それでも、私は未来を歩く。

Chocola

第1話

 西暦3000年。

 この街では、誰も歩かない。


 人々は「柱」に集まり、転送されて目的地へと運ばれる。

 各県の境界にそびえる“移動の塔”――転送柱。

 個人IDでの予約制。行き先と時間を入力すれば、数秒で目的のエリアに着く。渋滞も疲労も、すべて過去のものになった。


 音もなく、効率だけが街を包む。


 けれど私は、その日、どうしても「歩きたかった」。


***


「……予約記録が見つかりません。由良さま、転送には事前の認証が必要です」


 塔の受付AIが淡々と告げる。無機質な声。

 それを予想していた私は、そっと首を振った。


「ううん、今日は歩くからいいの」


「徒歩移動は非推奨です。安全上の理由から、特例申請が必要です。目的地は――」


「花の記録博物館。第二植物アーカイブ棟」


 そう告げると、AIは一瞬、処理時間を要した。


「……了解。歩行ルートを表示します。途中、セキュリティドローンとの接触にご注意ください」


「ありがとう」


 表示されたマップは、いくつもの警告で赤く塗られていた。

 “非推奨”“立ち入り注意”“効率外行動”――まるで私の選択が、世界から否定されているようだった。


 それでも、歩くことにしたのだ。


***


 由良。17歳。

 高度管理区域第15居住区生まれ。


 私の世代は、ほとんど生まれた時から“AIナニー”に育てられた。親との接触は基本データ通信。食事、学習、感情ケアまですべて自動。


 誰かの体温を、私は知らなかった。


 けれど、ある日。

 それは突然だった。


 授業で観た、「過去の映像資料」。

 画面に映ったのは、風に揺れる青い花だった。


『ニゲラ』――古代に咲いていたという、未来では育たない植物。

 その揺れが、風が、花びらの一枚一枚が、私の胸を突いた。


 泣きそうになった。理由は分からない。

 ただ、「知らなかった」ことに気づいてしまったのだ。


 あの揺れを、私はこの目で見たことがない。

 だから今日、私は歩いて見に行くと決めた。


 この世界で、まだ人間でいるために。


***


 風の音がした。

 ……こんな音があったなんて。


 風を受けた人工ビルの谷間を抜けると、第二植物アーカイブが見えてくる。

 ガラス張りのその建物は、まるでこの世界で最後の“自然”を守る温室のようだった。


「ご来館ありがとうございます。由良さま」


 館内AIが声をかけてくる。私は予約してあった展示室へと進んだ。


 そこに、あった。


 防護シールドに囲まれた、たった一輪の青い花。

 ニゲラ・ダマスケナ――学名表示とともに、立て札にはこう書かれていた。


『この花は、“未来”を意味する』


 ……未来。


 その言葉に、私ははっとした。

 未来。それは、与えられるものではなく、自分で「選ぶ」ものじゃなかったか。


 すべてが整い、誰も苦しまないように最適化された世界。

 でもそこには、「選択肢」がなかった。


 何を見て、誰と話して、どう生きるか。

 私たちは全部、プログラムされた“幸福”の中にいた。


 この花は、言っている。


 **「君はどうしたいの?」**と。


***


「ここに、もっと人を連れてきたい」


 ぽつりとこぼした私の声に、館内AIが反応した。


「由良さま。ご希望は記録されます。共有申請を行いますか?」


「ううん、そうじゃない」


 私は首を振る。

 自分で、言葉にする。


「私が、伝える。人の声で、ちゃんと」


 機械の世界で生まれた私が、“人間のままでいる”ために。

 私はこの青い花から始めようと思った。


 自分で歩き、自分で選んだその先に、

 きっとまだ、未来はあると信じたから。

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それでも、私は未来を歩く。 Chocola @chocolat-r

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