お天王さまにはスサノオさまがいらっしゃる
丸玉庭園
「お賽銭箱に、お賽銭以外を入れるなんてありえないですよ!」
お天王さまには、スサノオさまがいらっしゃるのに。
百万人もの願いごとを叶えるのは、きっと大変なのだ。スサノオさまは、うっかりお忘れになっているだけなんだ。そう、ちょっと忘れてしまっているだけ。
スサノオさまに、天王川公園の藤の花を差しあげよう。いまはもう、夏の暑い時期だから、藤の花は終わっちゃっているけれど、藤の花が咲いている時期に拾った房や、花びらがある。スーパーからたくさん持って帰ったポリ袋に、山ほど集めておいたのだ。
部屋のパソコンの前で、ずっとリュックに入れて持ち歩いていた、藤の花が入っているポリ袋を持ちあげる。おかしい。数か月前に集めたとき、花びらは紫色だったはず。色が変わっていた。小さい羽虫も湧いている。花びらに、ふしぎなことが起こっている。
そうだ、これはスサノオさまに差しあげるものだからだ。ふつうの花では、喜ばれない。でも、これならご満足いただける。スサノオさまに差しあげるとき「特別な花びらを持ってきた人間」なんだということにアピールできる。
ポリ袋を握りしめた。いままでのゴミみたいな過去を捨てて、変わるんだ。お天王さまに行って、この藤の花を差しあげるんだ。
お天王さまという言葉は『尊称』といって、尊敬の気持ちがこめられている特別な呼び方らしい。ほんとうは津島神社という名前なのに、地元の人々はお天王さまと呼んでいるのだ。インターネットで調べたら、むかしは『津島牛頭天王社』って名前でも呼ばれていたらしい。ただの神社なのに、特別な呼び方があるっていうのは、たぶんすごいことなんだとおもう。織田信長と豊臣秀吉もお参りに来ていたっていうのは、驚いた。授業中に聞いたことのある名前だったから。一年で百万人もの人間が、お天王さまに来るとも書いてあった。そんなにたくさんの願いごとを、お天王さまは――スサノオさまは叶えてくださる。
百万人もの願いごとを叶えるのは、きっと大変だから。スサノオさまは、うっかりお忘れになっているだけ。そう、ちょっと忘れてしまっているだけだ。
助かっていない人間がいることを。
だから、会いに行って思い出してもらおう。忘れちゃってても怒りません、助けてくれればいいんです、ってコッソリいえばいい。お土産も持っていったほうがいいかもしれない。母親に、昼飯にしろといわれて投げられた、近所のコンビニの菓子折りがあったはず。高島屋の紙袋に入れれば、高級な感じになるから、スサノオさまにもご納得いただけるよね。高島屋って、セレブが行くところらしいから。
壁に沿って積みあがっているものから、高島屋の紙袋を取ったひょうしに、荷物が音を立てて崩れていく。無感情でものをどけて、菓子折りを高島屋の紙袋に入れた。
この部屋には大切なものなんて、何ひとつない。いらないものばかりが、ものすごくある。壁を隠すために、高く積みあげられたゴミたち。真っ白い壁が、見つめてくる。あざ笑ってくる。見くだしてくる。四方八方を取り囲んで、押しつぶしてこようとする。
憎らしい白壁を荷物で塗りつぶすためだけに、ものを捨てることができずにいる。
花びらがつまったポリ袋をリュックに入れて、家を出た。おととい買っておいた、割引きのからあげ弁当をリュックの底に入れる。お天王さまに行った帰り道は幸せでたまらなくなるはずだから、帰りの電車のなかで、お祝いのために食べよう。
電車に乗って、何十駅を通りすぎた数時間後、ようやく津島駅に着いた。意気揚々と降りたが、なにやらやけに人が多い。ただでさえ気温が高く、暑苦しいのに、よけいにわずらわしい。しかしまだまだ、ここから歩かなければいけない。お天王さまへは、歩いて十五分ほどかかるらしい。気温は三十五度を超えていたけれど、これからお天王さまへ行くのだから、正直暑さなんか気にならない。周りの人間は、暑さ対策とばかりに、帽子を被ったり、汗で流れ落ちた日焼け止めを塗り直している。ため息が出た。くだらない。お天王さまは、すべてを見ていてくださる。暑さを乗り越えた先にいる、あなた。いま、あなたのもとへ参ります。
お天王さまへの道は、日陰が少なかった。情け容赦なく、じりじりと照りつけてくる太陽。この世に暑さしか与えない、球体のくせに。こんなものが存在しているなんて、ばかみたい。あんな玉っころ、お天王さまに滅ぼされてしまえ。
