第2話 溟海へ行った友
髪には不思議な力がある。
私──
髪はその人を映す鏡である。
その人の性格、価値観、趣味嗜好、感情、生活、周囲の環境、その全てが髪に、大なり小なり反映される。
そして私は高校入学時、完璧な髪の持ち主に出会った。
初めて彼女に会った時、腰上まで伸びたサラサラの黒髪が、私の目を強く引いた。
心地よい春風に靡くその髪は、川沿いに咲くソメイヨシノよりも鮮明に、春の訪れを告げるようだった。
入学してすぐ、私は葵衣と友達になった。
休み時間はいつも一緒だし、朝から放課後まで、時間があれば常に傍にいた。
部活のない休日は一緒にショッピングモールに行くし、海に遊びに行ったこともある。
葵衣は、はっちゃけるような性格ではなかったけど、一緒にいて居心地がよかった。
窮屈な価値観を持つ私にとって、葵衣は唯一の居場所だった。
私はとにかく他人に嫌われるのが嫌いだった。
何かきっかけがあったわけではない。
でも、小学校中学年になった頃から、そう強く思うようになっていた。
それは高校生になってからも、変わることはなかった。
みんなに好かれたい。
誰からも嫌われたくない。
嫌いな人からも、嫌われたくはなかった。
ずるい話だ。
自分が嫌うのは良くて、他人が自分を嫌うのは嫌だなんて。
いつしか、そんな自己中な考えを持つ自分すら嫌いになった。
高校ではクラスのみんなと仲良くしていた。
葵衣は自分から仲良くするようなタイプではなかったから、私から近寄らなければ話もしない。
だから私が周りの人と話す時間は十分にあった。
要領はいいのだ、私は。
しかし嫌われないように接するというのは、苦しいものだった。
自分を偽り、相手を深く知り、自分に落とし込む必要があるからだ。
自分を見失うことが多々あった。
眠れなくなることもあった。
無意識に手首に刃をかけていたこともあった。
その度に私は、硬く変質した自分の価値観に落胆した。
でも救いがあった。
葵衣との時間だ。
葵衣との時間は苦痛ではなかった。
葵衣は常に受け身だった。
私になんの期待もしなかった。
それが楽だったし、心地よかった。
気づけば私は、葵衣と「親友」と呼べるまでの仲になっていた。
11月11日は葵衣の誕生日だった。
私は、以前から葵衣が欲しそうにしていた、髪飾りをプレゼントした。
冬の深い海の色に似た、サックスブルーの髪飾りだ。
葵衣はすごく嬉しそうにしてくれた。
優しい笑顔で、目を細めて、髪をふわりと揺らして、ありがとうって。
私は堪らず抱きしめた。
狭かった私の世界が、一瞬にして開けたような気がした。
葵衣はその日以降、毎日のように髪をまとめて登校するようになった。
もちろん例の髪飾りで。
私はそれを見るだけで恍惚とした。
葵衣の綺麗な髪は、いっそう愛おしいものになった。
11月の末。
私は小学校の頃の友達と再会した。
価値観が変化する前の、透明で柔らかい私の頃の友達。
私はその日だけ、本当の自分を取り戻した気がした。
何も無い海岸で、二人で並んで砂に座った。
何も気にせずに、思ったことを言い合えた。
それだけで、日々のストレスが潮風に吹き流されるようだった。
海の波が、どこか遠くに連れ去ってくれるようだった。
次の日、私はクラスメイトに、思い切って素の自分を晒してみた。
初めは驚いていたが、思いの外みんなは普通の対応だった。
案外、こういうことは杞憂に終わるんだなと、内心ほっとした。
それからというもの、私はクラスメイトと積極的に関わるようになった。
そしていつしか、葵衣の髪に触れることはなくなった。
波の荒い日だった。
葵衣が風邪で学校を休んだ。
私は部員と顧問に無理を言って放課後の部活を休み、葵衣の家にお見舞いに行った。
葵衣は家にいなかった。
私は捜した。
葵衣がいる所といえば1ヶ所しかない。
まっさらな砂浜に唯一聳える、赤黒い岸壁。
波がうちつけ、白い泡が無数に生まれる場所。
そのてっぺん。
葵衣はそこにいた。
長い黒髪を風に靡かせ、海の遠く、彼方の暗い水平線を見ていた。
私から葵衣までの距離は遠かった。
道路を歩き、岸壁へ向かっている最中だったのだ。
しかしそれでも分かった。
葵衣だと。
そして、髪飾りをしていない、と。
葵衣は暗い海に消えた。
自らの命を、自らの手で絶った。
でも私は、その光景が受け入れられなかった。
次の日、葵衣は学校に来なかった。
放課後に家に行っても、帰っていないと。
当たり前だ。
次の日、私は葵衣の机の中に、何かを見つけた。
手を入れると、それはサックスブルーの髪飾りだった。
私はそれを家に持ち帰った。
次の日、学校に警察が来た。
情報提供を求める。
それだけ言って署に帰った。
私は何も言わず、水の跡が残った髪飾りを机にそっと戻した。
──お。……みお。
何かが聞こえる。
「頼城美音! いつまで寝てんの! もう練習始めるよ!」
「……え、あぁごめん」
いつの間にか寝ていたようだ。
それに、長い夢を見ていた。
入学から冬までの、儚く長い夢を。
時刻は12時。
夏休みという暑い時期に、エアコンの効いた音楽室。
おまけに昼食後。
寝てしまうのは当然といえる。
私は怒る部長を笑いながら躱し、素早い手つきで譜面をめくる。
担当の楽器はアルトサックス。
私の大好きな楽器だ。
30分ほど練習して、私はハッとした。
夏休み中、教室に置かれた、白百合の花を替えるのを忘れていた。
私は顧問に言って、一時的に練習を抜けた。
それと、花の交換以外にも、やりたいことがあったのだ。
もう一度触れて、思い出したい。
私は葵衣の机の中にある、サックスブルーの髪飾りを目指して、廊下を駆け出した。
サックスブルーの髪飾り 木林シルワ @kobayashi_silva
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