星降る夢の中へ

ジンゲン菜

終日「星降る日」

 大きくなれば、人生は楽しくなるものだと思っていた。


 今を耐えれば、今は出来ないことが出来るようになって、人生は花開くのだろうと——しかし、そうでもないらしい。


 駅のホーム、幾つもの音が騒がしく鼓膜を揺らす……




     ◆◇◆◇




 退屈だったんじゃない。楽しくなかったんじゃない。進んで求めた。経験した。好き、楽しい、おもしろい。嫌い、つまらない、しょうもない……多くがあった。


 鬼ごっこなんかの手軽な遊びから球技全般……楽しい時間だったと思う。


 ゲームは単純におもしろい。でも簡単になった辺りからはしょうもない。不便からの脱却はつまりはクリアだ。そこからのものに価値はない。


 本を読むことは好きだ。ファンタジーなんかは飛び切り。読んでいる時は「夢」に浸れた。眠って夢を見ている時みたいに……現実が遠いから。


 空を見ることは……一番好きだった。理由はない。ただ上を見上げていると、何となく心が安らいだ。


 青い空、曇った空、暗い空、輝く空…変わらず毎日空を見上げた。


 夕暮れと夜明けの空は特別だ。明日に期待ができる。今日に期待が持てる。


 けれど全部が現実逃避。心の底から満足出来るものなんて、なかったんだ……


 だから、見てみたかった。憧れてしまった。大人になった人たちは、一体どんな顔で生きているのだろう。


 前を見ているんだろうな。楽しいんだろうな。笑顔で、必死で、辛いこともあるんだろうけど……きっとそれでも——前を向いていけるものが、あるんだろうな!