太陽にいじめられながら、津島駅からひたすらまっすぐ歩いた。ようやく、天王川公園が見えてくる。道路から天王川公園を見おろすと、大きな池のようなものがあった。天王川公園のなかには、たくさんの人々が集まっていた。公園の真ん中にある池には巨大な赤い船が、人々を乗せて泳いでいた。きらきらしていて、お城みたいな船だ。すごくきれいだけど、いったい何をやっているんだろう。お祭りだろうか。たくさんの人が、お天王さまへの道のりをはばんでいる。邪魔だ。
人間たちをかきわけ、お天王さまはどこかと、あたりを見渡した。天王川公園まで来たのだから、ここから近いはず。ひたすら走ると、視界のうえにたくさんの木々が見えた。雄大な自然のオーラ。広がる枝葉。ああ、招かれている、呼ばれている。あの場所に――。
あとはただ、導かれるままに駆けぬけた。ぼたぼたと、汗が額から顎に伝っていく。赤い鳥居の下、道路に染みを作りながら、顔をあげた。
お天王さま――ようやく、会えた。肌にじんわりと、お天王さまの気持ちが伝わってくるのを感じた。大手を広げて、歓迎してくれている。胸に喜びが満ちあふれた。
境内には、無数の黄金の提灯が、夏の風に揺れていた。灯火――歓迎の祝いの火だ。お天王さまがこの、迷える心を照らしてくれているんだ。いても立ってもいられず、夢中で駆け出した。
境内には、写真を撮っているたくさんの人々がいた。まったく、けがらわしい。だが、こんな連中を気にしている暇はない。
黄金の提灯が、スサノオさまへの道を作ってくれている。おかげで迷わず、本殿の賽銭箱にたどり着くことができた。財布から、一万円を取り出した。お小遣いは交通費でなくなってしまった。これは、母親の口座から降ろした一万円だ。助けてもらうためには、これくらいかかるはず。本殿の奥から、赤ん坊の泣き声がした。
「うるせえな……」
泣きたいのは、こっちだった。一万円を賽銭箱に、投げ入れる。
藤の花は、あとにしよう。まずは、スサノオさまに出会えたことに感謝をしなければ。
賽銭箱の前で感動に浸っていると、後ろにふたり並んできた。気が散る。いけない。いまは集中しなければ。礼を二回する。二回、拍手する。それから、願いごとをいうのだ。
「助けてください助けてください助けてください」
だめだ、とおもった。こんなのじゃ、伝わらない。急いで、スマートフォンを取り出し、検索した。お天王さまに、スサノオさまになんとしても、このおもいを伝えなければいけないのだから。
後ろから視線を感じる。ちらりと後ろを見ると、子連れの親子が、こちらをじろじろと見ている。これまでの人生、何度も浴びてきた怪しむような、憐れむような視線。早くどいて欲しそうな気配をわざと向けてくる母親。こちらの事情なんて、知らないくせに。
親子を放って、スマホを叩く。検索で出てきたものを確認し、今度は何度何度も、本殿の奥へ礼をした。気持ちをこめて、ていねいに角度を付けた。スマートフォンの画面に映し出された言葉が後ろの親子にバレると、真似をされる可能性がある。スサノオさまへの気持ちは、たここにいる誰よりも、真剣なのだ。あんなくだらない奴らではなく、自分だけを見てもらわなければ。
賽銭箱から少し横にズレて、なるべく小さい声で唱えた。
「かか……かけまくも かしこき いざなぎの おおかみ つくしの ひなたの たちばなの おどの あはぎはらに み……みそぎ はらいたまいしときに なりませる はらえどの おおかみたち もろもろの まがごと つみ けがれ あらんをば は……はらいたまえ きよめたまえと もおすこと きこしめせと かしこみ かしこみ かしこ……かしこみ もおす」
リュックから、ポリ袋を取り出した。特別な色の藤の花だ。なかの小さな虫たちが、いっせいにこちらを向いた。ポリ袋をあけると虫が数匹、飛び立った。逆さにすると藤の花が、はらはらと賽銭箱に入っていく。安堵に胸を撫でおろした。ようやく、お天王さまに藤の花を差しあげられたのだ。
「……なにやってるんですか!」
とつぜん、後ろから肩を叩かれた。さっき、後ろに並んでいた、親子の母親らしき女が、いきなり叫び出した。
「お賽銭箱に、お賽銭以外を入れるなんてありえないですよ!」
「ひっ……あ……え」
「さっきから順番を待っていたのに、ぜんぜん参拝をやめないし、変な呪文まで唱えだしたからおかしいなと思っていたけれど、まさかお賽銭箱にいたずらするなんて!」
「い、いた……ちが……」
「――おばさん、おかしいですよ!」
お、おかしい、って……
だ、だれが……おかしいんだ……
だれが、おかしいっていうんだ……
だれが……だれが……
「お天王さまが……スサノオさまが見ている……」
こいつが……わたしのことを……
おかしいのは……わたし……?
「お天王さまが……スサノオさまが見ている……」
わたしは……へんじゃない……!
へんなのは、こいつだ。
おかしいのは、こいつじゃないか!
