月めくりエッセー Aug. 自然教室

山谷麻也

トゲは心の深くに


 ◆ここで泳がれん⁉


 先月、近くの村では、子供たちが危険な場所に近づかないように、怖い妖怪をひねり出したという話を書いた。

「あそこにはおとろしい妖怪がんどるぞ」

 というものである。

 そんな妙案はどこでも思いつくものではない。筆者の校区では、代わりに

「ここで泳がれん」

 という立て看板をよく見かけた。


 一見、意味不明だが、徳島県では

(ははあ、ここは危ないので、泳いではいけないのだな)

 と、子供でも理解できた。

 掲示物は簡単明瞭を旨とすべき好例だ。



 ◆現行犯逮捕


 クルマはたまにしか見かけない時代だった。

 輪禍の心配は無用だったものの、水難事故には神経をとがらせていた。とは言え、四〇日間も、保護者が学童の素行に目を光らせているわけにはいかない。


 監視網が手薄なのをよいことに、村の子供たちを引き連れ「泳がれん」場所で遊んでいたことがあった。

 見張り役の年少者が「先生がおる!」と真っ青になって知らせてきた。見ると、暴力教師として恐れられた教員が立っていた。背後によその村の子供たちがゾロゾロ。一人の教師により、楽しかるべき川遊びが、一瞬にして暗転してしまったのだった。

 殴られることを覚悟した。不思議なことに、教員はトレードマークの舌打ちをしただけで、無罪放免となった。



 ◆一蓮托生


 夏休みの登校日。校長が安全について訓辞した。

「水泳禁止区域で泳いだ者は手を挙げなさい」

 投書でもあったのだろう。パラパラと手が挙がった。筆者の村の子供たちではなかった。


 二学期になり、暴力教師が筆者にすごんできた。

「お前は卑怯ひきょうなヤツじゃ。なんで手、挙げんかったんじゃ。ワシらだけ、校長に怒られたやないか」

 あの後、規則違反者らは残された。校長にさんざん説教され、その正直者たちは引率者がいたことを白状してしまったらしい。

 


 ◆生きた教材


 暴力教師も、配下の子供たちも

「ほかにも泳いでいるのがいましたよ」

 とは一言も言わなかったのだ。

 反省が不十分な教師はともかくとして、あっぱれな子供たちである。片や、鉄の結束を誇り、難を逃れたことを喜んでいた自分が、恥ずかしくなってきた。

 夏休みになると思い出す出来事のひとつである。


 身の回りには教材に事欠かない。それは、いろいろな経験を積んだから、言えることなのかもしれない。

 学習環境のデジタル化が進められている。その流れにブレーキをかけるべきでは、と筆者は思う。やはり、実体験を通してしか学べないことがある。

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