僕と白いカブトムシ

大田康湖

僕と白いカブトムシ

 八月十四日、僕は三年ぶりの帰省でおじいちゃん家に来ていた。山奥に立つ一軒家は蝉の声に包まれ、僕が生まれるずっと前から変わってないように見える。

かけるちゃん、啓二けいじ、よう来たね。東京は暑かったろ」

 茶の間に座った僕と父の前におばあちゃんが麦茶を置く。

「いただきます」

 僕がコップに口を付けると麦茶の中の氷が傾き、カランと鳴った。

「仕方ないさ、人が多すぎるんだよ。その点ここはのんびりできる」

 お父さんの返事におじいちゃんがうなずく。

「こっちもエアコンがないと昼間は過ごせんよ。五月さつきさんの具合はどうだい」

「もうじき九ヶ月だからね。家にはお義母かあさんが一緒にいてくれてるよ」

「駆ちゃんも、もうすぐお兄ちゃんになるんだね。いくつだっけ」

 おばあちゃんの質問に、僕はあわてて麦茶を飲み込むと答えた。

「十歳だよ。小学四年生」

「ところで、明日の法事の打ち合わせにお寺へ行きたいんだが、啓二の車を回してくれんか」

 麦茶を飲み干したお父さんにおじいちゃんが呼びかける。

「分かった。駆、今のうちに宿題済ましときなさい」

「えーっ、カブトムシ採りに行くって約束してたのに」

 抗議する僕にかまわず、お父さんは立ち上がった。

「カブトムシは朝によく採れるんだ。今夜は早く寝るんだぞ」


 おばあちゃんは夕ご飯の支度をするため台所に行ったので、僕だけが茶の間に取り残された。宿題をする気にもなれず、僕は他の部屋の様子を見てこようと立ち上がった。

 茶の間の隣のふすまを開けると、縁側のある畳の部屋になっている。縁側の前には廊下があり、花の絵が描かれた提灯が二本立てられている。その間に何かが置かれているのを見て僕は近づいた。

 それはお皿に載ったキュウリとナスだった。割り箸で作った足が四本ずつ刺さっていて、動物のように見える。しかも、キュウリの上には何かが動いている。僕は思わず息を止めた。

(白い羽のカブトムシ、羽化したばかりのだ)

 図鑑でしか見たことがなかった姿に、僕は興奮していた。虫取り網と籠は茶の間の荷物の中にあるが、その間に逃げられてしまうかもしれない。僕はそろそろと畳の上に足を滑らせ、カブトムシの上に手を伸ばした。

「やった!」

 親指と人差し指の間で、捕まえたカブトムシが動いている。そのまま立ち上がった僕は、勢い良く縁側の提灯にぶつかった。

「あっ!」

 カブトムシを掴んでいた指が離れる。あわてた僕の足が縁側を滑った。


 気がつくと、僕は地面に座り込んでいた。どうやら庭に落ちてしまったらしい。

「大丈夫?」

 頭の上から声がしたので、僕は顔を上げた。麦わら帽子を被った僕と同じくらいの男の子が、虫取り網と虫かごを持って立っている。

「う、うん」

 僕は立ち上がると、辺りを見回した。

「君、白いカブトムシを見なかった?」

「白いカブトムシ?」

「さっきまでそこのキュウリの上にいたんだ」

 僕は縁側の皿を指す。

「ああ、ショウリョウウマか」

 聞いたことのない言葉だ。僕は問い返した。

「ショウリョウウマ?」

「そうさ、キュウリが精霊馬しょうりょううまで、ナスが精霊牛しょうりょううし。ご先祖様の乗り物だ」

「だから足が付いてたんだね」

 僕は倒れていたキュウリとナスを皿の上に置くと、縁側に腰掛けた。


「僕は山瀬やませかける。東京から来たんだ。君は?」

「俺は山瀬コウイチ。ずっとここに住んでる」

 コウイチは僕の隣に腰掛ける。

「へえ。同じ名字なんだ。もしかして親戚かな」

「この辺はみんな山瀬だから、全員親戚みたいなもんさ。それで、君はカブトムシ採りに来たのかい」

「うん。お父さんが『今年はお兄さんのサンジュウサンカイキだから帰らないと』って言って。僕はカブトムシやクワガタを採りたくて一緒に来たんだ。お母さんはもうすぐ赤ちゃんが生まれるから留守番してるよ」

「そうか。俺にも弟がいるんだ。まだ五つだけど、カブトムシが好きでさ」

 コウイチは虫かごを見せた。カブトムシが数匹入っている。

「良かったら、僕にもカブトムシのいるところ、教えてくれない?」

 僕の頼みに、コウイチは頭を振った。

「山は慣れてないと危ないんだ。代わりに俺のを一匹あげる」

「本当? じゃ虫かご持ってくる」

 僕は縁側から立ち上がると、茶の間に駆け込み、網と虫かごを持ってきた。戻ってみると、コウイチの姿はなく、キュウリの上に白いカブトムシが乗っている。僕は慌てて網をかぶせた。

「コウイチ君、ありがとう」

 声をかけたが返事はない。どうやら帰ってしまったようだ。代わりに、お父さんの車が戻ってくる音がした。


 僕は戻ってきたお父さんに虫かごを見せながら言った。

「これ、庭で虫取りしてた山瀬コウイチ君にもらったんだ」

 お父さんは僕をまじまじと見つめると、そっと肩に手を置いた。

「一緒に隣へ行こうか」


 縁側のある隣の部屋に行くと、父は部屋の奥を振り向いた。そこには仏壇が置かれ、上にモノクロの写真やカラーの写真が飾られている。

「駆、あの一番端の写真が甲一こういち兄さん。お父さんが五歳の時に病気で亡くなったんだ」

 僕は息を飲んだ。写真の男の子は、僕が出会った麦わら帽子の男の子によく似ている。

「お父さんも、カブトムシが好きだったの」

 僕の問いにお父さんはうなずいた。指でそっと目を押さえる。

「今年は兄さんの三十三回忌、最後の法事だ。きっと極楽に行く前に、うちにお別れに来てくれたんだろう」

「そっか」

 僕は虫かごを見た。白いカブトムシが中で羽ばたいている。

「お父さんもお母さんも、駆にきょうだいができたらいいなと思ってた。だから、赤ちゃんができて本当に嬉しかった。これからもいろんなことがあるだろうけど、駆にはきょうだい仲良く暮らして欲しいんだ」

「もちろん」

 僕は答えると、虫かごを持ち上げた。

「お父さん、明日の朝、こいつを仲間のいるところに連れていきたいだけど」

「いいのか」

 お父さんが尋ねる。

「東京に行くよりここで自由に飛んでた方が、きっと幸せだよ」

 僕は甲一兄さんの写真を見上げると心でつぶやいた。

(だよね、甲一くん)


終わり

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