 小学校を親にも黙って無断で休み、貯金箱を砕いて出したお金で、いつもの数刻は早い時間に家を出た。


 周りは夜明けの空に身を包んで、太陽が顔を出しても未だに道は暗いまま。


 坂道から、夜明けの光めがけて走っていく。


「今日は人生で、一番良い日になる気がする……!」



     ………



 都会の駅は想像の数倍は広く、そして混んでいた。 人の足音は不快なほど慌ただしくて、子供の気配など簡単にかき消してしまうほどだ。


 ——チッ——クソが——何してんだよ——迷惑すぎ——


 不快な音が、絶え間なく聞こえる。


 貧乏ゆすりをして顔を険しくする人……携帯電話を顔に押し当て、何度もどこかへおじきする人……ため息をついてそこへ向かう駅員……その他大勢の人々——


 俺には目に映る全員……レール上に横たわる、見るに堪えない大人・・・・・・・・・と同じに見えた。




     ◇




 昭和の雰囲気醸し出す家のリビング、そこに似合わない最新のテレビが、ニュース番組を映し出している。


『——本日六時頃、会社員の男性一人が駅のホームから飛び降り、線路上に数時間の間、横たわり続ける事件がありました——』


「たくっあいつ、どこいんだ……ん?」


 男は玄関の鍵が開く音に気づき、そこへ向かう。




     ◇




 自宅のドアを開けると、巨漢の男が腕を組みをして眉間みけんにシワを寄せ、激昂の形相で立ち塞がっていた。


 俺の父だ。


 廊下から先を覆い隠す横幅と、天井に届くだろう長身。前にするだけで怯んでしまうというのに、顔も怖く、おしっこが漏れてしまいそうになる。


「お前、今日は何で学校休んだ? 親の俺にも何も言わず……」


「……。」


「何とか言ったらどうなんだ!?——ッ」


 ゲンコツを振りかざした父は拳を下す直前、俺の表情から何か察してくれたのだろう。もう片方の手で自分の拳を受け止め、ゲンコツを中断した。


 しかし、勢いは殺しきれずに受け止めた方の手が俺の頭に激突。


「いてっ……!」


 俺の思わず出た声に対して父は何も言わず、こっちの目線まで屈んで俺の両肩を大きな手で掴むと、鬼のような面を和らげて尋ねてくる。


「なんかあったのか……?」


「……怒らないの? ゲンコツは?」


「それとこれとは別だろ……はぁ、とりあえず家上がれ。飯食って、話はその後だ」




     ◆◇◆◇




 数年後。


 目覚ましの音で目覚め、俺は父の作った朝食を食べる。そうして歯磨きをして、顔を洗い、ごわごわして嫌いな制服を着て、玄関で靴を履いた。


「おーい、母さんに手ぇ合わせたかー」


 直後、父がリビングから大声でそう言ってきて、俺も大声で返答———…


「やったよー、父さん仕事頑張ってなー。行ってきまーすっ。……。」


 …———まるで、元気があるように。



     ………



「中学って勉強ばっかでつまんないわー。小学生の時に戻りてー遊びてー」


「それなー部活とか大変まじキツい。けど戻るより早よ高校しょ。バイトしたいわ」


「あと一年ちょいの辛抱だなー」


 廊下では至る所で大声が飛び交う中、会話一つ一つが目立って聞こえるほど騒がしい。


 もうすでにうんざり帰りたいが、そういう訳にもいかないので教室に黙々と入り、自分の席へ。机の横に付いた物掛けにバッグを引っ掛け、椅子に座る。


「おはっよう! マ、ヌ、ケー。今日も元気なさそうだなー」


 同級生のチャラチャラとした男にガッと肩を組まれ、朝っぱらから失礼な挨拶を浴びせられる。


 こいつの名は花家はなやサヤマ、小学生の頃から度々クラスが同じになる同級生だ。


「離せ、それと俺の名前は——」


「はいはい、丸芥まるけさん丸芥さん。分かってますよー」


 花家はパッと腕を離すと、俺の話を聞かずに自分の席へ立ち去ってしまう。


「おいっ——」


 ——キーンコーンカーンコーン——


「っ、チッ……」


 立ち上がって文句を言ってやろうと花家を掴もうとした時、チャイムは俺の敵に。花家のことは諦めざるを得ない。


 それからは、またいつもの日々。


 一時限目は国語、二時限目は数学、三時限目と四時限目は美術で…数十分間の休憩時間が来た。


 俺は学校の校庭、その端っこで一人、弁当の包みを開く。


 弁当は父親が作ってくれた二段の弁当。一段目は白米がぎっしりと詰まっており、二段目は冷凍ものばかりのおかずが詰まっている。


 そこに申し訳程度の手作り玉子焼き。人によってはこれが手抜き弁当だと思うかもしれないが、俺にとってはありがたい弁当だ。


 母は俺が小さい頃に亡くなっており、そのあとは父が一人で俺を育ててくれた。


 誕生日も欠かさず祝ってくれて、毎朝朝食を用意してくれて……忙しいはずなのに、残業が分かっている日には、わざわざ事前に俺の夕食を作りおきしてくれる。


 朝食くらい俺が用意すると言っても「子供は少しでも長く眠って背ぇ伸ばせ!」と、逆に早起きを注意する、俺の父はそんな父親なのだ。


 恩がある。だからこそ——


「——ごちそうさまでした」



     ………



 五時限目は化学。最後の六時限目は体育で、内容はサッカー。


