おじさ馬の生きざま
すちーぶんそん
短編
3.11。
途方もない無力感に襲われたあの日――。
競馬界においても多大な影響があった。
震災後、福島競馬場は全開催中止。
中山競馬場は、地震による被害と計画停電実施のため開催中止。
JRA・地方競馬ともに当時は大混乱だった。
だがそんな苦境にあっても、どこかから浴びせられる批難。
世間がこんな時に馬走らせて喜ぶなんて。
電力が足りなくて東京が大騒ぎしてるってのに、大の大人が遊んでるなんてまったく。
『不謹慎だ』
それは行き場のない悲しみが敵を探した末の、ため息のような言葉。常識やおもいやりによく似た服を着た、その実、心無い言葉だった。
ホントは敵なんて居なかった。これに人生を賭けて、家族を養う人々がいる。馬だって生きてる。闘ってる。
『頑張ろう東北』
すべてのホースマンがこの言葉を掲げ、汗を流し、一丸となって取り組んでいた。
帰ってこい日常。頼むもう何も奪わないでくれ。頑張れ、頑張れ。
ただただ必死だった2011。
――そして突如現れたのが、あの馬だった。
『三冠馬オルフェーブル』
美しい金色の
ついた二つ名は『黄金の暴君』。
クラシックを制覇し、勢いそのままに迎えたG1有馬記念。並みいる強豪古馬を押しのけて、3歳馬が優勝。
競馬ファンのみならず、世間の話題に上った一つの明るいニュースだった。
すごい馬が現れた。これで日本は世界と戦える。
――光だった。
同時期。
スプリンター戦線も充実の時を迎えていた。
最優秀短距離馬カレンチャン。そして高松宮記念を2年連続優勝したキンシャサノキセキ。
日本短距離競馬史上最高傑作とも言われるロードカナロアは当時3歳。本格化を翌年に控え、この頃は鞍上も岩田ではなかったが、その強さはすでに誰もが知っていた。
転じて世界競馬はと言えば、注目を集めていたのは2頭のスプリンターだった。
1頭目は、後に、短距離馬ながら国際レーティング世界1位を獲得し、生涯無敗のままターフを去ることになるオーストラリアの至宝。
『ブラックキャビア』
そしてもう1頭は、ドバイG1を制し、そこから破竹の5連勝。抜群のスタートと素晴らしい先行力、そして何より他を圧倒する凄まじいスピード。
シンガポールの怪物『ロケットマン』。
21戦21連体、3着以下無し。
そのロケットマンの陣営が突如発表した参戦表明。
『ロケットマン日本上陸』
満を持して最強馬が乗り込んでくる、という衝撃のニュースが日本中を駆け巡った。
勝つのは世界か、日本か。
本当に通用するのか? と、浮足立つ競馬ファン。
だが、迎え撃つ準備はできていた。
◇◇
さて、ロケットマンを誰が止める。
前日オッズを眺め、私は期待に胸を膨らませた。
5 ロケットマン 単勝1.6倍
8 ダッシャーゴーゴー 5.3
10 カレンチャン 11.0
1 ラッキーナイン 14.6
6 サンカルロ 18.1
14 エーシンヴァーゴウ 18.6
7 フィフスペトル 19.8
13 ビービーガルダン 29.1
16 グリーンバーディー 39.6
3 パドトロワ 42.4
4 エーシンリジル 73.3
以下、100倍台が5頭続く。
さぁ何を買うべきか。
圧倒的な支持を受けたのは、やはりロケットマン。だが、そこに日本馬の闘う余地が生まれる。相手が強いから、相手が早いから、相手に勢いがあるからこそ、闘う余地が生まれるのだ。
競馬とは不思議なスポーツだ。ほとんどの時間を考える事に費やし、出た結論は十人十色。休むに似たりの不思議スポーツ。
私は競馬から人生の様々を学んだ。
思えば出会いが衝撃だった。
初めて行ったのはとある地方競馬場。そこでは色々な音が聞こえてきた。
「行け! 差せ!!」「そのままそのまま!! 逃げろ!」「残れ!! 頼む!!」
現世を忘れてひと時の興奮。
「うあ~、買えてた~」「やっぱりか~」「知ってた」
八卦見使いや推定未来人も居た。
「ダメだ。あやがついた」「ペンが出やしねぇ。こういう時は
非数値確率論の権威もそこここにいた。
