紫の魔法

sui

紫の魔法

むかしむかし、夜が落ちると花が咲く、不思議な森がありました。

その森の奥深くに、小さな薬屋を営む魔女がひとり、静かに暮らしていました。名前はアメリア。年老いてはいましたが、その瞳は紫色で、澄んだ湖のように深く静かでした。


アメリアの薬は、どれも人の心に効くものでした。

「忘れたいことを、やさしく包む薬」

「夢の続きを見る薬」

「言えなかった言葉を、風に乗せてくれる薬」


けれど、一番不思議なのは、“紫の魔法”の瓶でした。


それは、お願いを一つだけ聞いてくれる魔法。

ただし――代わりに、何か大切な感情を一つ、差し出さなければならないというものでした。


ある日、疲れきった青年が薬屋にやってきました。

「愛した人を忘れたい。笑顔がもう、苦しくて……」


アメリアはしばらく黙った後、紫の瓶を手に取りました。

「この魔法を使えば、愛した記憶は消えます。でも同時に、もう二度と、心から人を愛せなくなりますよ」


青年は長い間、黙って考えました。そして瓶をそっと棚に戻し、微笑みました。

「……やっぱり、この痛みは、自分のままでいたいです」


アメリアも、静かにうなずきました。

その夜、彼は涙を流しながらも、何かを取り戻したような顔で森を去っていきました。


アメリアは、棚の上の紫の瓶をそっと拭きながらつぶやきました。


「魔法より、時間のほうがずっと静かで、優しいのかもしれないわね」


そして今日もまた、月の光の下、紫の花がひとつ、静かに咲きました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

紫の魔法 sui @uni003

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る