そして私たちは死体を埋めた

月這山中

シャベルとスコップの違いとはなんだったか。

 編集者・佐藤史弥さとうしあは降りる駅を三回間違えた。狸が人を馬鹿すという逸話が残る狸坂を上っている最中も五回転んだ。そんな坂の途中に目的地はあって、斜めの地面を無理矢理平坦にしたような基礎の上に古めかしい一軒家が建っている。

 史弥はミステリの巨匠・豊見永景観とみながけいかんの担当編集者になったのだ。学生時代からの憧れの存在で、そんな神の御業であるところの原稿を史弥は受け取りに行けるので、昨日からこの調子だ。

 呼び鈴を鳴らす時も何度も突き指して右手指が全滅したので左手の掌底で押した。

「編集の佐藤史弥です。原稿をいただきにあがりました」

 先生の「上がりたまえ」という声に従って玄関を開き、蹴上で泣き所をしたたか打ち、ようやく書斎の戸をノックするに至った。史弥の全身は痣だらけだったが緊張と興奮で痛がるどころではなかった。

「失礼します」

 史弥が戸をゆるゆると開くとそこに豊見永景観はいた。四畳半、左回りのいわゆる『切腹の間』に敷かれた畳の中央に座卓を置き、火のついてない煙草を指に挟んで肘をついている。背後には書棚から溢れた蔵書が積まれている。