 俺はコート上を走り続け、ボールを追いかけている振りをして、絶対にボールが来なさそうな所へ移動し続けていた。


 しかし、味方のサッカー部の男が試合時間ギリギリに焦り、相手ゴールへ強硬突破しに来るのを読めず、俺は意図せずソイツの前に立ってしまう。


「お前邪魔っ!」


「ごめっ——」


 咄嗟とはいえ酷い暴言だ。


 ——ガンッ……彼のシュートはゴールポストへ。


 ちょうどチャイムが鳴り、試合終了……というか授業終了だ。


「——あははっ! お前、酷すぎっ」


「仕方ねぇだろ、マジで邪魔だったんだから」


「あんな暴言言っといて決めれんかったし、あいつに謝っとけよっ」


「おーい丸芥まるけ、ごめーん」


 体育の授業帰り、サッカー部同士の奴らが駄弁っていて、俺に対しそう、何の感情も無さそうなバカっぽい謝罪をしてくる。


「……うん」


 俺はそう一言、そのあと後ろから陰口が聞こえてきたが、どうでもいい……



     ………



 下校中、河川敷の坂の下……小学生のサッカークラブが熱心に練習をしている。


 全部が見慣れ、聞き慣れたもの。俺は坂の上、伸びた一本道……空を見上げて歩いていた。帰りの時間ながら空はすでに夕暮れ、走る車はライトをつけている。


「——おーいマーヌケ! マヌケっぽく空を見上げて黄昏中ですかなー?」


 突然というかまたもやというか……チャラ男の花家はなやが肩を寄せて飛びかかって来た。


「花家、お前な……」


 俺は今度こそ文句を言ってやろうと顔を向けると、もう二人の男が傍に。


「サヤマ、人の苗字を使っておちょくるのは褒められんよ」


 花家をそう叱るのは、草屋くさやしん


 花家同様、小学生の頃から付き合いのある同級生で、性格がよくイケメン、学校でも大人気なリーダー的存在の男だ。


「おいサヤマ、芯、早く行こうぜ」


 俺そっちのけで二人を急かす三人目の男は、館蛇多かんだた乱太らんた。こいつも二人同様、俺の同級生だ。


「まあ、そうは言わずにさ。丸芥、久々に来てみないか? やっぱりお前がいた方が色々お手本になるっていうかさ……いてくれた方が後輩の子たちも喜ぶだろうし」


「……。ごめん、俺このあと用事あるから……」


 言うと、草屋はもの寂しそうな表情をする。


「ほら、こいつもそう言ってるし、もう行こうぜ…」


「はいはーい、芯行こっ。おーい、カンダタ待ってー」


「あぁっ? 今なんか悪意あったろ!?」


「バレたぁ?」


 ふざけ合って走り去る花家と館蛇多。が草屋だけは何か言いたげに立ち止まったまま。


「行かなくて良いのかよ……二人とも走ってちゃったぜ?」


「あ、あぁそう、だな……なあ丸芥、あの日から、何があったか知らないけど、もう戻って来ても良いんじゃないか? アイツらもどう接していいか分かんないからあんな態度なだけで——」


「無駄な気遣いするくらいなら、ほっといてくれ」


 今を楽しく過ごすお前たちと、俺は違う。あの日のことが、自分でも腹立つくらい脳裏にこびり付いて、何も頑張れない……だから、俺はもう——


「っ、約束したじゃんかっ。パルクールの大会、優勝するぞってッ、みんなであんな必死になって練習してッ! オファーだってあったのに……どうしちゃったんだよ。遠ざけないでくれ、お前に頼りすぎてたなら、謝るから……」


 草屋はそう、俺の肩を掴んで強く揺らす。


「違えよ……お前たちは、何も関係ない。これは俺の、俺だけの問題だ」


「…………そっ、か…なら俺たちには、どうしようもないな。でも、マジで抱えきれなくなった時は——」


「そういうの良いからッ!……早く行けよ。アイツら、お前のこと振り返りもせず、遠く行っちまってんぞ」


「あっ……そう、だな。行くよ。じゃあな、丸芥……」


 草屋は言って、物寂しそうな顔で去る。


 徐々に遠くなっていくアイツを見届けると、俺はまた空を見上げる——


 いつからだろう。こんな気持ちで空を見上げるようになったのは……


「——丸芥ぇぇッ!」


「——っ」


 思わずビクッとして身体が飛び上がる。見上げる寸前、顔を戻すと、遠くに行ったはずの草屋が大声で叫んできたのだ。


「俺には今のお前のこと、っ……ずっと前からお前のこと、知った気になってただけかもしんないけど、これだけは言っとくっ。つまんなそうに空見上げてないで、!——でないと、危ないからさ……」


 それだけ言って、アイツは走り去っていく。


「芯っ……俺だって出来ることなら、……」


 黄昏の空の下、立ち止まって見上げた空はうるんでぼやけ、晴れるまで前を歩かせてはくれなかった。




     ◇




 今日は12月31日、大晦日。中学は冬休み、俺は出掛ける支度をしていた。


 というのも、今日はネットで知り合った空好きの同年代の友達に、一緒に年越しはどうですかと誘われ、行ってみることにしたのだ。


 参加者は俺を含めて三人と……普通に少なめで色々心配。


 支度を済ませて玄関に向かうと、靴棚の上には父からの書き置きと、お金が数千円置かれていた。


『今日はネットで知り合った友達と遊びに行くんだろ? お金置いといたから、それ夕食代とかに使えー。父ちゃん今日残業確定だから帰んの遅くなるぞ。うるさいようだけど、危険そうな人たちだったらすぐ帰って来るように』


