ある雪の日のチキン屋で

鍵崎佐吉

Silent night

 今日は大陸西部は寒波に覆われるとかで日が暮れてからはずっと雪が降っている。都会の連中ははしゃいでいられるだろうがこんな田舎じゃそう呑気なことも言ってられない。激しく吹き付ける風と雪のせいで外の風景は白一色だし、暖房代だって馬鹿にならない。そういう意味では働いている間は暖房代も節約できるので、そこだけが唯一の救いだった。

 ここはウェンタッキーフライドチキンの672号店。でかい道路の側にあるから腹をすかせたドライバーはよくやって来るが、それ以外は何の取柄もない寂れた店だ。普段はバイトも何人かいるが今日は皆休んでいる。あいつらにとってはこんな日にチキン屋で働くなんて馬鹿のすることなんだろうが、こっちは生活がかかっているんだから死にかけでも出勤しないといけない。雪が降り始めてからは客は一人も来ていないが、それでも閉店時刻まではここにいないといけないし、そうしている限りは店長とチェスをしているだけでも給料は出る。

「チェックメイト」

 低くつぶやいた店長に俺は応える。

「降参だよ」

 これでもう何連敗したかわからないが、別に悔しさは感じない。俺にチェスのルールを教えてくれたのは店長で、この人はもう三十年以上チェスを趣味にしている。俺が勝つ可能性なんて宇宙が誕生する確率より低いが、それでも何が面白いのか店長は暇になるとすぐに俺を誘ってくる。きっと孤独な中年ってのは皆そういう風になっていくし、つまり俺もいつかはこうなるということだ。今のうちに善行を積んでおいた方がいい気がしたので、こうしてこの意味のないゲームに付き合っている。


 その時入店を告げるベルが俺と店長しかいない店内に鳴り響く。入口の方を見てみるとなんと白髭を生やした老人が立っているじゃないか。車の音は聞こえなかったし、まさかこの天候の中歩いてここに来たのだろうか。

「おい、営業してないのか」

 穏和そうな顔つきとは裏腹に老人の言葉はどこか高圧的だ。俺と店長は顔を見合わせ急いで準備に取り掛かる。

「ご注文はなんでしょうか?」

「チキンだ、チキンを食わせろ」

 その呼気からは微かにアルコール臭がする。こういう客はあまり刺激しない方がいい。俺はあくまで丁寧に老人に聞き返す。

「こちら、いくつか種類がありますが」

 そう言ってメニューを指さす。老人は鬱陶しそうにそこに目をやり、即答する。

「レッドホットチキンだ」

「かなり辛みの強い商品ですが——」

「うるせえ、早くしろ」

 厨房の奥で店長は肩をすくめながら調理に取りかかる。まったく変なやつがいたもんだ。俺は内心でため息をつきながら会計へと移る。

「こちら、5ドルちょうどになります」

「へえ、俺から金をとるのか。この俺から」

 そら来た、これだから酔っ払いは。俺は老人をなだめるようになるべく穏やかな声で語りかける。

「お金をお持ちでないのですか?」

「ないね。俺はずっとただ働きだよ。そういう契約なんでな。あくまでこれは奉仕活動であって営利目的であってはならないのさ」

「はあ」

「なのに今はどこに行っても金、金、金だ。この店も気に食わん。資本主義の犬どもが」

 どうもこれはまともに取り合わない方が良さそうだ。俺がポケットのスマートホンに手をのばしかけた時、老人もジャケットの内ポケットから何かを取り出す。

「チキンを食わせろ。さもないと撃つ」

 店長のチェックメイトの声が頭の中で再生される。俺はゆっくりと両手を上げることしかできなかった。


 俺と店長と老人、その三人だけが今この店にいる。さっきからずっと誰も一言も話そうとせず、ただチキンを揚げる音だけが響いている。テーブル席についた老人の右手には拳銃が握られ、窓の外で吹きすさぶ雪をじっと眺めている。いつのまにか店長が側に来て、トレイに乗ったレッドホットチキンを俺に差し出す。まさか持っていけ、とでも言いたいのか。俺が首を振って拒絶の意を示すと、店長は自分の財布を俺のポケットに無理やり押し込む。臨時収入としては申し分ないが、命の価値としては随分安く見られたものだ。それでも店長はその気になれば俺を首にすることができるし、そうなると結局困るのは俺だ。あの老人の言う通り俺も所詮は資本主義の犬でしかないのかもしれない。俺は諦めてトレイを受け取り、それを老人の元へと運ぶ。