「おまえッ! スサノオさまの前で、おかしなことをいうなッ!」
バシュッと、真っ白な白い光が降り注いだ。目の前が何も見えなくなる。おかしな親子も、賽銭箱も、本殿も、何もかも。あたりは清らかな光に包まれている。
この美しい光は、スサノオさま……。ついに、現れてくださったのだ……。やっと、やっと助けに来てくれたんだ!
光が収まり、視界が開ける。波が引くように、周りの景色が見えてくる。
気づけば、空が異常に高いところにあった。あんなに高いところに空があるなんて、いったいどうしたんだろう。周りは暗く、じめっとしている。壁に触れると、
しっとりとしていて冷たい。この壁は、まるで土のようだとおもう。どうして、土の壁に囲まれているのだろう。空もあんなに遠いだなんて。
ここはまるで、穴のなかだ。
スサノオさまに、お参りしていたら、おかしな連中に因縁をつけられ気づけば、こんなところに――穴のなかにいる。
助かるために、お天王さまのもとに来た。
わたしは、幼いころから周りの人々とのズレを感じながら生きてきた。人と会話をしていても、会話の内容があまり頭のなかに入ってこない。何度聞いても、わからないこともあった。だが、何回も同じことを聞くと、怒られてしまう。親はもちろん、友達にも叱られる。なので、話がよくわからないまま、わかったフリをすることを覚えた。なんとなく話を聞いて、てきとうに相槌を打つことを覚えた。だが、そんなことはいずれ、バレる。そうなったら、わたしはすぐに嫌われた。話を聞かない、軽薄なやつだというレッテルがついた。でも、自分ではどうすることもできなかった。
年齢を重ねるうちに、話を聞けない人間は、勉強もできないということに気づいた。勉強の内容が頭に入ってこない。わからないことを先生に聞いても、耳から耳へすり抜けていくので、やっぱりわからない。すぐに先生にも嫌われた。おとなになると、仕事が覚えられないので上司にも嫌われた。
わたしは、生まれたときからずっと、人に嫌われている。わたしは、どんどんとおかしくなっていった。
わたしを知らない人間も、わたしを知っていて、わたしのことを嫌っている。すれ違いざまに、相手がくすくす笑っているのは、わたしのことを笑っているから。昨日やらかした失敗も、一昨日の失言も、そのまえの失態も、ぜんぶぜんぶみんなに知られている。わたしがダメ人間だということを全世界が知っている。みんな、わたしのことが嫌いなのだ。
みんながわたしのことを責める。いじめる。嫌ってくる。
わたしはどうしたら、みんなに嫌われなくなるの?
助けて。助けてください。誰か、わたしに安心できる場所をください。
何かが、遠い空から降ってきた。はらはらと舞い散り、顔にひっつく。これは、賽銭箱に捧げた、藤の花だ。
「そうだ。リュックのなかに、からあげ弁当を入れておいたんだ。藤の花が舞っているなかで、お弁当。花見のようで、いいじゃない」
わたしは、からあげ弁当のフタを開けた。香ばしくて、すっぱいにおいが漂ってくる。
ここの壁は、白くない。敵ばっかりがいた、あの家の白い壁よりも、しっとりとしていて落ち着く。
まるで、赤ちゃんの頃に戻ったかのような気持ちになれる――。
わたしは親の帰ってこない日々を、冷蔵庫も、電子レンジもない家で暮らしていた。いつもなんとなく、すっぱいにおいのするものを食べ、いつもなんとなく腹を壊していた。腹が痛くても、誰も助けてくれない。
そうか。わかりました。お天王さま。わたしを助けるために、ここにわたしを入れてくださったのですね。ここにいれば、わたしは外から攻撃されることはなくなる。何ものからも責められず、藤の花が咲き、舞い散るなかで、お天王さまを感じながら、生きていられる。そういうことなんですね。
ああ、よかった。お天王さまのもとに来て、ほんとうによかった。わたしは、この穴のなかで暮らしていきます。
この土地に、永遠に根を張りましょう。お天王さまがいる、清らかな空気のなかで、息ができることがこんなにも嬉しい。
『お昼のニュースです。天王川公園の名物スポットである藤棚の、改修工事が行われます。現在の藤棚から、さらに拡張され、いまよりもたくさんの藤の花が楽しめると、地元の人々はいまから賑わっています。
――続いてのニュースです。昨日未明、愛知県津島神社にて、不審な穴が見つかりました。穴の深さは、三十メートル以上あり、地元の消防で安全確認が行われましたが、なかから身元不明の白骨化した遺体が見つかり、現在も警察の調査が続いています。遺体は、大量の藤の花の花びらに埋もれるように隠されており、警察は無差別殺人の可能性があると見て、本日捜査本部を設置しました。
遺体の身元は四十代の女性と見られており、所持品は少額が入った小銭入れとコンビニ弁当の容器のみで……』
お天王さまにはスサノオさまがいらっしゃる 丸玉庭園 @iwashiwaiwai
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