「ふっ、ははっ……父さん、ありがと」



     ………



「——どうも、僕は実士田みしだと申します。今日はいつも通りのネッ友のノリで、楽しく年越してきましょう!」


 待ち合わせの犬の像がある場所に到着。息つく暇もなく自己紹介が始まった。一人目は少し痩せ型でほんわかした印象を受ける男、実士田。


「実際に会うのは初めまして。ゆたと言います。今日はよろしくお願いします」


 綺麗で礼儀正しく、上等なお家のお嬢様といった印象を受ける……何がとは言わないが、こんな歳からすでにデカい、後はメガネかけてる、そんな女性、豊。


 この二人が俺が今まで交流してきた人なのか……芋っぽい人たちかと思ってたけど、清潔感あるな。俺よりコミュ力断然ありそう。


「どうも丸芥です。そのー、お二方も実際に会うのは初めてですよね?」


「「はい、そうですね。ねー」」


 二人はお互い息ぴったり顔を見合わせて……ねー、などと——どう見てもちげぇだろ。しまいには——


「そのー、お二人はなぜ腕を組みあってるんですかね?」


 色々と察しはつくが、一応聞いてみないことには分からない…地方によっては腕を絡ませ合うのが何たらかんたらと、俺の勘違いの可能性だってあるかもしれない。


「実は、丸芥さんを待っている間に……色々と二人で話してたら、ねっ?」


「はい、ねっ!」


 クソが。挨拶もせず帰ればよかった。親の言うことは聞いとくべきだな……


「じゃあ丸芥さん、三人で早速、空の絶景スポットを巡りましょう!」


「は、はい……(もう二人きりで巡れば?)」



     ………



 絶景の空と街が見えるポイントにて——


「あの空、綺麗だね……」


「実士田さん、見て! あの雲、ハートみたい……」


「ホントだ。豊さんと一緒だから、見れたのかも……」


「実士田さん……」


「豊さん……」


 勘弁してくれ……



     ………



 有名なプラネタリウムにて——


「実士田さん……」


「豊さん、いや豊……」


「だ、ダメよ。こんな所じゃ……」


「我慢できない。君の唇が、魅力的すぎるのがいけな——」


 外出てよーっと……


 その後も、その後も、その、後も……地獄に等しき時間は続いて——


「——丸芥さんも楽しめてますか?」


「え? いや……まあ、ははっ……」


 楽しめてる訳ねぇだろ、ボケカスがッ!


「あ、あのーすみません。お二人とも、実はさっき弟から電話があって、妹が体調を悪くしてしまったみたいなので、そのぉ……」


 ホントは弟も妹もいない一人っ子なのだが、こんなありきたりな嘘を使ってでも、今すぐコイツらから離れたいっ!


 俺が心の中で両手を合わせて願う虚言への答えは、俺が思う数倍も早く、しっかりと返答が来る。


「はいっ、どうぞ妹さんの所へ!」


「ありがとうございました!」


 俺はその言葉を聞いたと同時、スタスタとその場を後にする。


 しかし——


 「待って!」


 嘘だろ実士田ァッ……なぜここで止めてくる? さっき妹さんの所へってアンタらが言ったろぉッ……俺は急いで妹の場所へ向かいてぇのだがぁ!?


 俺はそんな感情を悟られぬよう表情を固め、恐る恐る実士田の方へ振り返る。


「空、また一緒に見に行きましょうね! それではまた会う日まで!」


「——! 実士田、さん……はいっ」



     ………



「——二度と会うかッ、次ツラ出したらブチ殺すッ、シネッ!」


 父とよく来るラーメン屋、俺はラーメンのどんぶりをスープまで飲み干してカウンターに置き、おっさんおじさんに引いた目で見られながら店を出る。


「ごちそうさまでしたァッ」



     ………



 帰り道、とぐろのようにくねった坂から見下ろしてある、キラキラとした街を一望する。


 自宅が一つの山を大きく切り崩した高所の住宅地にあるため、普段は不便でならないのだが、見慣れても絶景他ならないこの場所は、俺にとって気持ちが下がると無意識に立ち止まってしまう所であった。


