アムステルダムの夜
井上 優
第1話
アムステルダムの夜
1993年~2001年まで、僕はロンドンのアールズコートに住んでいた。詩を本格的に再始動したのは1996年、付き合っていた当時の彼女K・Nのおかげだった。美大の授業にも出ずに、イタリアの喫茶店に籠りひたすら詩を書いた。1日8時間~10時間は書いたろう。
K・Nと別れてから、僕は自暴自棄気味になった。当時の新しい彼女と一緒に、マリファナを吸いにオランダに旅行した。
古今東西、萩原朔太郎を始めとして、ビートルズなど近代以降の芸術家には薬物の痕跡が色濃くあるのが原因だった。
イギリスでもマリファナは半合法(売ると罪になるが、吸うのは自由)で、マリファナ・パレードでは逮捕者が一人も出ないほどだ。
オランダは更に進んでいて、売買も自由で、珈琲ショップでマリファナが買える。
当時の心境は、よく覚えていないが、好奇心からだったと思う。薬物を使った芸術にも興味があった。ジョン・レノンや晩年の萩原朔太郎など。
珈琲ショップで珈琲を飲みながら、マスターらしき人からマリファナを買った。罪悪感はなかった。日本と違い犯罪ではない、という意識からだろうか。聖書にも薬物禁止の記述はない。むしろ日本が遅れている、というような意識だったと思う。
ヨーロッパでは、マリファナは煙草と同一視されているところがある。同じく天然の草を吸う行為だからだ。更に、煙草よりマリファナの方が常習性・中毒性が低いと言われている。
それに反して、LSDや覚醒剤などはケミカルと呼ばれ非常に危険視されている。
その珈琲ショップのマスターらしき人に、20本くらい巻いてもらった。煙草は吸っていたけれど、紙巻を巻いたことがなかったのだ。
その店で2~3本吸ってみた。が、僕にも彼女にも全く変化が無かった。
ホテルへ帰って、また2~3本づつ吸った。彼女に変化はなく、パチモンやないの?などと言っていた。
その頃僕には、劇的変化が訪れていた。気分が高揚し、意識が退行して4~5才になってしまった。ホテルのベッドのマットをトランポリン代わりに飛び跳ね廻り、下手の自覚があって絶対にしなかった”ものまね”を延々と続けた。その間、何度か意識が飛んでいる。
ものまねは案の定全然受けなかった。それでも、彼女の後日談によると、何百人かやったらしい。唯一受けたのが、長嶋茂雄から今は亡き淀川長治さんへの連続技だったと思う。彼女がそこだけ大笑いしていたのを、今でも覚えている。
ベッドインすると、彼女はいつもよりかなり凄かった。前戯というより、指でクリを愛撫するだけで十数回もイキまくった。薬物は性感を高める効果があるらしい。俗にいうシャブマンという奴に近いのだろうか?インサートしても、反応が段違いだった。
ともあれ、
そのうち疲れて眠ってしまった。
その後が、大変だった。
夜更けに目が覚めた。
ベッドから這い出してカーペットの上に座ると、世界が揺れていた。最初は地震かと思ったが、ここはアムステルダム日本じゃない。僕の頭の中が廻っているのだ。それと共に、首というか頭が回転しだした、ごく自然に。(マリファナが廻ると、自然に頭が回転するのは普通らしい)それにしても、二重に回転する世界の中で、カーペットの模様や色があらゆるものを侵食してゆくのにもまいった。彼女の寝顔もカーペット模様。カーテンも、ベッドも、壁もカーペット模様なのだ。
そのうちに、左胸が痛くなってきた。心臓の鼓動に合わせて、針のような痛みを感じるようだ。吐きそうに胸も悪い。
いつしか、ホテルの階段を這っていた。立って歩けないのだ。
ロビーに着くと、ホテルマンのおじさんに”I need going to hospital!Can you call me an アンビュランス.(病院へ行きたい。救急車を呼んで下さい)と一応、間違った適当な英語で伝えた。
ところが、そのホテルマンのおじさんは、「マリファナを吸ったのだろう?よくあることだから、大丈夫だよ。」と英語でのたまい、相手にしてくれない。
そして、更なる悲劇が引き起こされるのである。
病院へ行けそうにないことを理解した僕は、何故か砂糖水を要求した。喉の渇きもあったろうけれど、とにかく毒素を排出したかったのだ。それにしても、何故砂糖水なのだろうか?いまだに分からない。
ロビーのチェアに座りガラステーブルを挟んで、フロントのオヤジさんにいい加減な英語で症状を説明していた。
すると、ふいに意識が飛んだ。
その間のことを、全く覚えていない。
意識が戻ったのは、どうも4~5時間後位らしい。
気付いたとき、僕は砂糖水とよだれの混ざったものを口から垂れ流していた。辺りを見廻すと、7~8人の黒服のホテルマンらしき男達に囲まれている。
どうも、意識が無い間中暴れていたらしい。ぼくは欧米では中肉中背(178cm72㌔)だけれども、実は腕力が何故か人並み以上なのだ。4~5人では抑え切れず応援を何処かの部署から呼んだらしい。
それでも救急車を呼ぼうとしたのと、一応客であったので、僕は無傷だった。ホテルマンに怪我を負わせたかどうかは、分からない。完全に記憶がないのだ。何の請求も来なかったので、大丈夫だったのだろうと思いたい。
それから、何故か彼女に連れられてチューリップ畑と風車を見に出かけることになるのだが、恐ろしすぎる後日談が待っている。
日本に帰ってから僕は、プロテスタントからカトリックに転会した。
そして転会式をした母教会の前橋カトリック教会に、一時期住み込んだ。
教会は神父様の方針で、少年院に入る代わりに教会生活を選んだ子供達や、AA(アルコール依存症から抜け出す会)NA(薬物依存症から抜け出す会)他、とりどりの人々で溢れていた。勿論敬虔な信者もいたけれど。
僕は、あらゆる場所に顔を出した。摂食障害の会から、教会学校まで。
僕は薬物依存症にならなかったが、NA(薬物依存症から抜け出す会)に出て自分の薬物体験を語ったとき、思わぬことを教えてもらった。
日本に帰化した薬物中毒治療中の元トルコ人が、僕の体験談について、喫煙所で煙草を燻らせながら話してくれたのだ。
「貴方の薬理症状は、マリファナのものではありません。アムステルダムの悪質な珈琲ショップでは、マリファナの葉により中毒性が高く危険なケミカル(覚醒剤など)を噴霧するのです。そして中毒患者を増やして儲ける。貴方はケミカルが体質に合わなくて助かりましたね。」
僕は、知らないうちにケミカルをやらされていたのだ。
あれ以来、薬は風邪薬の「ルル」以外やっていない。
この物語は、今から20年以上前だ。バブル崩壊以降、貧富の差は激しくなり日本は急速に荒廃した。貧富の差は拡大し、社会のモラルも急速に崩壊した。
ここに書いた物語は日本の足元にある、今ある危機なのだ。
決して薬物に手を出してはいけない。
アムステルダムの夜 井上 優 @yuu-kunn
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