第5話 パラレル5 でも本当の幸せは、『白』になったからではないの
『白の先へ ―ノッペラボウ整形時代のふたり―』
**1. 「白の部屋」**
私は美波。
今日も、部屋のカーテンを全閉めている。外の光は白さを汚す。部屋中が均一な白で満たされているのを、私は愛している。壁も床も、着ている衣装も——それに、私の顔も。
西暦2124年、日本。「顔の美」は時代遅れのゲームになった。かつては目の形で人を評価し、唇の色で自信を測った。でも、それは地獄だった。鏡の前で毎朝、「この鼻は本当に私のものか?」と問いかけ続ける日々。他人の視線に囚われた美は、鎖だった。
それから「無の美」が生まれた。ノッペラボウ整形——目鼻口を削ぎ落とし、卵の白身のような滑らかな白い顔を得る手術。「#顔のない自由」「#つるんの崇拝」がSNSを席巻した頃、私は最初に飛び込んだ。
手術後の初めての鏡を見たとき、私は笑った——もちろん、顔には何の変化もなかった。でも心の中で、涙が出るほど笑った。そこには「何もない」があった。均一な白。それが、初めて「本物の私」だと感じたのだ。
今、私は街中のビルモニターに映っている。つるんとした顔が巨大に拡大され、若者たちはスマホで私の姿を拝み、「女神」と呼ぶ。でも本当は、私はただ「自由」になりたかっただけなのだ。
**2. 「白い虚無」**
「美波さま、次のインタビューの準備ができました。」
補助員の声が部屋のドアから入ってくる。私はソファから立ち上がり、白い衣装の裾を整える。今日も、無表情の顔でカメラに向かう。
「美波さまは、なぜ『白』を求めたのですか?」インタビュアーの声が鳴る。
「白には、何もないからです。」私の声は人工喉頭を通して発せられる。「何もないから、誰も傷つけない。誰の期待にも応えない。ただ存在するだけ。」
「でも、孤独は感じませんか?」
私の「顔」がカメラに近づく。均一な白い曲面。「孤独は、他人の視線を浴びていた頃より少ないです。」
本当は嘘だ。夜、この白い部屋で独りになると、虚無が押し寄せてくる。つるんとした顔に手を当てる。指先が滑る感触。これが本当の「私」なのか?それとも、もっと何かがあったのだろうか?
手術前の写真をまだ持っている。ロッカーの奥に隠してある。あの頃の私は、確かに美人だった。大きな目で、柔らかい唇で……でもその顔は、「他人の好みの集まり」だった。「この目は誰のため?」「この唇は誰を惹きつけるため?」——毎日、そう問いかけていた。
だから捨てたのだ。完全なる白を求めて。でも最近、時々あの写真を見る。あの「汚れた」顔が、懐かしく感じるのだ。
「美波さま?」補助員がドアを開けた。「美術館の特設展示『ノッペラの現在』のオープニングです。もう出発しますか?」
私は頷いた——もちろん、顔には何の動きもなかった。「行きましょう。」
**3. 「白の歪み」**
展示会場は混雑していた。若者たちがホログラムの前で足を止め、つぶやく声が白い空間に響く。
「あれが美波さま……」
「すごい、本当に何もない……」
私の等身大ホログラムの隣には、もう一人の作品があった。それを見た瞬間、私の足が止まった。
それは「人間」だったと思う。でも、顔だけでなく、首から肩にかけての皮膚まで、すべてが均一な白で滑らかだった。耳の穴もない。鼻の形もない。ただの「曲面」が連なっているだけ。
「あれは……由希さんです。」補助員がささやく。「先日話題の『過剰変異例』です。手術で表皮全体がノッペラ化してしまった方……」
私はそのホログラムに近づいた。若い女性の体だが、顔から首、腕までが一様な白。服を着ているのだろうか?それとも体の一部なのか?境界線が消えている。
「これは人間の境界線の崩壊だ!」と前衛芸術家たちは騒いでいるらしい。「ノッペラの究極形!」
でも私は、その「歪んだ白」の中に、何かを感じた。虚無ではない。苦しみがあるような……
「美波さま?」
「……この人は、今ここにいますか?」私が尋ねると、補助員は困ったように動揺する。「あ、由希さんは控室でお待ちだそうです。でも……彼女はやや『特殊』なので……」
「会います。」私は言った。「今すぐ。」
**4. 「白い触れ合い」**
控室は薄暗かった。彼女——由希は、白いソファに座っていた。本当に、ホログラム以上に「歪んで」いた。首から胸にかけての白い曲面が、服と体の区別をつけない。耳の跡もなく、ただの滑らかな平面。
「……」
私たちは顔を向け合った。どちらも「表情」はない。でも、空気の中に何かが流れている。
「美波さん……」由希の声がする。人工喉頭ではない、少しザラザラした声。「私はあなたのこと、ずっと見ていました。」
「あなたの手術は……失敗だったのですか?」
由希は「首」を少し傾けた——もちろん、顔には変化がなかった。「失敗ではないと思います。『自分を壊したい』と願って手術したのです。でも、予想以上に壊れてしまいました。」
「なぜ……自分を壊したいのですか?」