「ってか中学生で恋人なんか作ってんじゃねぇ! ふんっ、どうせすぐ別れる運命だろうさ…………はあー、やっぱつまんねぇな。今日は退屈ではなかったけど、これなら退屈な方がよっぽどマシだ……ないのかな、やっぱり、楽しめることなんて」


 陰鬱な気持ち。俺はまた、顔を上げる。もう黄昏も越えた、へ——


 ——ピピピッ…


 もうすぐ視界がそれだけで埋め尽くされる直前、携帯電話から着信が来る。それは父からのメール。


『帰り連絡読んだぞー。なんだ今日は年越しまで友達といないのか。実は父ちゃん、一足先に家に帰ってきてんだ。年越し一人じゃ寂しいから、はよ帰ってこーい!』


 ただの父からのメール———…


「ふっ、ははっ、あはははっ……ったく! 今日は残業じゃなかったのかよっ」


 …———それだけのものに、不思議と目からは大粒の涙が溢れ出てくる。


 今年はいらない・・・・・・・って言ったのに、あんたがそんなんだから……俺は今日まで——


 涙を腕でゴシゴシと拭う。そうして晴れた瞼にしたら、ちゃんと、前を見る……と———…


「——え?」


 全身が愕然と硬直する。視界に映ったものが、あまりに非現実的すぎたから。


「あ、あぁあ……な、なんだ、あれ……ほ、し?」


 あまりにも、突如とした出来事。


 …———大きな星が、落ちてきていた。


 ゆっくり、見下ろしてある街を潰すよう、直下で。ありえない大きさの……星。


 その星は不思議と実体が見えているのに……見えない・・・・。あるのに……無い。例えようのない存在感。次元が違う。力だとかの話じゃない。それこそ漫画やアニメで使う、二次元だとかの違いだ。


 それも、俺とかより遥かに高次元の——


 それはいつの間にか紫色の空を隠し、自分だけを見ろと言わんばかり、この星のどんな建物よりも強大な光を灯して、辺りを照らした。


 携帯電話から緊急用……聞いた事もないアラームが流れ始める。俺だけじゃない、次々と、至る所から聞こえてくる。けれどそれは徐々に、どんどんと、星が空気を、空間を擦るような轟音で掻き消していく。


