転生陰陽師、安倍晴明

tanahiro2010@猫

Prologue

「......ははっ。僕は、どうして今までこうしなかったんだろうね」


 喉の奥から漏れたのは、笑い声とも、嗚咽ともつかない奇妙な音だった。

 頭の奥でキーンと鳴る金属音のような感情が、ぐらりと揺れながら、僕の全身を支配する。


 目の前には、戦場だったはずの場所。

 いまや静寂と、焼け焦げた土の匂いしか残っていない。


 焦土の上で、僕はただ一人立っていた。


 もう、術具はいらない。式神も、呪符も、儀式も。

 僕の存在そのものが、に達している。


 ただ、腕を振るう。

 それだけで、空間がひび割れる。天が軋む。


 ——《神術天破ノ命てんはのみこと


 空気が反転し、世界が歪んだ。


 宣言とともに振り下ろされた腕は、まるで天地を分断する剣のようだった。

 その一振りの余波だけで、の身体が空中で爆ぜた。


 叫び声はない。

 彼らの肉体は、悲鳴すら間に合わない速度で蒸発し、魂が霧となって空に溶けていく。


 僕はその光景を、ただぼんやりと眺めていた。

 悲しみも怒りも、感情の大半は、もうとうに使い果たしていた。


「終わったんだ......全部......」


 その言葉は、自分の耳にすら届かないほどのかすれ声だった。


 ふと、視界の端に残っていたものがある。

 敵だった彼らが残した、焼け焦げた式符の山。

 意味を成さなくなった呪術の残骸。

 もはや、それらすべてが......哀れだった。


「......今の僕なら、神すら殺せる。なのに、どうして......」


 力を得るために積み上げた憎悪と犠牲。

 けれど、それで救える命は、どこにもなかった。


「......


