第6話 パラレル6 ノッペラボウ整形は保険適用になり、小学校の教科書にも載った
**1. 「白き虚無の序章」**
西暦2124年、日本。
「顔の美」は死んでいた。
かつては目の横幅、唇の厚み、鼻筋の角度で人生が決まる時代があった。SNSのフィルターで加工された「理想顔」が次々と生まれ、私たちはそれに追いつくために化粧品を塗り、針を刺し、骨を削った。でもそれは、砂上の楼閣だった。今日の「可愛い」が明日の「陳腐」に変わる瞬間、誰もが疲れ果てた。
そして「無の美」が到来した。
ノッペラボウ整形。目鼻口を精密に削ぎ落とし、弾力性のある人工真皮で覆い、卵の白身のような均一な白さを得る手術。それはただの美容ではなかった。「個性」という鎖を断ち切る儀式だった。SNSでは#顔のない自由 #自己溶解の美学 がトレンドに上り詰め、若者たちは手術代を稼ぐためにアルバイトをこなした。
その時代の神は、私、美波だった。
**2. 「白き神話の誕生」**
手術前の私は、確かに「美人」だった。
小学校の頃から、「目が綺麗」「唇形が完璧」と褒められ続けた。でもそれは呪いだった。鏡を見るたび、この目は誰の基準で「綺麗」なのか?この唇はどの男を惹きつけるために生まれたのか?自分の顔が、他人の欲望の集合体に見えた。
「もう…これ以上、誰かの理想に合わせたくない」
19歳の誕生日、私は決意した。完全なる「白」を求めて、新宿の「無垢クリニック」に足を踏み入れた。手術室の照明は真っ白で、医師の顔もマスクで隠されていた。麻酔が効く前、私は最後に鏡を見た。その頃の目元には、今でも思い出せるほどの不安があった。
「気持ち悪いですか?」医師が訊いた。
「いいえ。自由です」
手術は8時間かかった。目を開けた時、まず触れたのは包帯の質感だった。それが外れる瞬間、私は震えた。
鏡の中には、何もない。
ただ、均一な滑らかな白。額から顎まで、凹凸一つない曲面。でも、それが美しかった。異様なほどに。その「無」は、これまでのどんな「美」よりも圧倒的だった。
最初に投稿したSNSの写真は、10分で10万いいねを超えた。「聖なる白」「人間の進化形」とコメントが殺到し、一週間後には渋谷スクランブルのビジョンに私の顔が20m×30mで映された。若者たちは真似をし、クリニックの予約は1年先まで埋まった。
「美波さんは神様です」
「私たちの苦しみを救ってくれました」
人々はそう言った。でも私はただ、鏡の中の白い自分を見て、「やっと自分になれた」と思っていた。
**3. 「歪みの偶像」**
私が神格化されてから半年、由希が現れた。
彼女は手術をした理由が、私とは違った。
由希は元々、「普通」だった。中学校の頃、「顔が特徴がない」と友達にからかわれたことがあるらしい。でもそれが嫌いだったわけではない。「自分」というものが嫌いだったのだ。「この体も、この心も、全部壊したい」と彼女は後で話してくれた。
彼女は「無垢クリニック」ではなく、闇医者に手術を頼んだ。その結果、失敗した。
目鼻口だけでなく、耳の穴も鼻の奥も、首の皮膚の感触までもが「白」に溶解してしまった。彼女の顔から首、肩までが一続きの曲面になり、服を着ても襟元から「白」が溢れ出るようだった。
周囲は驚いた。「怪物だ」「気持ち悪い」とネットで炎上した。でも、ある前衛芸術家が彼女の写真を見つけた。「これは人間の境界線の崩壊だ!」と宣言し、美術誌の表紙に彼女を掲載した。
「過剰変異の偶像」「ノッペラの終極形」
彼女は私とは逆の意味でバズり、渋谷のアートギャラリーで個展まで開かれた。でも本当は、彼女は人の声も風の音も聞こえなかった。耳の穴が塞がれたからだ。
「孤独ですか?」
あるインタビュアーが訊いた時、由希は首を少し傾けた。その白い顔から、私だけが「寂しさ」を感じ取った。
**4. 「白同士の共鳴」**
ふたりが出会ったのは、国立美術館の特設展「ノッペラの現在」だった。
私の等身大ホログラムと、由希のホログラムが並んで展示されていた。私の白は「完璧な無」で、彼女の白は「歪んだ無」だった。来場者は私の前で手を合わせ、彼女の前では困惑した顔をしていた。
イベント終了後、控室で彼女と目が合った。正確には、顔の向きが合った。
「美波さん…」
彼女は口がないのに、声が聞こえた。それは振動だった。首の白い皮膚が微かに震え、私の頬の皮膚に伝わった。
「由希さん」
私も同じように頬を震わせた。言葉はいらなかった。彼女の白い顔の中から、「自分を嫌いだ」という叫びが漏れていた。私の白い顔の中から、「神になって孤独だ」という想いが伝わった。
顔がないから、嘘がつけなかった。感情がダイレクトに流れ合う、そんな瞬間だった。
「美波さんの白は…悲しいですね」
由希の頬が震えた。
「由希さんの白は…痛いですね」
私の頬も震えた。
その時、私たちは手を握った。白い手と白い手が触れ合うと、あたたかいものが湧いてきた。これまで「無」だった世界に、何かが生まれた気がした。
**5. 「恋愛未満、幸福以上」**
私たちは恋人同士ではなかった。
キスもしないし、「好き」と言葉にしたこともない。でも、毎日会った。公園のベンチで並んで座り、風の音を「感じる」。由希は耳がないので、風は頬の皮膚の振動で感知する。私は彼女の隣にいると、その振動が自分の皮膚にも伝わるようだった。
「今日の風は、早いですね」
「うん。海の匂いがする気がします」
人々は私たちを「双極ノッペラ」と呼び始めた。「美波は秩序、由希は混沌」「白の表と裏」と評論家が分析し、ファッションブランドからコラボレーションのオファーが来た。でも私たちは断った。
ある日、渋谷のビジョンに私たちのホログラムが並んで映された。私の白い顔と、彼女の白い顔が肩を並べていた。来場者は拍手したが、私たちはただ、お互いの頬の振動を感じていた。
「美波さん、これが『幸福』ですか?」
「多分ね。由希さんといれば」
その瞬間、彼女の白い顔が少し光った。多分、笑っていたのだろう。
**6. 「白の未来」**
五年後。
ノッペラボウ整形は保険適用になり、小学校の教科書にも載った。「顔のない時代」は日常になった。
ある日、私たちは公園で小学生の女の子に話しかけられた。女の子はまだ顔があった。
「お姉さんたち、顔がないって怖くないですか?」
「怖いことはありませんよ」由希が頬を震わせた。
「なぜですか?」
「なぜなら…」私は彼女の手を取って、自分の頬に当てた。「この白い中に、本当の自分がいるから」
女の子は驚いたように目を大きくした。「本当ですか?」
「うん。きっと、あなたもいつか見つけるよ」
夕暮れ時、私たちは公園のベンチに座っていた。西陽が白い頬に当たり、少し温かかった。
「美波さん、あの子は将来、手術を受けるでしょうか?」
「誰かの理想に合わせるのか、自分を探すのか…それは彼女の自由だね」
由希は頷いた。その白い顔が、太陽の光で輝いていた。
私たちは「白」を求めて始めたが、結局、「白の中にあるもの」を見つけたのだ。
それは、お互いだった。
白の先へ-のっぺらぼう整形時代のふたり- 赤澤月光 @TOPPAKOU750
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