陽炎
一
ガタン。身体に衝撃がくる。バスの電光掲示板を見ると、もう次で目的の場所だった。
急いで降車ボタンを押す。
それにしても、思い返せば思い返すほど灯火との出会いは少女マンガのようで少し気恥しい。
元々誰に話すつもりもないが、やっぱりこのことは姫乃と灯火の秘密にしておこうと、再認識した。
バスを降り、走り去っていくバスを見送る。辺りを見回すしたが、久しぶりの割にこの付近はあまり変わっていなかった。
それがとても嬉しい。
情緒溢れる案内標識に沿って商店街の方へと歩いていく。
姫乃が想像していた通り、朝は涼しかったのに、今はもう立っているだけでも暑かった。
ここの商店街は、高校時代に灯火に連れられてよく遊びに来ていた。
八百屋や魚屋、精肉店といったオーソドックスな店だけでなく、時計屋や宝石店といった少々変わり種の店も並んでいる。
ここが地元ではない姫乃へ、灯火は我が物顔で案内してくれていたっけ。
ここのコロッケが美味いだとか、値切りの仕方だとか。それが姫乃にとっては珍しいものだったから、いつも探検をしているような気になってとても楽しかった。
今日が平日で、尚且つ日中だからか人通りが少ない。
灯火と来る時はどうしても放課後で、夕暮れ時の時間帯ばかりだったから新鮮だ。
「行く前にご飯食べよ」
どこからともなくいい匂いがしてきて、お腹が刺激された。スマホを取り出し時間を確認すると、10時に近い。
お昼には少々早すぎる気もするが、後で行って混んでいたり、食べるのが随分と遅くになってしまうよりは良いだろう。
そんなことを思いながら、目に止まったうどん屋へと歩を進めた。
「ごちそうさまでした」
うどんなんて久しく食べていなかったから、とても美味しかった。ふわふわとした気持ちのままレジへ行く。またここに来た時のお昼もここにしようか。
「お会計お願いします」
「はいはい。ちょっと待ってねぇ」
おばあさんの言葉により手持ち無沙汰になったので、なんとなくレジの周りを見る。
奥の飲料用冷蔵庫にラムネが入っていた。あれは売られているのだろうか。
「はい、待たせてごめんね。お会計」
身を乗り出して値札を確認しようとすると、おばあさんが出てきてしまった。
「あ、あの。あそこにあるラムネって売ってたりしますか」
「どれだい? あぁ、あれね。うん、売ってるよ。缶ジュースは一本80円。瓶とペットボトルは100円だね」
「なら、ラムネを二本お願いします」
「はいよ。旦那に包ませるから待ってておくれ。お〜い、お前さんや」
おばあさんが厨房に呼びかける。その間に財布から追加の小銭を取り出した。
「はい。ぴったりだね。それにしてもなんであんたみたいな別嬪さんがこんな辺鄙なとこに。珍しいね」
「友人に、会いに行くんです」
「おや、此処の近くにこんな若いのおったか……。あぁ! もしやあんた宝石店の由利川の坊の彼女かい?」
「そうです。あ、いや違います。彼女ではなくて、えっと友人です」
おばあさんの言葉に慌てて訂正する。あまりにも必死なので返って怪しく見えてしまうが、姫乃はそのことに気が付かない。
「どおりで見覚えがあると思ったよ」
「え、」
「三、四年くらい、いやもっと前か? 由利川の坊が金髪の別嬪さん彼女にしたって、商店街中の噂を掻っ攫ってった時があってねぇ」
「そ、うなんですか?」
「あぁ。儂ら商店街のアイドルといえば由利川の坊でね。そんな子にもついに彼女が! って。しかもテレビで見るような別嬪さんときた。そりゃ噂にもなるわい」
からからと笑うおばあさんに力が抜ける。よく視線は感じていたが、まさか噂になっていたとは思ってもいなかった。
改めて、灯火のコミュニケーション能力の高さを思い知った。
「じゃあそのネックレスも由利川の坊からの贈り物か」
「そうです」
「やっぱり。由利川宝石店の刻印があったからもしやと思ったけど。お嬢さんに似合ってるよ」
「ありがとうございます」
姫乃は石を握り締めながら、眉を下げて笑う。まさかこれにまで気付いてもらえるとは思わなかった。
「ばあさん、その子が困っちょるが。やめたらんかい」
「あ、大丈夫です。その、嬉しかったんで」
ビニール袋を持ったおじいさんが、奥から出てきた。
「あら、あんた。遅かったね。この子、由利川の坊の彼女だって」
「あの、彼女ではなくて」
楽しそうに話すおばあさんにどうしても押されてしまう。訂正しようとしても無駄足だ。
「このラムネはね、由利川の坊のために置き始めたんだよ。一年中置いとるのはちいとばかし大変だけどね、すごく嬉しそうだったから」
おばあさんが笑う。確かに、灯火は年がら年中ラムネを持ってきていた。
「由利川の? そりゃあ久方ぶりに聞いたな。ちゅうことは、やっぱり嬢ちゃんはあっこ行くんか?」
「えっと、はい」
ビニール袋を受け取りながら答える。ラムネ瓶がぶつかり合う音が聞こえた。
「あら、そうなのかい? 結構遠いじゃないか。歩いていくのかい?」
「そうですね、歩きです。ここは久しぶりなので色々見てみたくて」
「こんなに暑いのに帽子も無くて、日射病になっちまったら大変だよ。あんた、麦わらって何処にあったか」
「此処じゃ此処。ほい」
麦わら帽子を手渡され、困惑してしまう。こんなに優しくされるとは思っていなかった。
「そんな、悪いですよ」
「そう言わないの。危ないからねぇ」
「孫のために買ったやつさかい、まだ使っちょらん新しいやつじゃ。安心して使いな」
「……ありがとうございます。今度お礼しに来ますね」
一歩も引きそうにない二人に姫乃は断れなかった。二対一では勝てそうもなかったのだから仕方がない。
姫乃がお礼を言って受け取ると、二人とも眩しいほどの笑顔になった。
何度もお礼を言い、外に出る。麦わら帽子越しに、太陽が容赦なく照りつけてきた。
「はあ、ほんと、綺麗すぎて嫌ね」
暑さもあいまってか、青く、どこまでも抜けるような空に吸い込まれそうになる。ぽつりと零した嘆声は、空へと落ちていった。
この世のものとは思えぬほど色鮮やかに見えるのは、これから向かう所が影響しているのだろう。
少し前まで青空は、高校時代を思い出してしまうから嫌いだった。
ラムネ瓶いっぱいの好きを君へ 九十九井 @c2h5oh6174
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