兜町奇譚 大引けまでの金縛り


 若いOLさんがたくさんいる店は美味しいことが多いんだ、と言って石川さんは僕をイタリアンに案内した。シニア雇用の石川さんは昔からこの街、兜町のことをよく知っている。昔はがっつり系の飲食店が多かったがだいぶ減り、今はおしゃれな店が多いらしい。かつては証券市場の立会場で声を荒げていた証券マンたちが自動売買システムにとってかわられ、株の街としての活気も落ち着いてきたからだ。

 坂本町公園の前に差し掛かると、普段は休息の場である公園の隅で血気あふれる様子でノートパソコンを連打する男がいた。屋外で業務をするなんてセキュリティとかどうなってんだろうと横目で見つつ、我々はイタリアンレストランに向かった。

「昔は為替の反映がリアルタイムじゃなかったから、いくつかの通貨を経由して換金をするだけでお金が増えることもあったんだよ」

 まぁ手数料の方が高いんだけどね、と笑いながら石川さんは昔の証券業界の事情を話してくれた。本人も投資が好きらしく、界隈のうさん臭い話を仕入れては時に騙されたり損をしたりしていたらしい。そんな話のうちの一つを教えてくれた。


 証券の自動売買が導入された最初期に、発注システムには特殊な仕様があった。注文時の価格は注文ボタンを押下したときに決定し、注文ボタンをクリックし終わると注文が送信されるというものだ。どうやらこれは金融庁の指導に基づく仕様なのかバグなのかは諸説あるようだが、一般的に注文ボタンのクリックはほんの数ミリ秒なので大きな問題には至らなかった。ただ、この仕組みを悪用した人がいた。

「大引け前に注文を押下して、値段が上がれば離す、値段が下がれば大引けまで待つ人がいた。大引け後に注文をしても無効になるから」

 もしこれが本当だとしたら絶対に負けない株取引になる。

「でも大引け前の数分なんてたかが知れてますよね」

「そうだね。小遣い稼ぎにもならんね」

 石川さんは締めのコーヒーをすすっている。

「ただ、決算の開示前後ならすごい動くよね」

「決算開示は大引けと同時に出るものが多いですけど、場中に出るものを狙うんですね」

「そうそう」

「すると場中の決算ってだいたい14時とかに出ますよね。大引けまで一時間あります」

「一時間、ずっと動けなくなるね」

 ふと、僕はかつての兜町に存在したかもわからない男の姿が脳裏に浮かんだ。彼は損失に体を縛られて一時間以上マウスをクリックしたまま、何もできずに硬直しているのである。

「まさか」

 僕と石川さんは笑い話として話を切り上げ、レストランを後にした。

 坂本町公園ではまだ男がキーボードを連打している。

 今の兜町にも見つかっていないバグ、あるいは裏ワザがあって、人間の行動を操っているのかもしれない。


(この物語はフィクションです。実際の投資商品や証券会社とは一切関係がありません。)

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【短編・SS】ホラーじゃない怪談、あるいはSFじゃないすこし不思議 黄泉塚陵 @yomitsuka-ryo

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