佐助の決断
佐助は、ただ言葉を失くし老婆の話に聞き入っていた。
傍らでは、タロが神妙な顔をしている。
この老婆が自分の母親で、タロが自分の父親だという。
このような姿となり、じさまは山の神に殺されたようなものなのに、この母という女人は山の神のご加護だとしきりに言う。
佐助は、山の生活が好きだった。
無骨なじさまの愛情を思い出し、常に寄り添ってくれるタロの忠心に甘える生活は心地よかった。
足りないものと言えば、女。
そしてぬぐえないのが山の神への猜疑心。
あれだけ尽くしたじさまをその身体で空中に高く放り投げ、崖へ落とした。
いま、俺はどうすべきなのだろう。
里での暮らしが長く、年を取ってしまった母には山の暮らしは無理だろう。
だとすると、タロ、つまりは父タスケも里での暮らしを選ぶかもしれない。
ただ一人で、完全には信じきれない神をあがめて暮らすのか。
入りびたるようになった店でなじみの娘につい、こぼしてしまう。
「こんな話、信じられねえよな」
「そうねえ、話を聴いて信じるのは難しいけれど、その場を共に過ごせば信じられるのではないかしら」
その言葉が発せられた口元をじっと見つめる。そして、そろそろとその瞳へ視線を移す。
「わたしがさ、普通の娘だったら。手放しで信じると言えたかもしれないね」
佐助は思った。この女を山へ迎えたい。
あのとき、じさまは恨まなかった。そうだ、里の者の命乞いをしたはずだ。
じさまと山の娘との間に生まれた母に、里の者を気遣う心はなかった。
しかし、じさまである弥助と父タスケは、自信が生まれた場所への愛情があった。
それは小さな小さなかけらだったのかもしれない。けれど、確かにその愛情のために動いた。
二人は、はたから見ると山の神に見捨てられたように見える。
しかし、本当に見捨てられたのだろうか。
自身の生まれた場所と愛した場所を自分自身の意思で守ろうとした。
そこに力強さを感じ、ただ流されてしまった母を哀しく思うのは何故だろう。
俺は、里の女を山へ迎えたいと思った。それならば、里を守る意思も必要だ。
そして、祖父と父が愛した山を、山の神ごと愛したい。
神は、理不尽であるからこそ神なのかもしれない。
穏やかな時の恵みに感謝し、荒れ狂う時にはただ耐える。
神の御心に沿うように生きることこそ、山を愛することなのだろう。
それはきっと、山だけではない。
里も海もそうなのだ。
山を愛した祖父と父は、俺より早くそれに気が付いた、ということなのだろう。
それならば。
俺は山の生活を中心に、俺を理解してくれる女を手に入れることに集中する。
女がなるべく早く山の生活になれるように、繫く通う必要もあるだろう。
結果はわからない。ただ、信じるしかないのだ。祖父と父のように。
そんなふうに覚悟はしたけれど、やはり少しだけ不安がよぎる。
もしかしたら、俺の願いも半分だけが叶ってもう半分はかなわないかもしれないな。
その時は、父のようにありったけの感情を遠吠えに乗せよう。
いまならわかる。
タロの遠吠えが長い理由。やりきれない思いを全て込めているからだ。
切ない理由。母とわが子と別れなければならなかったからだ、犬の姿に変えられてしまったからだ。
そして、どこか、力強さがあったこと。自分が守りたいと思ったものへ全力を尽くしたからだ。
俺は、どこまで美しい遠吠えを奏でられるだろう。
その遠吠えは、山の神にふさわしいものでなければならぬのだ。
山犬の遠吠え @namakesaru
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