 手に入れた力が、あまりにも遅すぎた。


 強くなれば、誰かを守れると信じていた。

 だけど、現実は——違った。


 瞳の奥が熱を帯びる。

 まさか、こんなにも力を持っていながら......泣いているなんて。


「彼は......僕をかばって死んだ」


 心が、あの瞬間に縛られている。

 彼の瞳。彼の笑み。

 全身血だらけになって、立っているのが奇跡みたいな姿で、それでも......笑っていた。


 「大丈夫だ、俺は死なねぇよ」

 そう言って——嘘をついて、死んだ。


 僕を守るために。



「......いくら善行を積もうが、何も返ってこない」


 人を助けても、救っても、理解されず、恐れられ、排除される。


「情けは人の為ならず? それなら......彼が死ぬことはなかったはずだろう?」


 あの日、僕らはただ生きていただけだった。

 誰かを傷つけたわけでも、邪悪な力を振るったわけでもない。


 ——ただ、「異能を持つ」という理由だけで。

 ——ただ、「目障りだ」と感じた者たちの都合だけで。


 それでも、誰も裁かれなかった。

 神も、正義も、沈黙を貫いた。


「なら......意味なんてない」


 神が何もしないなら、僕がやるしかない。


「今度は......番だ」


 絶対者としての正義も、秩序も、いらない。

 欲しいのは、ただひとつ。


 ——という世界の理、そのものの破壊。


「来世で会えるかわからない。けれど、せめて......彼の魂だけでも、導いてみせる」


 彼は僕の代わりに穢れ役を引き受けた。

 人を殺し、汚れを背負い、闇に堕ちた。

 ——すべては、僕を清浄のままでいさせるために。


 だからこそ、地獄に落とされた。

 その理不尽が許せない。


「妨害も......もうない。タケミカヅチ、スサノオノミコト......」


 最強の戦神たちを討ち倒した僕に、誰も手出しはできない。

 閻魔すらも、僕の荒れた神力に触れたくはないだろう。


「今の僕は——。それくらいは、わかってるだろうから」



「......彼の魂、見つけた」


 指先から淡く滲む神力が、死界の果てへと触れる。

 そこに囚われていた、彼の魂。

 今にも砕けそうに朽ちていたが、まだ......間に合う。


「大丈夫。僕が連れていく。君を、次の世界へ」


 指を重ね、術を編む。


 を繋ぎ、を越え、を書き換える。

 全ての因果を巻き戻すような、


 ——《神術天命ノ縁てんめいのえにし


 世界が、光に包まれる。


 彼の魂が、ゆっくりと再構築されていく。

 僕の神力が、彼を新たな命へと送り出していく。


「来世......また、会おう」


 ——願わくば、今度こそ。

 誰にも邪魔されない、静かな日々を。








 代償は、僕の——だった。




――————————



「......来たか」


 響き渡ったその声は、重く、深く、そしてこの世のものとは思えぬ重厚感に満ちていた。

 まるで時間そのものを押し潰すような存在感に、空間が軋む。


 僕は、ゆっくりと瞼を開ける。

 目に飛び込んできたのは、深い闇の中に浮かぶ、古の法廷のような空間だった。


 光源はない。なのに、全てが見える。

 音もない。けれど、気配だけで理解できる。

 この場所は、死と再生の狭間。

 すなわち――


「ああ......やっぱり、僕の体は持たなかったか」


 神をも禁ずる術、あの《天命ノ縁》を使った代償としては、想定内だ。

 崩壊しかけていた肉体に神性を注ぎ込み、魂すら焼き尽くす術式を完遂したのだから。


 失った感覚はない。ただ、そこに「終わり」があっただけだ。


「やけに落ち着いているな。お前は今、この――の前にいるというのに」


 低く、唸るような声が空間を震わせる。


 立っていたのは、一人の男だった。

 いや、「神」と呼ぶべき存在か。


 漆黒の衣をまとい、顔の輪郭さえ曖昧なその男は、冠を戴き、玉座にも似た黒曜の椅子に腰を下ろしている。

 巨大な体躯。無限の圧。

 まさしく。この世すべての“終わり”を束ねる存在だ。


 彼が――閻魔大王だった。


「まぁ、うん。君が閻魔大王だってことは、起きた瞬間に理解したよ」


「......随分と物怖じしないな」


「陰陽師だったからね。神域に触れるのは何度もあったし......何より、最後には神殺しまでやっちゃったから。慣れたっていうか、今さらって感じ」


 そう。僕は、神を殺した。


 それも一柱や二柱じゃない。

 スサノオノミコト。タケミカヅチ。さらには......天照すら超えた、はずだ。


 その力は今も僕の魂に刻まれている。

 肉体は失っても、術は使える。

 この神域さえも、突破できる――それくらいのは、残っている。


「ふん......問題児だな、まったく。神ならば、肉体にを宿すこともできただろうに」


「できたよ。けど......そんなの、意味がない」


 僕の声は静かだった。


「彼がいない世界に、僕はもう未練なんてない。独りで生きていけるほど、僕は強くない」


 だから、滅びを選んだ。

 あの術は、彼を救い、僕を終わらせるためのものだった。


「......そうか。だがな......」


 閻魔の目が鋭くなる。


「さっきから、膨大な数の魂が俺の元に届いている。お前が、殺したのか?」


「失礼だな。正当防衛だよ」