「お待たせしました」

 振り返った老人は拳銃を机に置いてトレイを受け取る。チャンスか、と一瞬思ったがその考えを見透かしたように老人が言う。

「お前さん、銃なんぞ撃ったことはないだろう。怪我したくなければ大人しくしていることだ」

 その言葉にはどこか重みと貫禄が感じられる。さっきまでの酔っ払いとはまるで別人のようだ。俺は数歩下がった場所で老人の様子をうかがうことにする。

「こんな風に落ち着いて食事をしたのは随分久しぶりだ。何かに追われない時間というのはそれだけで貴重なのだとこの歳になってようやく気付いた」

 老人はゆっくりとチキンを手に取りその赤みを帯びた衣にかじりつく。ザクザクという咀嚼音が静寂に満ちた店内に響いている。

「ただ普通のことをしてみたかったんだ。クリスマスにチキンを食べる。誰が決めたのか知らんが皆やっていることだ。私だけそれができないなんて不平等じゃないか」

 言葉を繋ぎながら老人はチキンを食べ続ける。どこにでもあるなんてことないチェーン店のチキンを食べる、それがこの老人にとっては格別の贅沢らしい。ただその服装は整っているし、とても生活に困窮しているようには見えない。だいたい銃を買う金があるなら、チキンだけじゃなくピザとワインも買えただろうに。だが老人は落ち着きのある明晰な声で話し続ける。

「私はずっと皆を幸せにしているのだと思っていた。だが現実はどうだ? 子どもたちの望む幸せは玩具会社の販売戦略に組み込まれてしまった。もうだれも自力では自分の幸せを思い描けない。そしてそれに加担している私も資本主義の走狗に過ぎなかった」

 話のスケールが広がっていくのに比例して、俺はこの老人に対して違和感を覚え始める。この大雪の中を歩いて来たはずなのに、その服には少しも雪がついていなかった。老人はこのひと時を惜しむかのようにチキンの肉を丁寧に骨からはがしていく。

「本当はもう誰にも必要とされていないのかもしれない。ただ合理的で計算可能なものさえあれば世界は回っていく。私がいなくなったとしても誰も困りはしないだろう」

 その言葉に反論できる人間が果たしているのだろうか。自分の存在意義を確証してくれるロジックなんてどこにも転がっていない。世界は巨大で、傲慢で、自分が消えたとしても何も変わりはしない。この672号店が潰れたところで、バイトたちはまた新たな働き口を見つけるだろうし、ドライバーたちはチキンの代わりにハンバーガーを食べるだけだ。

「きっと何も変わらない。こんなこと続けたって無駄だ。私の代わりはいくらでもいる」

 老人は骨だけになったチキンをそっとトレイに戻す。銃を手に取り、その銃口を見つめている。

「美味かったよ。良い店だ。それともこれも資本主義の賜物かな」

 何か言わなければならないと思った。この老人の告げる冷酷な現実に、少しでも抗える言葉を。

「こちらをどうぞ」

 いつのまにか店長が側に来て、老人にオレンジジュースを差し出していた。老人はしばらく無言のままそれを見つめて、ゆっくりと首を振る。

「これ以上は受け取れんよ。もう充分だ」

 そして自分のこめかみに銃を押し当て、ためらうことなく引き金を引いた。


 パンッという乾いた音が響き、俺は思わず目をつぶる。数秒の静寂の後、聞こえてきたのは老人の低い笑い声だった。目を開ければ老人は傷一つない状態でそこにいた。

「騙されたかね? これはモデルガンだよ。こんなものが子どもの玩具になるなんて世も末だな」

 そうしておもむろに席を立ち、雪の降りしきる外へと歩いて行く。扉越しに振り返った老人は静かに告げる。

「深い意味はないさ。ただ誰かに話を聞いてもらいたかった。そのくらいのわがままなら許されるくらいには働いてきたと思うのだがね」

 ポケットの中に手をのばしかけて、俺は考えを改める。5ドルにしてはまあまあ良い暇つぶしになった。店長とのチェスで連敗記録を更新するよりはマシなクリスマスになっただろう。

「メリークリスマス」

 老人はくぐもった笑い声をあげて雪の中へと消える。そして鈴の音と獣の鳴き声が響き、何かが空へと駆けあがっていった。

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ある雪の日のチキン屋で 鍵崎佐吉 @gizagiza

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