強力殺虫剤

高黄森哉

強力殺虫剤


「まあ。そんなもの買ってきて。危ないじゃないの」


 と、なんだか芝居がかった台詞回しで、妻はいった。彼女はソファになかば埋もれながら、ぼおっとテレビのモニターを観ていた。


「なあに。説明書を見て、適量で使えばどうってことはないさ。こいつには安全装置がついてる」


 俺は妻の心配を尻目に、強力殺虫剤のトリガーに指をかける。もちろん撃ちはしない。なぜならば、一度、火を吹けば、まだローンが残ったこの家が木っ端微塵になってしまうのだから。


「どうして、そんなものを買ってきたの。むだじゃない。男のひとったらいつもこうね」


 女はいつもこうだ。


「無駄だと! いいや、そんなことはない。最近の害虫は、様々な耐性をつけている。やたらめったらに節度なく殺虫剤を使いすぎたせいだ。それに、グローバル化にともっなって、多種多様な有毒害虫どもが、海外から大挙して押し寄せているのだぞ。このような殺虫剤を持たずして、現代人はいかに、家庭を守るというか!」


 と、誇張気味にまくしたてる。

 しかしながら、今、俺が述べたことは、あながち大袈裟ではない。実際、現代害虫どもは、人的な淘汰により、ありとあらゆる殺虫方法に耐性を持っている

 さて、この進化する害虫。そして、極端に衛生化した現代人の虫への誇張された恐怖。このような昨今の状況下で、成長したのが殺虫剤業界であった。


 なぜ、あの殺虫剤はここまで威力を持ち得たか。


 こんな噴射缶も、最初は虫にのみ効く貧弱な薬物だった。すぐに効かなくなる。次第に人間に弱毒のものを使用するようになる。効かない。そして、猛毒、劇物、といった具合だ。


 それに、より毒性の強い殺虫剤を所持することが、ある種のステータスになっていた、というのもある。

 例えば、公共の場で殺虫剤を腰にかけて歩くのが今では普通だ。公共の場で、出し抜けに凝った外装の噴霧器をシュッとやる。すると、たむろする害虫どもが死に至る。死に方で善し悪しがわかる。彼らの中には、改造品を使用し、その威力を違法なまでに高めるものもいた。やりすぎで死者が出たくらいだ。


 もちろん、劇薬を公共の場でシュッとすることに警察が黙っているわけもない。不定期で検問が開催された。


 それで違法改造は減ったわけだが、年間の死者数が減ったわけではなかった。なぜならば、このころには企業の出すそれと違法改造のそれとは、威力がほとんど変わらなくなっていたからだ。


「ねえ、そんなものよりも私、これが欲しいわ」


 彼女はバイクのCMを観ていった。俺は即座に答えた。


「そんな乗り物、危ないじゃないか」

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強力殺虫剤 高黄森哉 @kamikawa2001

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