 誰もが僕を殺そうとした。

 神殺しの罪を問う者もいたし、僕の力を奪おうとする奴もいた。


 でも、僕はあくまで受けて立っただけだ。


「僕から手を出すなんて、彼との約束を破ることになる」


 そう。蘆屋堂満との約束。

 “人に手を出すな。何かあったら俺に言え”――彼がそう言ったから、僕はそれを守り通した。


「彼が死んだからって、その約束を破るほど、僕は彼を軽く見ていない」


「......なるほどな。まぁ、有象無象が死のうが、生まれようが、俺には関係ない」


「ひどいなぁ。神のセリフとは思えない」


「俺が作ったわけじゃない。世界を作ったのは、大国主だ」


 名前の出たその神は、僕と似た存在だ。

 人の身から神格へと至り、日本という国を築いた者。


「俺はただ、裁くだけの神だ。創造も救済も、俺の仕事じゃない」


「それはまたドライな。じゃあ全員、地獄行きかい?」


「ふん、それを決めるのは俺じゃない。俺が司っているのは、天国と地獄ではなくだからな」


「......それも初耳だったなそれは初耳だね」


「神の中でも、一部しか知らぬ話だ」


「それを僕に教えてしまっていいのかい?」


 軽口を叩いてみる。

 それが挑発になっていることも承知の上だった。


、僕は神を殺した。今は穏やかでも、理不尽があればまた神を討つ」


「......分かっている。だからこそ、だ」


 閻魔は立ち上がる。

 その一歩ごとに、空間が震える。


「お前にそれを伝えるのは、俺が示せるだ」


「......誠意?君たち神が、いつも“見ていた”くせに何もしなかったことの、懺悔かい?」


 僕の声が、わずかに揺れた。


「彼を守らなかった。何一つ救わなかった。そんな君たちが今さら、誠意なんて......」


「違う」


 閻魔の声が、深く響く。


「俺は、を、待っていたのだ」


「......僕のような?」


 人間から神へと至った者ならば、過去に何柱もいた。

 それが理由ではない。


 なら――


「まさか......を探していたのか?それは、さすがに無理があるっていうか――」


「——否。それも違う」


 静かに首を横に振る閻魔。


「俺が待っていたのは、力ではない。だ」







「思想って......えぇ?」


 言葉が素っ頓狂に漏れた。困惑以外の感情が浮かばない。

 だってそうだろう?

 神が長年探していたのは、神を殺してでも自らが神になろうとする不届き者だ。

 そんなの、笑うしかないじゃないか。


「......何をしようとしてるの? 神の世界で革命でも起こすつもりかい?」


「否。そうではない」


「違うのか......」


 肩透かしを食らったような気分だった。

 ふと、死ぬ直前のことを思い出す。――あれは一ヶ月ほど前。

 外国の思想家たちが政権を覆す大規模な革命を起こしたという報告が、陰陽寮に届いていた。

 あのとき妙に仕事の依頼が増えたのは、その混乱のせいもあったのだろう。


「でも、“思想”を求めるって......革命以外になくない? それに僕の思想なんて、君たちからすれば相当危険だと思うけど」


「......俺はその“危険”こそを求めていたのだ」


「危険を......?」


「そうだ。今の神々は――あまりにも弱い」


 淡々と放たれた言葉に、思わず瞬きをする。

 弱い? この世界を形作った存在たちが?


「えぇ......そんな理由で?」


 皮肉混じりに返してみるが、内心はざわついていた。

 なにせ、目の前の男は神界の最高権力者のひとり――閻魔大王だ。

 そんな存在が「神々は弱い」と言い切るなど、常識の範囲を逸脱している。

 まるで唯一神にでもなろうとしているかのような響きだ。


「そんなこと、ではない」


 低く、重い声が返ってくる。

 その声音は、ただの雑談を切り裂くように鋭かった。


「おそらく――これは神界の基準での話だが......十年後、異界の神々が攻めてくる」


「......っ?!」


 息が詰まった。

 理解よりも先に、背筋を冷たいものが這い上がってくる。

 異界――つまり、この世界の理とは異なる法則を持った神々。

 彼らが攻め込むというのか。


「十年......? そんな先の話を、なぜ今?」


「今だからだ」


 閻魔の眼光が、闇の中でぎらりと光る。


「この世界の神々では、到底対抗できぬ。あやつらは“絶対”の概念を食らい、己のものとする。天照でさえ一撃で滅ぼされるだろう」


 言葉が、胸に重く沈んでいく。

 十年後――あの空すら裂ける戦いが、この世界規模で繰り広げられる。


「......だから、僕の“危険な思想”が必要だと?」


「そうだ。お前の思想は、神界の枠を破壊し得る。今の弱き神々には持ち得ぬ発想だ」


 静寂。

 その間に、死界の空間が微かに軋んだような錯覚があった。

 もしかしたら――いや、間違いなく。

 ここでの会話は、僕の生死よりも重い意味を持っている。


「......それって、勧誘かい?」


「半分はな。残りの半分は――警告だ」


 警告。

 その響きが、やけに耳に残った。

 十年後。異界の神。絶対の概念を食らう存在。


 僕はそのとき、はっきりと理解してしまった。

 ――この世界は、すでに終わりへ向かって動き出している。

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