 声が出せない。口は半開きのまま、目の前のことを飲み込めない。


 けれど俺は、大きな星へと腕を伸ばしていた。無意識にあれを掴みたいと、身体が、脳が、魂が訴えていた。


 それで理解した。俺はあの星に———…


「——キレイ……——」


 …———『一目惚れ』したんだ。


 瞬間、星は大きな光で崩れながら、数個数色、疎になって……落ちてくる——



     ………



 耳鳴りとともに目が覚める。知らない間に身体は地面に横たわっていて、そんなことにすら気づくのに数秒の時間を要した。


 身体を起こし、脳を働かせるようと手で頭を叩く。そうして幾分マシに働くようになった辺りで、顔を上げて周りを見渡すと、そこは——


「っ! 異世界っ……な訳、ないよな。ははっ、なんだ、これ……」


 ようやくマシに働き始めた脳へ、さらに追い討ちをかけるよう、受け入れ難い光景が目の前に広がった。


 先まで一望していたはずの街……その痕跡。それが、俺の目には映っていた。


 ビルはへし折れるように倒れ、周りの建物をドミノ倒しに潰していき、立ち込める煙は連鎖するように一帯を爆発させ、街全体は火の海と化していた。


 自分の周りをよく見れば、舗装された道路のコンクリートが剥がれ落ち、下の土が露わになっている。


「何が、どうなって——」


 ——ピピピ、ピピピ、ピピピ……


「ッ……!」


 脳が全ての情報介入を遮断しかけたその時、携帯電話の着信音が俺を呼び戻す。


 慌てて確認すると、それは父からの着信。すぐさま通話に出て、俺は足を無理矢理に駆け出させた。


『……………………』


「父さんっ父さんっ! 今どこッ、どこにいるの!」


 言うが、俺の足はとっくに自宅へと駆けていた。


 父の居場所を分かっていながら、俺の脳は正常な思考回路を壊しており、一心不乱に声を出させ、足を動かさせた。


 ——見えた自宅。俺は安堵して駆け足をやめ、口を閉じた。


 なんだ大丈夫だ。うちもどこもかしくと同じ、ただの、ただの瓦礫の山・・・・だ。


 体力も限界で、トボトボと家だった所を目指す。


 電話は切れずに今も通話中のまま。きっとまだ、父さんはあの瓦礫の中にいる。


 だって、だって声がしないんだ。電話に出たのに、父さんの声が聞こえない。助けなきゃ、助けなきゃ……


 家の瓦礫をどかして父を探す。電話を一度切ってかけ直し、着信音を目当てに探していく。


 ピ……ピピ……ピ……——


 微かな着信音が聞こえてきて、その場所を必死に掘っていく。


「父さん、父さん……っ! 見つけたっ。父さんっ!」


 ようやく見つけ出した巨漢の男の姿。


 俺は周りの邪魔な瓦礫を全て退かし、大きな瓦礫の下敷きとなっている父の両腕を引っ張り上げる——


「——ゔああぁぁぁああぁぁッ!」


 突然、巨漢の男が上げる、あまりに痛々しい唸り声。俺はビクッと、咄嗟に掴んだ両腕を離し、尻もちをつく。


「——っ、父、さん……?」


「うううっ、ああぁあ……はぁはぁ、ふーは、ハハッ、すまん。びっくりさせちまったな……つい父ちゃんが出しちゃいけねぇような声が出ちまった……大丈夫か?」


「あ、ああ。父さんの、方こそ」


 聞いた事もない唸り声だった。ずっと俺を守ってくれた、頼りになる背中を持った男が出すには、あまりに情けなく、そして弱った……


「ハハッ。お前が無事なら……よかった。父ちゃん、どうやら半身何箇所も、瓦礫がブッ刺さってるみたいなんだわ……だから引っ張られると、痛くってよぉ……」


「っ、ごめん……俺は、どうすれば……」


「お前のせいじゃねぇよ。大丈夫だ……逆にお前が引っ張ってくれたおかげで、失せかけてた意識が戻ってきたからよぉ……」


「っ……う、うぅ」


「何泣いてんだ……そういう時はなんか食って……そう、だ。今日は、お前の……誕生日、だった……よな」


「……父、さん?」


 父の話す言葉に違和感を覚え、顔を見ると、すでに目の焦点をはっきりとさせず、俺を映していない。身体は不自然にビクつき、声も徐々に途切れている。


「っ……父さんっ、父さんっ!」


 俺は父の大きな手を握りしめた。もう、どうにもならないと悟って……


「ははっ、大丈夫……父ちゃんは、ここに、いるぞ。安心、しろ。泣く、な……いつでも、お前の頼りの父ちゃんが、いるから……なれてたよな…? 守れてた、よな…?」


「ぐすっ……ああ、うんっ! 自慢の……自慢のっ、父親だよ!」


「ははっ、よかった。母さんとの、約束、だったからよ。もっと、もっと見たかったなぁ……お前が、どんなふうに、成長するのか……それに、笑わせて、やりたかった……」


「え…?」


「知って、たんだ。お前が、あの日から……もうずっと、本気で、笑えて、ないのを……少しも、楽しく、ないの……知ってたのに……ごめん、な」


「っ……そんな、そんなことないっ! そんなこと、なかったんだ……ずっと、気づかないふりしてるだけだった……笑えてたんだ。


 心の中でずっと、それを、蓋してた……自分にも嘘ついて、もっと満足できるものがあるはずだって、みんなを遠ざけて……十分にあったんだッ!