 意外に若い。と史弥は思った。切れ長の目で周囲を隙なく観察し、顎には無精髭を生やしていて、狸というよりは狐に似ているなと史弥は恐れ多くも考えていた。

「ちょうどいいところに来た。座りなさい」

「……はい」

 景観は正面の座布団をすすめた。史弥は頷きこそしたが入り口の側で固まっている。東側にある窓は青い闇を映していて、裸電球が室内を照らしている。

「まあいい、ちょっと見てもらいたいものがあってね」

 景観は言って、西側の襖を開けた。

「君、この死体をどうしたらいいか考えてくれるかね」

 襖の隙間から見えたのは、奇妙な大男の死体だった。全身が長く硬い毛に覆われていて熊のようにも見えるが、その頭部には角が生えている。

「こ、殺したのですか」

 史弥は素直に訊ねた。景観はため息をついた。

「だとしたら、こんなに落ち着いてはいない。勝手にこの男が死んでいたのだ」

「はあ」

 史弥は死体に近付く。医学部を卒業して新聞記者を経験している彼にとって、死体はさほど珍しいものではなかった。

「肝が据わっているね」

 景観が煙草をくわえながら言った。

「ありがとうございます」

 礼を言うのが正しいのかわからないが、史弥は頭を下げた。

 大男の死体は布団の上に膝を抱えて座っている。史弥が死体を観察すると、死後硬直が始まっていることが分かった。

「いつ頃発見されましたか」

「今朝の十時だね。目が覚めて襖を開けたら、この男が死んでいたのだ」

「死因は何が考えられますか」

「首を見たまえ」

 大男の喉元には縄目の跡が付いていた。

「縊死ですか」

「自分でくくったか、誰かに絞められたかだ」

 景観は煙草に火をつける。史弥は念のため男の脈を取ったが、確かに死んでいる。ふと、男の腕に白い糸のようなものが絡んでいるのが見えた。

「蜘蛛の巣?」

「ああ、その男が現れた場所を示している」

 景観が天井を指す。史弥が押入れを覗き込むと、屋根裏の暗闇がぽっかりと口を開けていた。

「君、この男こそ『散歩者』だと思うかね」

 景観はライバルの書名を表すその言葉を口にして訊ねた。

 史弥は首を振る。

「屋根裏を通って来たとは考えにくいです」

「その心は」

「蜘蛛の巣こそあれど埃が付いていない。先生の御宅は築七十年の古民家と聴いております。その屋根裏を通ってきたにしては綺麗すぎるんです」

 史弥の言葉を聴いて景観は顎をなぜた。口の端を上げる。

「では何者かがその大男を絞めあげて、僕の書斎の押し入れに叩き込んで隠したというのかね」

「いえ、一人の犯行ではありません。殺した者と、叩き込んだ者が別々にいるはずです」

「ほう」

 史弥は男の足を見上げる。

「まず、死体を隠したのは景観先生、あなたです」

 史弥の言葉に景観は息を吐いた。

「あなたは襖を開けたらこの男がいたと言った。先生はなんのために襖を開けたのですか?」

「そこはほら、第六感というものだよ」

「襖を開ける用事など一つしかありません。布団を仕舞ったのですよね」

 景観は両手を上げる。

「この書斎で寝泊まりしたあなたは、起床後布団を仕舞ったあと、この死体を発見した。どうにも邪魔であるから、布団の上へ仕舞い込んでしまったのですね」

「僕の細腕でできると思うのかね」

「家政婦さんが手伝ったのでしょう」

「いやはや素晴らしい」

 景観は頭の上に挙げた両手を打ち鳴らした。

「でもなぜ、僕が殺人者ではないと思うのか。それを聴いていないな」

「単に動機がないからです。先生は執筆でお忙しく、交友関係も乏しいと聴いています」

「その通り。では家政婦が殺人者である可能性は」

「であるなら、先生は既に謎を解いておられます。家政婦の身辺くらいは把握なさっておられるでしょう。私がやることはありません」

「ある。この死体の始末だ」

 史弥は振り返った。

「もう一つあります」

「なにかね」

「原稿の受け取りです」

 私たちは男の死体を押し入れから取り出し、車につんで山奥まで走らせた。


 山の木々の間を歩くうちに、蜘蛛の巣が腕に絡んでいた。払うが完全には取れず、諦めて付けたままにする。

「死体の謎だがね」

 景観は言った。

「時空の壁を超えて現れたというのは考えられないだろうか」

「どういうことですか」

「この世に次元の裂け目とでもいうものがあって、男はそこへ吸い込まれた放浪者だった。そんな男が何かの拍子に殺されて、また次元の裂け目から僕の部屋へ落ちて来たのだ」

「はあ」

 景観の言葉に史弥は気のない返事をする。

「先生はいつも科学的で見事なトリックを編み出すので、超常現象など信じないと思っていました」

「僕は超常現象に関してはちょっとした偏執狂マニアだよ」

 史弥は少しがっかりした。

「男は異世界を放浪した上に、首を絞められて死んだのですか」

「あるいは自分でくくったか、だ」

 二人はシャベルを振るって穴を掘る。あの押し入れほどの大きさの穴ができたので、男の死体を下ろした。

「悲しいですね」

 史弥は呟く。

「この次元放浪者の顛末がかね」

「それは信じていません。先生の原稿を受け取るために、死体を隠匿しなければならないこの状況が、悲しいのです」

「なるほど」

 景観は煙草を取り出して、火をつけた。

「史弥君、人間は謎を目の前に放り出されたからといってそれを必ず解かねばならない訳ではないんだよ。解かれずに消えていく謎も、こうしてあるわけだ」

 煙が細く立ち上っていく。

「なあ史弥君」

「はい」

「シャベルとスコップの違いとはなんだったか」

 史弥君は頭を傾げた。

「地域によって変わります。こちらではシャベルと呼ぶものをスコップと呼んだり」

「その通り。これも解けない謎だ」

「違うと思います」

 答えた瞬間、足元が抜けた。

 史弥は極彩色の闇の中に居た。

「先生、景観先生」

 闇の中で呼んでみるが、答えはない。


 どれほど経っただろうか。

 史弥の肉体は変貌していた。

 二倍ほどに膨張し、長く硬い毛が全身を覆い、額から角が生えた。ちょうどあの奇妙な死体のように。

「先生⋯⋯」

 自分の手を触る。指には縄目のように無数の溝が並んでいた。

「なるほど、これで絞めたのか」

 史弥は納得した。

 史弥は元の世界へ帰還することを諦めていなかった。ここが次元の裂け目であるなら、いつか同じ条件で出口が現れるはずだと。尊敬する作家の言葉をまったく信じていないわけではなかった。

 しかし、極彩色の闇はその色が蠢くばかりで、裂け目が現れる様子はない。

「なにか条件があるはずだ」

 史弥は思案する。

「ああ、そうか」

 自分の首に手をかけた。縄目のような溝が首に食い込む。

 そのまま自身の首を絞め上げた。

 足元に黒い畳が見える。左回りの切腹の間。そこの中央に、布団を敷いて寝ている男が見える。昨晩の景観であった。

「先生、私の死体を見つけてください」

 史弥は己の命と引き換えに元の世界へと帰還した。


「君、この死体をどうしたらいいか考えてくれるかね」

 史弥は史弥自身の死体を観察する。

「いつ頃発見されましたか」

「今朝の十時だね。目が覚めて襖を開けたら、この男が死んでいたのだ」

「死因は何が考えられますか」

「首を見たまえ」

 史弥の首には縄目のような、史弥自身が絞めた指跡が残っている。

「縊死ですか」

「自分でくくったか、誰かに絞められたかだ」

「自分で絞めたのでしょう」

「ほう」

 生きている史弥は死体の史弥の指を持ち上げる。

「この指です。跡と矛盾はありません」

「なあ、史弥君」

 景観は煙草に火をつける。

「人間は謎を目の前に放り出されたからといってそれを必ず解かねばならない訳ではないんだよ。解かれずに消えていく謎も、こうしてあるわけだ」

「そうでしょうか」

 史弥は振り返る。

「少なくともこの死体は、謎を解いて欲しそうに見えます」

 景観は煙草をくわえたまま、自分の顎をなぜた。

「とはいえ、警察を呼べば僕の原稿は受け取れないことになる。著作も検閲で差し止めになるだろう」

「⋯⋯隠すしかありませんね、口惜しいですが」

 二人は史弥の死体を車に積んで、山奥へと走った。



  了

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そして私たちは死体を埋めた 月這山中 @mooncreeper

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