灰皿を囲んで講釈を垂れていた名伯楽が、太鼓判を押した穴馬。横聞きした秘密の鉄板馬券を、現場でしか得られない智慧の実とありがたがったあの時……。
よく曲がる『鉄板』がこの世には溢れていることを知った。
便所で奇声をあげてはならない。茂みに頭を突っ込んで暴れると他人様の迷惑になる。肩をぶつけたら謝らないと大変な事になる場合がある。
本当に他人様から、色々な事を見て教わった。
競馬ゲームの知識で頭でっかちになったベテランペーパードライバーにとっては、それら全てが得難い経験。
だが、一つ得れば失うモノもあるのが世の常。
それをようやく自覚した頃には、すっかり財布が軽くなっていた。
そして人ごみに疲れ、行き場を失い、導かれるように足を伸ばした別フロア。地方競馬専用階はさびれてずいぶん居心地がよかった。
向こうでは背骨の抜けたオランウータンが、隅のベンチでうなだれている。
購入締め切りの電子音にせっつかれ、自動発券機のタッチパネルを凄腕ハッカーのようにタップし修正する老婆もいる。
人影はまばら、静かな玄人ばかりがそこに居た。
いや、
「あと500円だけぇ!!」
なんか居た。
「お願い!!」
声変わり前の甲高い声、
「5-2ぃ!! 5-2から相手5頭だから!!」
振り返ると、母親の足にすがりついて駄々こねる少年。
「じゃあ3複でいいから!!」
オッズ票の映ったモニターを、握りしめた競馬新聞で指し、
「今度こそ絶対来るからぁ!!」
宇宙飛行士みたいな情熱を灯していた。
もうダメ、あんたの分はお終い。あとは見ときなさい。
現実はカライ。幸運の女神に後ろ髪は無いのだ。うひょひょ、これも何かのお導き。
黄色い服着た太っちょ少年の天啓に打たれ、俺が代わりに買った。買ってみた。最後の小銭で。
買ってから調べて気づく、糞馬券。
「ホウ・マイ・ゴゥ……」
少年は鬼のような穴党だった。
――もちろんお母さんの言う通り、少年の馬は来なかった。
◇◇
あれからしばらくの時が流れた。
馬券術は変わらず現場たたき上げ。だが激流が岩を削るように、小石もまた円熟した。
これまで様々な競馬予想論を聞いた。
現代競馬は屋根で買え。いや競馬場適性だ。前走成績だ。いいや枠で買え。……。
どれも惜しい。
いい意見だが、違う。
重賞に関してのみ、違う。
全く違うと言っていい。
それが私の結論だ。
では、何で買うべきなのか?
答えは『エンジン』だ。
その馬を見た瞬間に感じたエンジンだけを信じて買えば当たる。
前走の脚か? それとも追い切りか? パドックか? いったいいつ見ればエンジンが分かるんだ?
答えは『いつでもいい』だ。
調子は波がある。だが、エンジンに波は無い。
馬券師には夢がある。
貴方の夢は何ですか?
私の夢はビービーガルダンです――。
買い目が、
決まった。
◇◇
8番人気、ビービーガルダン。
この馬の持ち味は何といっても粘りだ。
勝ちきれないまでも、諦めず頑張る馬。好走と凡走を繰り返しながらも、とにかくしぶとい。そのしぶとさに惚れた。それを本競争においても必ずや発揮してくれるはず。なぜなら良いエンジンだから。
3連複は古豪ビービーガルダンから。鉄板のヒモだ――。
私の展開予想はこうだ。
鼻に立つのはヘッドライナー。
その後ろ、内にロケットマン。
2番人気のダッシャーゴーゴーが外から徹底マークする形。鞍上は爆力の剛腕風車、川田将雅。怖い怖い相手だが展開は不利だ。ロケットマンと競り合えばどうやったってペースは上がる。
本来スローに持ち込みたいロケットマンと、それをさせない日本馬の意地。
たぶんその先団あたりにビービーガルダンがいるはず。くらいついている、はず。
そしてひとつ離れてカレンちゃん。後ろに馬がぞろぞろ。
見えた。
中山競馬場の特徴と言えば、短い直線と急坂。
鼻に立つヘッドライナー躱し、ビービーガルダンが早めの仕掛けで先頭。
追い掛けるのは、内ロケットマンと外ダッシャーゴーゴー。
さらに外を回してカレンチャンが来る。
サマースプリントシリーズチャンピオンのエーシンヴァーゴウが来る。
後方から突っ込んできたサンカルロ。
残るは急坂。あとはどかどかっと急坂!
