エピローグ
天野珠紀様
一筆申し上げます。
朝晩はめっきり冷え込むようになりましたが、珠紀先生におかれましては、お変わりなくお過ごしでしょうか。
先生がご入院されたと伺い、大変驚いております。お加減はいかがでしょうか。珠紀先生のことですから、きっと赤ちゃんのためにもご自身の体調を一番に考え、ゆっくりとお過ごしになっていることと思います。どうかご無理なさらないでくださいね。一日も早いご回復を心よりお祈り申し上げます。
さて、先日、学校で行われた観測会で天文サークルに新しい仲間が加わりました。一年生の遠藤千秋さんと二年生の曽我大和君です。
その後の文化祭での天文サークルの展示は、予想以上に多くの生徒たちと父兄の皆さんにお越しいただき大盛況でした。物部君と曽我君は、物理エンジンというものを使った太陽を回る地球の映像を、飯田君は、美しい天体や星空の写真を、佐藤さんと卜井さんと遠藤さんはかわいいイラスト付きの星空観察ガイドを展示していました。そして、片隅に設置された卜井さんのタロット占いコーナーには、朝から夕方まで、ひっきりなしにいろんな学年の女子生徒がやってきて、さすがの卜井さんも、へとへとになっていました。飯田君の写真には、市内の有名な撮影スタジオの方が見入っていて、声をかけられた飯田君は、凄く嬉しそうでした。これもひとえに、珠紀先生がこれまで築き上げてこられた基盤があってこそだと、サークルメンバー一同感謝しております。
個人的な話で恐縮なのですが、以前、珠紀先生にもお話しした大山先生との関係です。珠紀先生の「嫌う理由が特になくて、悪い人じゃないのなら、一度、ご飯にでも行ってみたらどう」というアドバイスに従って、前に珠紀先生と一緒に行ったあの偏屈なシェフがやっているフランス料理屋に、大山先生を連れて行きました。もちろんデートではなく、学校の衛生管理者として働いてくれたお礼としてです。食事を終えて、一休みしたタイミングで「七瀬先生。もしよろしければ異性としてお付き合い願えませんか」と告白されました。あまりにも唐突だったので、驚きました。私は「私と付き合うのであれば、最低限の条件というものがあります。それは、虫を怖がらないことです」と伝えたのですが、大山先生は「それならば七瀬先生。虫嫌いを克服すれば私にも可能性があると。そういうことですね。私を昆虫館に連れて行ってください。男、大山豪、見事に克服してご覧に入れます」と言ったんです。私は「後悔しませんね」と確認しましたが、「男に二言はありません」と言ったので、今度、昆虫館に行くことになりました。またその結果を報告させていただきます。
それと、天文サークルの今後の活動予定ですが、佐藤さんが張り切って、冬季合宿を計画しています。冬の海辺でやりたいということで、交通の手配や予算などの段取りに頭を悩ませています。このように大変なことが続いていますが、毎日、生徒たちの若いエネルギーに刺激を受けながら、忙しくも充実した日々を送っております。珠紀先生が教えてくださった生徒と向き合うことの大切さを胸に、私もなんとか頑張っていますのでご安心ください。
季節の変わり目ですので、くれぐれもご自愛ください。
末筆ではございますが、珠紀先生と赤ちゃんの健やかなることをお祈り申し上げます。
かしこ
十月二十九日
七瀬華
珠紀先生が文化祭の前日に自宅で倒れて緊急入院になった。それを聞いたとき、私は気が動転してしまった。市内の病院での治療で一命をとりとめて、今は母子ともに落ち着いているようだ。早産のリスクがあるため、しばらく自宅には帰れないと聞いている。
私は、入院先の病院宛に珠紀先生への手紙を書いた。
手紙を書き終えた私は、ふと、佐々木さんの同僚のことに思いを馳せる。旧校舎の開かずの間から見つかった制服は、やはり、盗難されたものであり、傍らにあった上履きも同様だった。このことは、佐々木さんから今野校長に知らされ、早急に、冤罪で自殺した佐々木さんの同僚の遺族にあてて、学校から正式な謝罪と解雇の撤回が書面にて通知され、定年まで働いた際に受け取ったであろう給与が見舞金として支払われることになったという。
今野校長の対応の速さには驚かされるばかりだが、結局、盗難の犯人は犬飼誠司先生ということになっている。死人に口なしとはこのことを言うのだろう。
一人暮らしの部屋は、夜になると肌寒い。
なんとなく自販機のお汁粉が飲みたくなった。
私はカーディガンを羽織り、アパートの前に設置された自販機で温かいお汁粉を買う。
そう言えば、まだ旧校舎の件で残っている謎がある。それは女子生徒の制服盗難事件だ。
白昼堂々、更衣室から制服を盗むというのは、学校関係者以外だと難しいだろう。
それに、鍵無しで内鍵が掛かった更衣室から盗むのは無理だ。それに開かずの間に制服があったというのも不思議な話だ。
やはり誠司先生が何らかの方法で盗んだのだろうか。
自販機からお汁粉の缶を取り出し、振り返る。
今日は満月が綺麗だ。
ふと、アパート前の道路に目をやると、道路を挟んだ向こう側に白いワンピースのようなものを着た色白の少女の後ろ姿があった。高校生くらいだろうか。よく見ると裸足でワンピースは夏物だ。夜は十時をまわっている。家出か何かか。ただならぬ様子に、私は思わず声をかける。
「ねぇ。あなた」
全てを言い切らぬうちに、少女は走り出した。私は道路を渡り、少女を追いかける。
少女の姿が曲がり角で消える。
サンダルは走りにくい。
何とか曲がり角まで追いついて、小路の奥を見るとワンピースだけが落ちていた。
一体少女は何処に行ったのか。
「なーご」という声で私は振り返る。
いつか旧校舎で会った黒猫だ。
金色の目が印象に残っている。
猫はゆっくりとこちらを見る。
その顔は、半分溶けていた。
じわりと嫌な汗が出て私は立ちすくむ。
猫はその身を翻して闇の中に消えていった。
珠紀先生の語った誠司先生の『ようやく会えるんですよ』という言葉。覚虫であれば飼育出来た段階で会えたはず。
開かずの間の、やたら磯臭い水槽とDNAシークエンサー。
生物部の海綿動物についての切り抜き。
シェイプシフター。
そして、制服盗難事件。
全てが線で結ばれた。
怪異は共存していたのだ。
【了】
ミミクリー 夏久九郎 @kurou_kaku
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