間が経つのは早いもので、いつの間にか目的地に着いていた。


 車内に目を向ければ、ただでさえ人の少ない車内から、そろそろと人が出て行っている。


 ――まずい、駅に着いてからどれほど経った?


「二人とも、やばい。駅ついた!」


 考えるよりも先に口が動いた。光は自分の荷物を抱えて、勢いよく立ち上がる。奏音と凍月も、さっきの感動的な雰囲気からはっと目を覚まして、急いで棚から荷物を下ろす。


 もうすぐ閉めますよー言いたげなチャイムが鳴る。軽快なメロディが響くなか、三人は慌てて荷物をまとめる。


「ま、まってーー」


 ピンコン、ピンコン。間もなくドアが閉じる。

 

 シートから扉の距離、およそ1メートル。三人は我先にと駆け出した。最後尾の奏音がホームに着地を決めた瞬間、背後でがしゃん、と大きな音を立てて扉が閉まる。


 ホーム上の駅員さんとばっちり目が合った。生暖かい視線が三人に向けられている。


「あ――、ありがとうございます」


 凍月は思わず頭を下げる。深々と奏音と光もお辞儀した。


 最後まで締まらない旅路であったが、ようやく新天地へと三人は足を踏み入れた。次の挑戦が待っている、という期待に胸を弾ませる。見知らぬ駅、知らない空気。そして――


「よーこそ!お客さんっ。――準備はオーケー?」


 蘇芳色の滑らかな髪をひとつの束に結い上げた女性の、にこやかな表情が改札の先で三人を出迎える。


 クマのぬいぐるみを抱えて、ワンピースに身を包んだ少女のような出で立ちだが、にんまりと吊り上がった口の端には強者の余裕があった。


 ――この人が、『人形姫』


 光は直感する。自分は今、とんでもない人に見つめられていると。


 アーデル・ブラウンや葉月と同じような、まるで世界は自分の為に存在するとでも言いたげな、絶対の自信が目の前の女性にもあった。


 ぐっと腹に力を込める。


「覚悟なら、出来ています」


 力強く光は答えた。

 光はとうに道を選んだ。「最果ての夜」の中心で静かに慟哭した人物に、再び出会う為に。死の夜を迷わず進むために、強くなると決めた。


 奏音は、凍月は?未だ迷子の二人は、進む道を見つけられるだろうか。奏音も、ゆっくりと頷いた。


「出来てます。何があろうと……」


「俺も……出来てます。乗り越えてみせます」


 少年少女の返事に、アカリはゆっくりと頷いた。


「うんうん、いい返事。私は『アカリ』。これから一週間、よろしくね」


 語尾を弾ませて笑った。その実、アカリは既に、三人に訪れる試練を知っている。


 新しい街、ここでも暗い夜は光たちを待ち受けている。

 ねぇ、とアカリは心の内で友に呼びかける。


 ――この子達、夜を越えられるかな?

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魔術師たちは「夜」を越える いかのおすし @Natane333

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