黒羽中学校裏掲示板

@yukinokoori

黒羽中学校裏掲示板

「クラス委員のお見舞い、一緒に行って欲しいのだけれどいいかしら?」


自席に座ったまま文庫本を広げる僕にそう言ってきたのは漆黒の腰元まで伸びた艶やかな長髪と、右の目下の泣き黒子が特徴的な少女だった。

頭のてっぺんから足先まで、唯一真っ白な初雪の様な肌の顔を除けば全てが漆黒に包まれている。


その白磁のきめ細やかな美貌がより一層黒い制服の中で目立ち、存在感を浮き彫りにしていた。

この近寄りがたい雰囲気のせいか普段彼女には男女問わずクラスメイトは誰一人として寄り付かない。


まるで黒一色に統一されたセーラー服とローファーが周囲の者達を阻んでいる様だ。

そんな印象を自ずと抱くが、けれど実情はそれとは異なり、偏にあまりに整った端正な顔立ちが高嶺の花というレッテルを彼女に与えているのが、孤立している所以であった。


「お見舞いって星野さんの件だよね?今日は僕の当番だから黒羽さんは無理しなくてもいいよ」


否、どちらかというとこの目の前の彼女は孤高とそう称するべきだろうか。高嶺の花事、黒羽黄泉(くろはよみ)。

クラスにおいては完全に孤立しているものの密かに生徒達の羨望の対象でもあるそんな彼女が僕に話しかけてきたのには明確に理由がある。


「彼女、いじめられているのでしょう?わたしはそれに興味があるの」


「‥」


以前から感じていたが歯に衣着せぬ物言いが彼女の孤立に拍車を掛けている気がするがそれはさておき、これが目的だろう。

黒羽黄泉が発した言葉と同時に発露とされているその感情は心配とは凡そ程遠い。

やはり根本的にクラスメイト達とは精神構造が違っている様だ。


その証左としてもう一つ、彼女が他人とは明確に異なると断言出来る点がある。

自席に座る僕を見下ろしている位置関係だからこそ確認出来る彼女のそれとは、まるで締める様に首にできた赤い五指の跡。

それも真っ白な肌にあるから殊更に良く目立つ。

ただそんな風に思考を巡らせる僕とは裏腹に、真正面に毅然と佇む黒羽黄泉は平素通り何処か冷たい口調で再び問うてきた。


「どうかしら?」


更に一押しとでも言わんばかりの態度で彼女は僕の席の机にその白魚の様な手を置いて再び見下ろしてくる。

これを受けてすぐさま周囲の者達に気を配ると一見しただけではいつもと変わらない教室の騒々しい光景がこの場には広がっている。

ただ幾人ものクラスメイトが此方にチラチラと視線を送っているのが分かる。

それも当然で皆黒羽黄泉に興味があるのだ。


「そう言ってもらえると有難いかな。男子の僕よりも女子の方が星野さんも話やすいだろうし」


「そう。良かったわ」


二つ返事で返すとニコリともせずに淡々と黒羽黄泉は言った。

クラス委員の仕事なんて交代でも構わないのにも関わらず、自ら率先してこなそうとするだなんて一体どんな思惑だろうか。

内申点などというあるかないか基準の分からないものに固執しているとは、彼女の普段からの振る舞いを見ていると到底思えない。


「それじゃあ放課後、昇降口の前で待っててもらえるかな?」


「わかったわ」


けれど黒羽黄泉とは同じクラス委員という面倒ごとを押し付けられた者同士である手前無碍にするわけにもいかず、結局共に星野優衣といういじめられている少女の家に向かう運びとなった。

