社長は身代わり婚約者を溺愛する

日下奈緒

第1話 お見合い相手は ①

人生、ちょっとした隙間に、チャンスが巡ってくる事もある。



「ふぅー。お母さん、このラインは終わったよ。」


汗を拭き、隣のラインにいるお母さんに報告する。


「じゃあ、今日はもういいわよ。」


「ううん。やる事があるんだったら、もっとやるよ。」


「そう?じゃあ、お願いしようかな。」



町の中にある小さな工場。


ここで家族ぐるみで、タオルを作っている。


と言っても、ここの所赤字続きで、従業員は全員解雇してしまって。


残ったのは、お父さんとお母さんと私だけだ。



「糸を巻く方やってちょうだい。」


「分かった。」


仕入れた糸を織る為に、一旦巻く。


タオルを作るのに、必要な工程だ。


「ごめんなさいね。本当はもっと遊びたいでしょ。」


お母さんが、私の隣にやってきた。


「ううん。私もう25だよ?仕事に邁進しないでどうするの。」


「そう言って貰えると、物凄く助かるわ。」


小さな工場と言っても、お父さんお母さんと二人でやってるんだもん。


娘の私がやらないでどうするのよ。


糸が巻かれるのを見ながら、一心不乱に働く。


ぼーっとしている暇はない。



「おい。今週、大量発注が来たぞ。」


「ええ?週半ばで?」


お母さんは驚いてお父さんの元へ行く。


「単価は一枚10円。安いな。どうする?断るか?」


「土曜日も稼働すれば、納品できない訳ではないけど。」


私はお父さんの元へ行き、発注書を手に取った。


一枚10円だけど、発注数は1万枚。


今から土曜日までフル稼働して、何とか間に合うイメージ。


「やろう。まとまったお金が入るチャンスだよ。」


「あ、ああ。」


私は糸を巻くラインに戻ると、又次の糸をセットした。


少しでも、お金を稼ぐ。


それが今の私のやりたい事。


いつまでも、赤字続きの工場なんて、やってられない。


そして、仕入れた糸が残り少なくなった。


「ねえ、糸が無くなりそうだよ。」


「ああ……」


お父さんが私の元へやって来て、ため息をついた。


「いよいよ無くなったか。」


「仕入れは?明日来るの?」


「それが……」


お父さんが口を濁している。


きっと、何かあったに違いない。



「何?話して。」


「先月の仕入れ代、滞っているんだ。」


「えっ?じゃあ、糸入ってこないの?さっきの受注はどうする気なの?」


お父さんは困った顔をしている。


「やっぱり、無理かな。」



こうして一つの事が滞ると、次の仕事も滞る。


これじゃあ、負のスパイラルだ。



「分かった。私が何とかするから。」


私は糸を巻くのを止めると、帽子を取った。


「どこに行くんだ?礼奈。」


「芹香に頭下げてくる。」


「芹香さんって、あの沢井薬品のお嬢様の……」


「そう。」



沢井芹香は、指折りの薬品会社のご令嬢で、大学からの友人。


私が実家の工場で働いていて、貧乏な暮らしをしているのも、知っている。


知っている上で、私と仲良くしてくれているし、援助もしてくれている。


普通の友人関係とは違うと思うけれど、これしか方法がないんだから、仕方がない。



「いつも、苦労かけるな。」


お父さんの言葉を聞いて、何も返事できなかった。


私はジャンパーを脱ぐと、お父さんから仕入れの請求書を受け取った。


「ちょっと、外に出てくる。」


そう言って工場の外に出て、自転車にまたがった。


芹香の家は、自転車で15分くらい。


家同士が割と近いのも、仲良くなった理由の一つだった。



自転車を漕いで、爽やかな風が当たる。


この時は、まさか芹香からあんなお願いをされるなんて、思ってもみなかった。

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社長は身代わり婚約者を溺愛する 日下奈緒 @nao-kusaka

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