純愛

国府凛

純愛

 アタシ、貴方を恨みます。貴方は気楽で良いわよね。アタシの苛立ちなんて、これっぽっちも考えずに飄々と生きていけるのだから。貴方は、アタシを弄ぶだけ弄んで、ぽいと捨ててしまうのだわ。ええ、きっとそう。アタシが馬鹿でした。貴方を想ったアタシが馬鹿でした。アタシ、貴方と出会わなければ、どんなに良かったのかしら。貴方が壊したのよ。貴方は、彗星のようにアタシの前に現れた。綺麗な尾を伸ばして。まるでアタシのためだけに降ってきたみたいに。そして、アタシに衝突して粉々にしたのだわ。

 

 アタシ、貴方を愛しているのよ。誰よりも愛している自信があるわ。これだけは誰にも負けません。他のどんなことは負けてもいいけれど、アタシ、これだけは誰にも負けるつもりはございません。


 貴方のことなら何でも分かるわ。貴方、大根が嫌いでしょう。貴方、悪夢が嫌いでしょう。貴方、小説家が嫌いでしょう。貴方、猫舌だから熱いものが苦手でしょう。えっと、それから、それから。貴方。ねぇ、貴方。ついにアタシも嫌いになってしまうのね。アタシには分かるわ。だって、アタシ、貴方のことなら何でも分かるもの。


 そもそも貴方はアタシを愛していたのかしら。いつもアタシばかり貴方に愛してると言っていたわよね。貴方からの「愛してる」は何時だって小声で、アタシの方を見向きもしないで、壁に向って呟いていたわよね。アタシって壁のような存在だったのかしら。ねぇ、貴方。アタシはそっちには居ないのだけれど。アタシ、貴方の前にいるのよ?貴方だけを想うアタシは、貴方の前にいるのよ?


 貴方に初めて会った日も、夏の猛暑でしたよね。入道雲が遠くに浮かんでいて、空は真っ青に染まっていた。本屋さんで、同じ本に手が伸びたわよね。著者は誰だったかしら。もう思い出せないわ。別に、本なんて読むような女じゃないもの。本屋さんに寄ったのは、暑くて暑くて堪らなかったから。ただそれだけのこと。アタシは本に一寸の興味もないわ。何となく、これは面白そうだと思って手を伸ばしたの。そうしたら貴方の手がアタシの手に丁度重なったの。まるで運命みたいに。まるで必然みたいに。貴方ったら焦る様子も、引っ込める様子もなく、アタシの手をまじまじと見つめて、「綺麗な手だ」なんて呟いて。今どき、そんな口説き文句は誰も使わないわよ。内心、笑ってしまったわ。でも、貴方があまりにも本気な目をしているものだから、アタシ、貴方のその目に惹かれたわ。数秒見つめ合って、なんだか恥ずかしくなってしまって、どうしたらいいのか分からないうちにアタシたち、同時に吹き出してしまったわよね。本屋さんなのだから静かにしなきゃいけないのに、こらえればこらえるだけ可笑しくなって。お腹がよじれるくらいに笑ったわ。あんなに笑ったのは、人生で初めてだった。


 貴方は物書きでしたね。貴方の家に初めて行ったとき、貴方は真剣な顔して原稿用紙に向かってた。何を書いてるのかなんて、アタシにはさっぱり分かりませんでしたけれど、アタシに向けた真っすぐな目を、貴方は原稿用紙にも注いでいた。風鈴が鳴る大きな部屋で、貴方は身を小さくしながら書いていた。汗を垂らしながら、真っ直ぐに。


 アタシに気づいて、貴方、咄嗟に原稿用紙を机に隠したわよね。アタシがどれだけ見せてと言っても、貴方は頑なに見せてはくれなかった。「これは僕の命だから」とか何が何だか分からないようなことを言って見せてはくれなかった。


 アタシ、実はね、昨日、貴方が寝静まっているうちに、貴方の原稿用紙を盗んだの。今まで指一本も触れてこなかったのに。だって、気になるじゃない。貴方があんな目をしてまで書いたもの。貴方の命そのもの。貴方の全て。


 綺麗な綺麗な字体で書いてあったわ。内容なんて見なくとも、あれだけで芸術とは何か、分かった気がしたわ。宝石のようにも見えたし、高いジュータンのようにも見えた。それだけ高価に、光り輝いて見えたわ。内容は、そうね。恋文だった。熱烈な想いが書いてあったわ。どんなに想っているのか。どんなに愛しているのか。細々と書いてありましたよ。原稿用紙を何枚も何枚も使って。だけれどね、アタシ、それ見て涙が止まらなかった。そこに書いてあったのは、明らかにアタシでない女に向けてだったもの。原稿用紙を濡らしたわ。それでビリビリに破いてしまった。こんなにもアタシは貴方を愛しているのに、貴方はアタシに見向きもしないのだから。貴方の命はアタシではなかった。アタシとは正反対の女。ならば何故、貴方はアタシといるの?アタシに向かって「綺麗だ」なんて言うの?こんな思いをするのならば、アタシ、本屋さんになんて入らなかった。読めるはずもない本に手を伸ばさなかった。散り散りになった破片は、もはや宝石にもジュータンにも見えなかったわ。紙切れ。何の価値もない紙切れだったわ。アタシ、涙であふれる瞼を拭いながら、その紙切れを集めてゴミ箱に叩きつけた。


 そろそろ、朝日が昇るわね。貴方が起きてくるわ。貴方はアタシになんて言うのかしら。怒りが高まってアタシをぶつかしら。きっとぶつわよね。えぇ。きっとぶつわ。アタシには分かる。貴方のことは何でも分かるもの。数週間は腫れが引かないかもしれないわね。もしかしたら、一生変形して治らないかもしれない。でもね、それでいいの。貴方、怒る時にもあの目を。アタシが惹かれたあの目をしてくれるのだもの。

 

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純愛 国府凛 @satou_rin

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