そして此方が質問する間も無く黒羽黄泉は気が付けば僕の前から踵を返して自席に戻っていた。

とはいえ彼女の席は奇しくも僕のちょうど正面で、視線を移すとその際机に置かれていた文庫本が目に留まる。


─自殺大全


不穏なタイトルに自ずと記憶が呼び起こされて、奇遇な事にそれは以前触れた覚えのある本だった。

確か中学校の図書館に置かれているにしては随分不釣り合いな内容が記されている代物であった気がする。


「何かしら?」


思わずその内容を思い出そうとしていると、自らの席を引いた黒羽が此方を無機質な瞳で見据えていた。

黒目がちだが切長の眦は何処か有無を言わせぬ迫力があり、加えて端正な顔立ちが相まって彼女と対峙する者を悉く萎縮させてしまうのも自ずと頷ける話だ。


「いや、何でもない。今日はよろしく。黒羽さん」


けれど本の題名を盗み見たのをバレない様出来るだけ自然体に努めてそう言った。

すると彼女はどうしてか一度長い艶やかな睫毛を伏せてから再び大きなその漆黒の瞳を此方へと向けて見下ろしてきた。


「ええ、そうね」


ただその視線の向かう先は手元にあるブックカバーに覆われた僕の文庫本である様な気がした。

そんなやり取りの後いつも通り彼女は自席に腰を落ち着けた。

目の前に乱れひとつない腰元まである漆黒の長髪が揺れて、何処か甘い香りが微かに鼻先をくすぐった。


そうして暫く本に視線を落としていると休み時間は終わり教師が六時限目の開始を告げた。

その間にも黒羽黄泉に話し掛ける生徒は誰一人としてこの場には居なかった。

それもこの談笑が交わされる教室の喧騒の最中、同性である女子達でさえ。


ただしどうやら耳をすませば彼等彼女等の話題の槍玉に彼女が挙がっている様で、今し方のクラス委員の事で僕と話した姿について触れられていた。

彼等クラスメイト曰く、黒羽黄泉は話しかけ辛い雰囲気があるのだとか。

というのもそれ等はお高く止まっててウザいだとかムカつくだとかその様な類いの稚拙な陰口に過ぎない。


果たして当の本人は聞こえていて敢えて無視をしているのか、それとも本当に興味がないのか平然とした態度で今も文庫本を手にしている。

授業中だというのに何故それが許されているのか、それはここが黒羽中学校だからと言う他にない。


そう黒羽黄泉は私立黒羽中学校理事の娘であり、勝手が黙認される立場にあるというだけの話だ。

ただその特権を不満に思っている他の生徒は少なくない。

しかし反面彼女があからさまに虐められているなどといった噂は聞かないし、まず理事の娘を相手にその様な事をやらかす輩などそうは居ない。


相変わらずいつも通り退屈な時間を黒羽黄泉は読書の片手間に過ごし、そして終礼を済ませて帰宅時刻となった放課後。

それはちょうど夕陽が出てきた頃合いで、生徒達も無為な学校という呪縛から解放されて弛緩した雰囲気で談笑を交わす教室での出来事。

スッと荷物を学生鞄にまとめて自席から立ち上がる黒羽黄泉の姿が目の前に見えた。


たったそれだけの事なのに周囲の者達はまるで彼女の一挙手一投足に捉われてしまっているかの様に目を奪われていて瞳を離せない。

だがそれを意に介さず真正面の彼女は僕に一度流し目に視線を遣るとそのまま教室を出て行った。


その間までこの場に居る誰も彼もが黒羽黄泉という少女を視界から外せなかったし、彼女にはそれだけの雰囲気がある。


「ちょっと美人だからって調子乗ってるよね」


するとポツリと先程の喧騒とは異なりたちまち静まり返ってしまった無言が支配する教室へとその陰口が木霊する。


最初にそう悪びれもせずに呟いたのは口さがない女子の一群である一人だ。


「ねー、お高くとまってくれちゃってほんと腹立つー。絵里もそう思う?」


「うん。だって話し掛けても無視だよ?喧嘩売ってるとしか思えないし」


その女子グループの陰口を境にして取り巻きの少女達もまたそれに追従の意を示す。

愛花絵里(まなかえり)。彼女はクラスにおいても特別社交性が高い人物で、周囲に与える印象は黒羽黄泉とは対称的だ。

それは外見も同様で、その苛烈な性格に反せず髪を明るめな茶髪に染め、制服も着崩した装いである。


「あ、ていうか知ってる?アイツさー、ビデオ出てるらしいよ?」


「え?ビデオって?」


「そりゃ決まってるっしょ。AVだよえーぶい」


「うそ?まぢ?」


「マジマジ、ウラケーにそう言ってる奴沢山いるし」


そうやり取りを交わす少女達は互いのストラップを付けた携帯を見せ合って、口端を吊り上げて下品な笑みを浮かべている。

どうやら女子グループの中ではインターネット内の黒羽中学校裏掲示板、通称ウラケーというのが流行っている様だ。

そこは表の掲示板とは異なり、この僕たちが通う私立黒羽中学校内で起きるゴシップや告発などが主に扱われる匿名サイトだ。


しかし裏と言っても生徒達の中では知らない者達はあまりおらず、誰もが一度は使ってみた事くらいはあるだろう。その程度の物だ。

ただ表の掲示板が行事などのイベントを担うのとは対称的に裏掲示板で行われるのは少し日常会話において口に出すのは憚られる話題だったりする。


だから其処に書き込まれた匿名での出所の分からない告発などは、信憑性やモラルに欠ける為表に出さないのがもはや暗黙の了解となっているのだが、裏掲示板の利用者人数が多い分それを平気で破る者達もまた出てくるのは必然だった。


