第四幕 利害の一致

「駄目っ!鈴村は…鈴村は…私と一緒に…!」

「あら、随分と気に入られたのね。アナタは確か…イシュル様?」

 飄々とした態度で由芽は応じる。だが、それがイシュルの神経を逆なでた。

 見下されていると、そういう具合に。

「鈴村はお前への呪いを募らせていた…!私は知ってる!そしてわかる!私と居る方が鈴村は幸せだって!!」

「あら、そうなの?鈴村」

 鈴村は由芽の方を向き、自身の思いの丈を顔で表現する。

 それは由芽の知るところ能面の一種、黒髭くろひげにそっくりの表情だった。

「ぷっ…!ふふぅっ…!ぶふふっ…!」

 必死に笑いを堪えようにも息が漏れる。眉を下げ、歯を食いしばるその顔は誰がどう見ても心の底から湧き出る嫌悪の情を如実に映し出していたから。

「おい!女!イシュルの事馬鹿にしてんのか!?いくらなんでも失礼じゃねぇのかよ!」

 ヴォリアが由芽に追及する。イシュルの反対側に座する彼女からは鈴村の表情は読み取れない。隣に座するイドガロとフール・マールからも角度的に難しい位置だ。

 由芽は咳払いを交えて呼吸を整える。右手を突き出して鈴村の変顔を辞めるように促した。

「由芽様…私は…」

「分かっているわ鈴村。従者を守るのが主人の務め。そうだものね」

 由芽の言葉に鈴村は顔を輝かせる。だが、同時に思った。この流れはサディストな主人が好むかつてのやり口ではないかと。

「鈴村、イシュル様と暮らしなさい。そうした方が互いの為だと思うわ」

「由芽様!?」

「大丈夫、鈴村。私が養ってあげるから!大丈夫…なんだよ…?」

 嬉々としてイシュルは鈴村の腕を抱き留める。一方で顔色を曇らせる鈴村。

 今、この時。この世界での最初の壁、そして最初の賭けが始まろうとしていた。

 大事な事は伝えなくてはならない。だが、全てを伝える訳にもいかない。

 由芽はこの世界に降り立って初めて、慎重に言葉を選んだ。

「イシュル様。私の従者を貸し出すにあたっていくつか注意していただきたい事があります」

「注意…?」

「少々、その鈴村。暴れ馬にございます。主人の言うことも聞かない、制御のできない存在とお考え下さい」

 何を言っているんだと鈴村の心中はハテナで一杯であった。どの口が言うのかと。

「次に、鈴村の命を奪う事。それだけは何があっても許しません。これは巨竜様、あなたにも認めていただきます。何かあれば鈴村の命を蘇生させるぐらいの事はしてみせると」

「む…我の名はモカでは…」

「今はいい…!はいとだけ言いなさい…!」

 巨竜に向かって耳打ちをする由芽。渋々と巨竜もそれに同意した。

「そうだな…イシュルとやら。その者はあくまでこの世界に来た客人だ。肉体を損傷させることは許されざることと肝に銘じておけ」

「わかり…ました」

「あ、最後に…鈴村、こちらへ」

「は…はい…あ、あの…一度、手を…」

「あ、うん…!そうだよね…!」

 イシュルは鈴村の手を放す。

 異世界へ連れてこられてから精神が擦り減るばかりの鈴村。今にも息絶え絶えな様子で由芽の方へ歩み寄った。

「由芽様…私は…」

「鈴村、あなたをここへ強制的に連れて来たこと。本当に申し訳ないと思ってるわ」

 鈴村は言葉を返さない。そこへ抱いた怒りも憎しみも確かな物だったから。

「ふふっ!鈴村、でもね私嬉しいの」

「…?何がです」

「アナタのように優秀な従者とこの世界に来れた事。心からね」 

 そう言うと由芽は鈴村の頬に口づけをした。彼女がまだ幼少の頃よくしていた感情表現。ある時を境にめっきりと無くなっていたその振る舞いがここへ来て顔を出していた。

「っ…!?由芽様!?」

「鈴村…よく聞いて…」

 鈴村の後方で呪いの念を募らせる裁定者イシュル。それを見て由芽は確信した。

 この存在は我ら二人を持ってして御しきれる存在であると。

 由芽は鈴村の耳元へ口を寄せ、鈴村にしか聞こえないような声量で呟く。