 十分楽しかったんだ。アイツらといるのも、父さんとラーメン屋に行くのも、俺はずっと前から、笑えたのに……それを……俺の方こそ、ごめん、ごめんなさいっ! だからっ、だから生きてよぉ……父さん……」


「そっ、か。でも、ごめんな。もう何も、見えな、いんだ……だから、最後に、お前の、誕生、日……祝、わせて、く……ない、か? 父ちゃ……家、いっぱ……飾……つけた……けど、ぜ、ん……つぶ……ちゃ……から、よ。そこ……ケー、キ、ない、か?」


 父はもう言葉も消えゆく瀕死の状態で、瓦礫の中を指差した。


「うっ、うう…………待ってて」


 俺は決心して握った手を離し、誕生日ケーキを探しに行く。


 ——がむしゃらに瓦礫を掻き分け、ケーキの箱を見つけ、持っていく———…


「はぁ、はぁ……持ってき——っ」


 …———止まっていた。


 膝から崩れ落ちる。グチャグチャなケーキに涙を落とす。


「なんで、なんでっ、なんでだよっ…! ううぅ……祝ってくれるんじゃ、ないのかよ……う、ううぅ……あぁあああぁぁ——」


「ハッ……ピ……バー……スデー……トゥー……ユー……」


「——! 父、さん……」


 すでに途絶えたはずの父の口から……微かな声が聞こえてくる。


「ハ…………バー…………デ……トゥ……ユ……」


 消えかかった残火の声で、蝋燭ろうそくを灯して。


「…………ピ……バー…………デー……」


 思い出される親との記憶。


「ディ……ア…………——」


「……………………」


 途切れた歌。埋めるように記憶で繋げる。二人・・が祝ってくれた記憶の中で、一人・・で祝ってくれた記憶の中で——


『——ハッピバースデー、トゥーユー!——』


「……フー……うぅ……」


 確かに灯されていた蝋燭ろうそくに、俺は息を吹きかけ、それを消した。


「今まで、ずっっっと……ありがとう、ございました」




     ◇




 日が昇り、辺りの暗闇は夜明けがくらう。昇った日の光に当てられ、目が覚める。


「ふぁ〜……んっ、んー……うわ、さむっ」


 寝袋から身体を出して、歯磨きをする。


 瓦礫の中からこれから必需品になりそうなものを取り揃える。父の服なども予備に、スポーツバッグに詰め込んでいく。


「こんなもん、かな? んー……そうだ!」


 さらに自分の部屋の箇所であろう瓦礫の山を探って、幾つかの物を取り出す。


「ジャジャーンッ……! ちょっと寒いけど、やっぱ動きやすい方がいいよね」


 取り出したのは、伸縮性、機能性を兼ね備えたスポーツウェア。とそれに合わせた一番軽い、謎の刺繍が施されたブラックのマウンテンパーカー。ただし俺にはぶかぶかで、何回か袖を捲り上げて着ることにした。


「そして、そしてー……テレテテッテテー! かーたーなー! まあ観賞用の模造刀だけど、この先は何が起こるか分からないから、一応護身用としてね」


 模造刀の鞘をそれらしく紐で巻き付け、刀を戻して背中に背負う。


「起きたら携帯は使えなくなってるし、まだ使えるラジオを持っこっと」


 そして、詰め込み過ぎて今にもはち切れんばかりに膨らんだスポーツバッグを左肩で背負い、小型ラジオにイヤホンを取り付け、片側の耳にはめ……準備完了。


「それじゃあ、行ってきますっ!……父さんっ!」


 昨日の間に作った父の墓に声をかけ、俺は街へと走って行く。


 目的地は、あの大きな星の落下地点。落ちた場所はどうなっているのか。


 昨日は混乱と燃える街の煙で見ることが出来なかったが、今の俺にはこれを確認しなければ収まらない、心の昂りがある。


 何より、そこにいけば昔父に借りたゲームの話のような、不思議な奴が飛び出してくるなんてことが……何かおもしろいことが始まるんじゃないかと——


 ——期待せずにはいられなかった——



     ………



 無邪気な笑いが込み上げてくる。周りに広がる光景とは、あまりに似合わない輝きが目に灯る。不謹慎でもせずにはいられない。だって——


 ここにはある。ここでなら見つけられる! あの場所には俺の核心が埋まっているはずだ! きっと、いや……絶対に入れる!


「憧れた。憧れ続けた。とっくに諦めた俺が見た、あの——夢の中へ!」





 終日「星降る日」——終わり——

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