「男好きそうだもんねーアイツ」


「うわキモっ。でもなんか分かるー」


「絵里ってばマジ容赦ないねー」


そんなネットの掲示板に書き込まれた内容を友人同士で楽しむのが流行っているらしく、その晒す対称とされたのは黒羽黄泉。

黒羽中学校において触れるのはタブーとされている生徒にして最高権力者足る理事長の娘。

果たしてそのリスクを理解しているのかいないのか、女子達は未だに噂話を仲間内で弄んでいる様だ。

それを横目に帰り支度をしていると唐突、背後から肩を軽く叩かれた。


「なあ、さっき黒羽と何話してたんだよ?」


自ずと後ろの席を振り返った僕にそう真剣な面持ちで問い掛けてきたのはこれまた派手な金髪にそして耳にピアスを付けた男。


「委員の事だよ。星野さんのお見舞いの」


「ふーん、なあそれよりお前、黒羽がAV出てるってマジなん?」


そう恐らく一番聞きたかった事を早速聞いてきた彼、土井健二は下品に口端を吊り上げて此方に顔を向けた。


「わからないけど、どうして僕に?」


「お前良く黒羽と話すだろ?なんか聞いてねぇの?」


すると今度はまるで此方を見透かそうとでもする様に顔を近付けてきた。

僅かながらに細められた瞳が見据えてくる。


「黒羽さんからそういう話は聞いた事ないかな」


「嘘じゃないよな?」


「うん」


「そうか。まあそりゃそうだよな。お前に話すわけねーわ。なぁ?」


特に厭う事なくそう答えると彼は途端に僕から興味をなくしたのか視線を横に背け、口を開けて笑った。

それもまるで此方を嘲るでもする様にして。

続いて周囲に居る他の男性生徒達に視線を遣って同調を求めた。


「ああ、健二の言う通り黒羽もこんな奴タイプじゃないと思うぜ」


「そうそう流石に健二君に比べたらねぇ?」


するとこれにおもねる彼の取り巻き達はすぐさま迎合の意を示す。


「もう行っていいぞ」


いくつかの賞賛の言葉を得られて満足したのか、土井健二は用済みの僕に向かって顎をしゃくって帰宅を促した。

これを受けて特別何か言う事も思い浮かばなかった僕は既に用意を終えていた鞄を手に取り自席をたった。

次いで教室の中央を横切る際、横目に彼が持っていた携帯の画面が目に入る。


─黒羽中学校裏掲示板


そう映し出された液晶を見て、視線を正面へと向けた。

そこには教室の出入り口を塞ぎ、たむろしている女子グループ達が居て、悪びれもせず通り道を塞いでいる。

そして未だに先程話していた例の裏掲示板の話題で盛り上がっているのが交わされる会話からも傍目に見て取れる。

その間にも恐らく僕の存在に気づいている事だろう。

にも関わらずその場から退く気配は微塵も感じられない。


「そこ、通りたいんだけどいいかな?」


「ん‥」


すると愛花絵里は此方を見ようともせずに自らが手にした携帯に視線を落としたまま雑に返事をし、漸く人一人が通れるだけの空間をその場に開けた。


やはり彼女達は皆一様に裏掲示板のゴシップや告発に目がないのだ。

それこそ男女問わず誰も彼もが自分の事よりも他人に興味がある。


「何アイツ?」


「さぁ?てか、黒羽さんまた男子に告られたんだって」


「あ、それ知ってるー」


教室から出て間もなく背後から女子達の声が聞こえたが特段反応する必要も感じられなかったのでそのまま廊下を歩む。

とはいえ彼等彼女等の気持ちは分からない話でもなく、裏掲示板の中ではあたかも知っていて有用だと思える様な内容もある。

一見して予め押さえておいて損はないとそう考えてしまう情報もあるかもしれない。

そう、かもしれないと思わされてしまうのだ。

だからこそ、こぞって確証の無い噂話が流される。


「おい、舐めてんのか?無いってなんだよ?んなわけないよなぁ?塾行ってんだろぉ?ならもっと出せるよなぁ?」


と、取り留めもなくそんな益のない考え事をして階段を降り、昇降口に辿り着くとそこでは人集りが出来ており、その中心となった背の高い男が一人の生徒を怒鳴り付けていた。