「酒は飲んでも吞まれるな。この言葉、この世界でも使えそうだと思わない?」

「は…?」

「ここが正念場よ鈴村。私は待ち続けるわ。アナタが来るまでずっと…ね」

 イシュルの放つおどろおどろしい魔力の奔流を眺め、由芽は機を見計らうように鈴村から離れる。

「それでは皆さま。我々の事、よろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げ、由芽は改めてその議場を後にした。扉を抜けた先は光。これから当分由芽が暮らすことになる住居へと移動した。巨竜が特別に由芽の為、用意した邸宅である。見た目は現実世界のそれと同じであった。

「いいのか…由芽。鈴村とやらを側に置かず」

 唸るように巨竜は尋ねる。

「あれで良いのですよモカ。信じることもまた強さです。全能であるがゆえに全てを一人で完結させてしまう。アナタが孤独なのはそれが理由なのではないですか?」

「ふむ…なるほど…ところでモカという名は?」

 巨竜は訝しげに由芽を見る。

「裁定者の皆さんの前で名乗りを上げた以上、あなたの名前にしてしまう方が都合がいいでしょう?」

「そうだな。では我の名はモカだ。そう捉えておこう」

 人の感覚では推し量れないほどの超常たる存在は、このやり取りをもってしてモカという名前と相成った。

「そういえばモカ。メモ、取ってみてはいかがですか?」

 由芽は自室の机の引き出しからピンクのメモ帳を取り出した。手のひら大の大きさのそれは、由芽が鈴村から貰ったプレゼントの一つであった。

「めも…?記録の媒体か?我には不要だ」

「あら、察しが良い。ですが私達はあくまで文化交流を主としています。学ぼうとする姿勢を見せつけるのも大事なのですよ。組織の上に立つ者にとってはね」

 偶像として人前に立つことが多かった由芽。偶像はいつ何時も表面でしか評価されない物だと知っていた。その中に抱く葛藤も、努力も、悔しさも正しく大衆に汲み取られることは無いとも。

「まずはモカ。アナタは親しみやすさを磨く所から始めましょう」

「何故そこまで他者の事を理解し寄り添う事が出来るのだ」

「契約の為です。まさか忘れたとは言わせませんよ?」

「貴殿をこの世界の存在にする為に協力する…だろう?無論、理解している」

 モカにとっては分からない。どうしてそこまで必死になってこの世界に留まろうとするのかも、由芽の内心も。

「私があなたの依頼を真剣に取り組まなければ、私の依頼が反故にされても文句の一つも言えないでしょう?誠意という物には得てして打算が根付いている物ですよ」

「せいい…か。分からんな…我には」

「だから学ぶのでしょう?」

「うむ…そうだな…」

 モカには計り知れぬ思惑が由芽にはあった。イシュルというあの女。あの女はどういう訳か、鈴村に靡いている。目の前で濃密なやり取りを目の当たりにしてあの女は正常でいられるだろうか。いや、居られる筈はない。

 あの女の節々に感じ取られた自己肯定感の低さと、異常な執着。それは由芽の目には脆さに映った。

 だからこそ、ありえない。現実に生き、現実に死ぬリアリストの鈴村が彼女にかどわかされることなどは。それこそ超常的な力を行使でもしない限りは。

「モカ。イシュル・メイア、彼女の事を教えてもらえるかしら?弱み…強み…生い立ち。分かる限り全て」

「それは構わないが…一体何の為だ…」

「ふふ…この世界を乗っ取る為!」

 ニッコリとモカに笑いかける由芽。その言葉が真実かどうかは分からないままモカは知っていることを全て話した。

 曰く、彼女は人々の悪しき意思を取り込み続けた結果。自分自身がその悪意や呪いに飲み込まれてしまっているようだった。

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花宮由芽は異世界人になる為に 夜永培足 @yamadaMk2

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