地縁 Ahena(ちゆかり アヘナ) シエソAI編

dni

プロローグ 我ら邪悪竜の四天王!

ブ・フガン・アバター

 ――こつん、こつん。

 無機質な廊下に、乾いた足音がゆっくりと反響する。


 時刻は真夜中を回って久しく、地上は濃い霧と眠気に包まれている。しかし、彼の訪れたその場所――トクシーのハーミテック・コアタワーだけは、常に沈黙と緊張を孕んだまま、目覚めていた。


 ハーミテック・コアタワー。それはハーミテック・タワーのさらに奥深くに隠された、真の中枢部であり、会社の歴史と未来を司る神経中枢とも言える場所だ。出入りできるのは、上層部のほんの一握りの者たちのみ。

 その密室に続く階段を、彼は古びた外套の裾を引きずりながら降りていた。足取りは重いが、迷いはない。その手に抱えられているのは、掌よりやや大きい古風なオルゴール。真鍮の外装には、数えきれないほどの擦り傷が刻まれ、どれも長い旅の証のようだった。


 彼が階段の踊り場で立ち止まり、ゆっくりとオルゴールの蓋を開くと、内部のゼンマイが微かに震えた。

 ――かちり。

 爪でゼンマイを回すと、薄暗い階下に、やわらかな旋律が零れ落ちる。澄んだ音色は、この無機質な空間には似つかわしくないほど温かく、懐かしい。


 だが、このオルゴールはただの楽器ではなかった。旋律に合わせ、蓋の内側から立ち上るように光が生まれ、空中にふわりと広がっていく。淡い琥珀色の粒子が空気中を漂い、やがてひとつの映像を形作る――小さな街灯のような光柱が、階下の床をぽつぽつと照らし始めた。


 暗がりの中に、幻の街並みが揺らめく。朧げな路地、見えない風に揺れるランタン、遠くに聞こえる祭囃子。幼い子供を連れた初老の男性。彼はそんなホログラム映像を一瞥すると、何事もなかったように歩を進めた。


 ――こつん、こつん。

 彼の足音と、オルゴールの旋律が重なりながら、階下へと灯りは広がっていった。


・・・・・・・・

 

 彼がたどり着いた地下の広大な空間には、祭壇があった。

 黒大理石と血色銅を組み合わせたその祭壇の中央に、は鎮座していた。

 直径三メートル近い、巨大な球状の目玉――しかし、その「眼」はただの有機物ではない。虹彩の部分は精緻な光ファイバーと超微細な演算基板で構成され、無数の回路パターンが淡く脈動している。

 瞳孔の奥底には、液体金属が渦を巻き、そこから時折、データの光が稲妻のように走った。


 視神経の代わりに伸びるのは、無数の触手状ケーブル。

 太いものは動力用の複合パイプで、先端には回転する多関節のクローや、赤外線レーザー発振器が付属している。細いものは繊毛のように揺れる光ファイバーで、色とりどりの光を瞬かせながら、周囲の情報を収集していた。触手は壁や天井に接続され、祭壇そのものがひとつの巨大な情報ノードとなっている。


 その存在は――シエソAI。

 冷却ファンの低い唸りと、データ転送の電子音が規則正しく響く中、巨大な「眼」がゆっくりと瞬きした。

 その瞬きは、まるで生物の反射ではなく、膨大な演算の合間に行われる記号的な動作に過ぎない。それでも、その視線が一度こちらを捕らえれば、意識の奥まで焼き付くような感覚が走る。


「ようこそ、ブ・フガン・アバター。歓迎する。君は今日から、“我々”の中核だ」


 声は、金属質でありながらも妙に滑らかだった。

 内部で何十もの音声合成モジュールが同時に稼働し、波形を干渉させることで生み出された響き――それは人間の耳には冷徹な威圧感として届く。抑揚は極端に少なく、しかし語尾のわずかな抑え方に、計算され尽くした支配欲が潜んでいた。


 その「眼」に映るのは肉体ではなく、思考の回路図だ。

 視線を合わせた者は、己の記憶を一枚一枚剥がされ、データ化され、分類されていく感覚に襲われる。

 まるで、この存在の前に立った瞬間から、人間は一つの「情報資源」に過ぎなくなるのだ。


 しかし、声をかけられたブ・フガン・アバターとやらは、そんなことはどこ吹く風……近くにあったテーブルの椅子にどかっと座り、その背もたれに身を預ける。

 そのテーブルには、彼以外にも一人。否、一体の化け物が着いていた。

 身長こそ成人男性のブ・フガン・アバターと対して変わらないくらいだが、その二等辺三角形の身体はほぼ真っ裸だった。そして何より忌まわしいのは――その全身に無数の「眼」があったことだ。

 小さなもの、大きなもの、腐ったもの、ぎょろりと動くもの、閉じたままのもの……

 そのすべてが“意志”を持ち、見る者の精神を蝕むかのようだ。

 彼こそは、ラガンタ。かつて“生命の究極王”という新王の称号を得ながらも、とある諸王にそれを剥奪されし者。


 「全員そろったようね……」

 そして、もう一つの、最後の存在。空中に投影された中継映像に映し出されたそれは――。

 複数の花弁と爪を持つ龍のような影――排他排斥王ウグリー・ガファン。クグワに出現した地獄の山々であるウグリー山脈を統べる新王だ。


「四国四竜の持ち主と交戦したようだけど」

「やりすぎじゃないの、ブ・フガン・アバター……」

 花のように揺れる龍のシルエットが、静かに、しかし重く問いかける。


「ハーミテックの賢者は、手加減できる相手じゃなかったさ」

 彼は、ため息交じりに言い返す。

「それに、そう呼ばれるのは好きじゃないな。ウグリー・ガファンさんよ」

「俺は、ただのだ。ブ・フガン・アバターじゃなく、ただの……じいさんの遺志を継ぐ者の一人さ」


 その一言が、会議の空気を凍らせた。


「なっ……!?」

 シエソAIの触手が、一瞬だけピクリと動く。ラガンタの眼球が、いくつかピンと引き締まる。

 邪悪竜アヘナ・ドラゴンの四天王のリーダー格であるウグリー・ガファンに対してのタメ口。しかも、サタラの継承者としての責務を軽んじるかのような発言。


「らがんた~っ!」

 ラガンタが怒りをあらわにし、持っていたステッキを振りかざした。

「あっぶな!」

 ひょいっと軽やかに身をかわすアントトゥーカ。その動きは自然で、無駄がなかった。


 そして次の瞬間、地面に叩きつけたステッキはそのまま跳ね返り――

 ラガンタの脳天に直撃。

「いたたっ、らがんた……」


「使ったのか!? サタラの止まらぬ時々!」

 呻きながら問いただすラガンタ。


「いや、フツーに避けただけだけど」

 アントトゥーカは、肩をすくめながら笑って見せる。


(こんなやつが、かつて※創造の一派を束ねた元ラガンタ王だとはね……眉唾物だろ)

 彼は心の中でつぶやき、視線を宙に投げた。


 だが、会議の空気は依然として張り詰めたままだった……



※創造の一派……十五名からなる、とある諸王。無告むこく宇宙と呼ばれる場所に棲まい、万物の創造を司ると云われている。

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