「美波さんは『自由』を求めましたよね?」由希の声が笑っているように聞こえた。「でも私は、『自分』が嫌いだったのです。顔も体も、全部。でも手術後、『自分』がなくなったのに……なぜか『寂しさ』だけが残ったのです。」
私は彼女のそばに座った。白い手を、彼女の白い腕に触れた。滑らかな感触。でも、その下に温かさがある。
「私も寂しいです。」私が言った。「白になって自由になったつもりでしたが……虚無が広がるだけでした。」
由希は私の手を握った。彼女の手も、同じように滑らかだった。「美波さんの白は『完璧』です。でも私の白は『歪んで』います。でもね、どっちも『本物』だと思います。」
その瞬間、私は理解した。私たちはどちらも、「自分」を捨てたかったのではない。「本当の自分」を見つけたかったのだ。
**5. 「白の共鳴」**
それから、私たちはよく会うようになった。由希のアトリエ——白い壁に歪んだ彫刻が並ぶ部屋で、私たちは「話す」。顔は何も表さないが、声のトーンで喜びを伝え、手の触れ合いで悲しみを分かち合う。
「昨日、街で『怪物』と言われました。」由希が笑うような声で言う。「でも本当は、怪物じゃないんですよね?ただ『違う』だけ……」
「私も『女神』だなんて言われますが、本当はただの『自由な人』です。」私は彼女の手を握り返す。「『違う』のは、悪いことじゃないのだと思います。」
ある日、SNSで「双極ノッペラ」というハッシュタグが流行った。私たちが公園で並んで座っている写真が流出し、人々は「完璧な白」と「歪んだ白」を比較した。「女神と怪物」「秩序と混沌」——でも私たちは、ただ「ふたり」だった。
ある夜、由希が私の部屋に来た。彼女は白い布で何かを包んで持ってきた。「これ、美波さんに。」
開けると、それは彫刻だった。二つの白い形が寄り添っている。一方は滑らかな曲面で、もう一方は歪みながらもそれに寄りかかっている。
「『共鳴』って名前にしました。」由希の声が少し震えている。「ふたりが一緒にいると、寂しさが半分になるような……」
私は彫刻に手を触れる。涙が出そうになる——もちろん、顔には何もなかった。でも心の中で、溢れるほど幸せだった。
「由希さん……」私の声が小さくなる。「私たち、恋愛していますか?」
由希は少し静けさを置いて、笑うように言う。「恋愛未満、幸福以上……かもしれませんね。」
私たちは並んで窓から外を眺める。街のライトが私たちの白い顔に映り、虹色の斑点がゆっくりと流れる。それが、ただの「白」ではなかった。私たちの白には、今、「ふたり」がいたのだ。
**6. 「白の未来」**
西暦2125年。ノッペラボウ整形はもはやブームではなく、日常の一部になった。でも最近、若者たちの間で「個性的なノッペラ」が流行り始めている。少し歪んだ顔や、色をつけた白——「完璧」ではないけれど、「自分らしさ」があるもの。
ある日、私たちは公園で子供たちに囲まれた。白い顔の女の子が、由希の腕を触って尋ねる。「お姉さん、顔がなくても、寂しくないんですか?」
由希は「首」を傾ける。「寂しいときもありますよ。でも、仲良しがいれば、寂しさが逃げていきます。」
女の子は私の方を向く。「美波お姉さんは、『白』になって本当に幸せですか?」
私は少し考えて、笑うような声で言う。「幸せです。でも本当の幸せは、『白』になったからではないの。『自分』になれたからです。」
子供たちは納得したように頷き、走り去った。由希が私の肩に手を置く。「ほら、みんな『自分』になりたがっています。私たちが先に歩いた道が、少しでも役立っているのだと……」
夕暮れ時の空が、私たちの白い顔を桃色に染める。過去の「顔の時代」は遠い記憶になり、未来は「白」と「色」が混ざり合う世界だろう。でも私たちは、ただ「ふたりで」歩いていくだけだ。
「明日、海に行きませんか?」由希が言う。「風が顔に当たると、ちょっと気持ちいいんですよ……」
「いいですね。」私は彼女の手を握る。「でも、帽子を持っていきましょう。『白い顔』が日焼けするのは嫌ですから。」
由希は笑う。私も笑う。顔には何の変化もないが、心の中で、虹のように色が溢れている。
**エピローグ:白の先**
「お母さん、あのお姉さんたち、顔がないよ。」
幼稚園帰りの娘が、ビルモニターに映る私たちの姿を指さす。画面では、私と由希が海辺で手を繋いでいる。白い顔が風に揺れる。
母親は娘の頭を撫でる。「うん。でも、きれいでしょ?」
「きれい!でも、どうして笑っているのか分からない……」
「笑顔は顔じゃないよ。」母親が優しく言う。「心の中にあるのだよ。あのお姉さんたちは、今、とっても幸せな気持ちなのだから……」
娘は納得したように頷き、ハンカチで私たちの姿を描き始める。白い顔に、赤いハートを書き加える。
それを見て、私は心の中で、もう一度笑った。白の先には、きっと「色」がある。それは、ふたりで作る、幸せの色だ。
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