「逆らうならまたアレだぞ?いいのか?」


傍目に見れば教師かと見紛うその今も恫喝を続ける男だが、良く見れば悪名高い不良である。

確かに制服を着ていないが、それは彼が模範に従う様なら輩では無く、ルールから外れた者である証明だ。

流石にこれ程目立てば否応にもその人物の人相は脳裏へと刻まれる事になる。

対して、外ハネの首元にまで伸び切った金髪のロン毛を垂らすその大男と及び腰で対峙するのは背が低く、壁に背をもたれかけている善良そうな男子生徒だ。


「ごっ、ごめん。で、でももう無いんだっ。ほ、本当だよっ」


などと余計に相手を頭に乗らせる様な言葉を口にしながら頭を下げる彼を横目に、目的の人物の元まで僕は足を運ばせた。


「黒羽さん。待たせてごめん」


「いいえ。いきましょう」


黒羽黄泉。彼女は人集りから離れた端の方で文庫本を片手に待っていた。

僕が横に並ぶと彼女はすぐさま歩き出した。

すぐ側で金銭を巻き上げられている哀れな生徒がいるにも関わらず彼女は一切それに対する言及もない。

興味もないとでも言わんばかりの足取りで先をゆく彼女と肩を並べて学校を後にする。


「またやってるみたいだね」


「そうね。とても悲しい事だわ」


「君はどう思う?」


「それはクラス委員としてかしら?」


「いや、君個人としての意見が聞きたいかな」


「どうでもいいわ。だってわたし達には関係の無い事だもの。そうでしょう?」


「そうだね」


二人して帰路に着き、そう言葉を交わしながら彼女を見る。

風に揺られた艶やかな漆黒の長髪が頬を撫で、その整った彼女の顔立ちの泣き黒子が露わとなる。

僕から見えるその横顔は酷く退屈そうで先程の恐喝の現場など黒羽黄泉からすれば至極どうでもいい事であるのやもしれない。

校門を出て暫く、山に囲まれた田んぼ道を歩く僕達は畦道に入り、民家のある田んぼの向こう側を目指した。


「聞かないの?」


と、緑しかない田舎の風景を眺めていると不意に正面を向いたままの黒羽が聞いてきた。

だがその瞳には相変わらずなんの情緒も映し出されておらず、あるのは真っ黒な古井戸のような漆黒だけだ。


「わたしの事で迷惑を掛けているみたいだから」


「迷惑?」


言っているのは件のいかがわしい動画に彼女が出ているという掲示板の書き込みの件だろう。

しかしそれを僕の口から聞くのは憚られる。

勿論思い当たる節はあるが敢えて言及する必要もないだろうと思った。


「噂、知っているでしょう?」


「うん」


ただ、彼女が自らその話題を持ち出すのであれば僕としても構わない。

その話に乗る事にした。


「あんなのただのデマさ。誰も信じてない。黒羽さんが気にする事じゃないよ」


すると突然の傍らを歩む彼女はその場で立ち止まり、此方を見据えて言った。


「けれど、もしわたしが本当だと言ったら貴方は信じる?」


振り返ると黒羽黄泉は何を考えているかも分からない無表情で淡々と僕を見つめている。


「まさか」


射る様な視線を受けて出来るだけ笑顔で首を横に振った。

彼女の質問の意図は分からないが、これで正解だろう。


「‥そう」


すると果たして彼女は何を思ったのか僕と交錯していた瞳を逸らして再び歩み始めた。

それに続いて再び彼女の隣に並ぶ。

これで話は終わりだという事だろう。


「もしかして星野さんと黒羽さんって結構仲が良かったりするのかな?」


「話した事もないわね」


「‥そっか。でも女子同士だしまあ僕よりかは幾分話しやすいよね」


「どうかしら」


互いにそんな幸先不安になるやり取りを交わしながら、うだるような暑さの夏の日差しが照らす元、妙に耳障りな蝉の鳴き声を耳にして、クラス委員の役目を果たしに向かった。

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