必ず紛れる。紛れてこそ勝機あり。
思い出すのは2009の本レース。あの時も前目につけての2着だった。2008も好位につけ、しぶとく走りぬいての3着。
ある。あるぞ、ビービー!!
2着はビービー!! あるいは3着!!!
頑張れビービーガルダン――!!
軸はビービー。相手はカレンチャンとダッシャー。抑えは仕方なしのロケットマンと、少し厚めにサンカルロ、遠慮気味にエーシンヴァーゴウで決まり。
以上、7点に絞った買い目の3連複。
ここでロケットマンを頭から買うようなヤツは、醤油ラーメンだけ食べてろ。
トッピングもせず、一生味噌バターラーメンを知らずに。
すし屋ではマグロの赤身だけを食べてろ。
サーモンの喜びを知らず、覗くなと鶴に言われたら、覗かずに生きてろ。
安全第一を掲げて、歩道の右側だけを通行しておけ。
俺が代わりに夢を見るから。
俺はこの山を登る。
ビービーガルダンと登る。
7歳
若い頃は怪我と上がりきらない体調に苦しんだ。
今年から鞍上は佐藤哲三に乗り替わり、いつものメンコも外してレースを一から見直す改革にも取り組んだ。
展開負けも腐らず、一歩、一歩。
苦しい、苦しい、苦しい時間を積み上げて。
何かを起こせるのはこの馬だ。
有力馬と実績が違う? 7歳はすっかりおじさんだぁ? そんなことは百も承知。
でも闘うんだ!!
G1勝ちがなんぼのもんじゃい!! 世界最強何するものぞ!!
積んでますからエンジンを!!
こんどこそ絶対来ますからぁッ!!!!
逃げろ!! ビービー!!
俺に奇跡を見せてくれ!!!!
※むちゃくちゃ書いてますが、G1取って無くても重賞レース勝つだけで控えめに言ってハイパーエリートです。
◇◇
レース当日。
鳴り響くファンファーレ。
期待と不安に逸る画面越し。
さぁ各馬ゲートに収まって。
大方の予想を裏切って、ビービーが逃げた。
良馬場の中山競馬場。場内のどよめきは、驚愕の調べ。
ビービーが逃げる。
伸びやかな脚で、ただ1頭。飛ぶようにビービーガルダンが駆け抜けた。
早い早いビービーが駆けていく。
満員の観衆はやんややんやの大声援。
気炎万丈。
後ろには誰も居ない。
乾坤一擲の単騎大駆け。
揺れる競馬場。
単騎過ぎてもう誰も居ない。
もっと言うと、背中にジョッキーも居ない。
「……」
乗って無かった。
「……」
もっともっと言うと、まだレースも始まってなかった。
「……」
放馬。
レース開始直前にゲートをぶち割り、ターフに飛び出す元気の子。それをあんぐりと見つめる他馬とジョッキー達。
「……なんでぇ?」
係員が止めに入るもそれらをかわして逃げ続け、最終的にはコースを3周走り切った後、ビービーガルダンは突然我に返り、少し恥ずかしそうに馬
大観衆はニコニコ。
もちろん
私は、実況の「あ」を忘れません。
放馬した瞬間、プロアナウンサーでさえとっさに出たのは「あ」ただ一言。
その場に居たロケットマンもまた、言っていた事でしょう。
「
ばかやろぅ……。
◇◇
その後レースはカレンチャンが勝って、ロケットマンが散りました。
一着馬は3番人気、その後に9番人気、7番人気と続くという、いつかの少年が歓喜しそうな決着でした。
夢の答えは『生前、左側通行していた鶴で出汁を採った、シンガポールの鶴ラーメン』。
……。
でも、もう良いのです。
私の購入馬券は全返還。つまりは引き分け。
そんなことも、どうでも良いのです。
ボクは競馬が好きです。
それだけでもう良いのです。
考えることが休むに似たりの競馬が大好きです。
だから、もう良いのです。
あなたの好きはなんですか?
私の好きはビービーガルダンです。
ビービーガルダンが、少し好きです。
了
おじさ馬の生きざま すちーぶんそん @stevenson2
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