しじまに、blue

黒川未々

しじまに、blue

 五月晴れの下、気持ちだけ、ブルーインパルスよろしく旋回……しているであろう小さな機体。

 おじさんたちは朝早くから、ラジコンを飛ばすのに夢中になっている。私は日焼けしないようにパーカーを羽織って、サンルームからその光景を見ていた。

 ラジコンショップで意気投合した四人のおじさんたちは、ゴールデンウィークに森の中の立派なヴィラを借りた。二泊三日。インターネットは繋がるし、キッチンも広くて、冷蔵庫も大きいし、ベッドはふかふか。何から何までおしゃれだけれど、それ以外は何もない。既婚二人、独身二人。内、妻子を連れてきたのは、私のお父さんだけ。

 数メートル先のお父さんが得意げにこっちを見てくる。ごめん、全然見てなかった。上手く飛ばせたの? 何がすごいの? だって、私、もう大学二年生だよ? とっくにお父さん離れしているし、ラジコンにも、プログラミングにも興味ない。本当にごめんね。

 今、隣の先生以外、見てないんだ。


 独身で、恋人も連れて来なかった先生は、私のお気に入りだ。三ヶ月前にお父さんから紹介されて、一目見て好きになってしまった。他の二人のおじさんは、いかにもおじさんだったから、先生みたいな人が現れて、私は混乱した。市内で大学の先生をやっているらしく、それで「先生」って呼ばれている。共学らしい。なんで私は女子大を選んでしまったのか……

 いやいや……お父さんのせいじゃん……どうせ出会う運命だったなら、もっと早く先生と出会わせてほしかったな。もしかしたら、今頃、先生の授業を受けていたかもしれないのにね。


 昨日の夜、バーべキューしながら私はたずねた。

「どんな音楽、聴いてますか?」

「あんまり聴かないんだよね」

「そうなんですか……」

 話しかけるなって意味かな。落胆する私の隣で、先生は鼻を触ってから、ふむ、と一呼吸置いて言った。

「尾崎豊……って言ってもわからないか。ぼくの世代でも、聴いてる人、いないし」

「わかります! お父さんがたまに聴いてるので」

 年齢を聞いたら、三十二歳だって。何の脈絡もない私の質問に、嫌な顔せずに答えてくれた。「きみは?」って、聞き返してはくれなかったけど、それは望み過ぎかな。お父さんのことをすごいとも言っていた。何がすごいのか、私にはわからないけれど、会社員をやめて、友達とドローンの会社を始めてからのお父さんは、確かに活き活きしている。先生の目に映る私は、理解のある優しい娘らしい。


 今日の先生はルーズな大きめのチェックシャツを着ているけれど、この前、本屋でばったり会ったとき、ワイシャツに石のついたループタイをしていた。私は友達と一緒にいて、「なんかおごってください」ってノリで頼んだら、喫茶店に連れて行ってくれて、コーヒーをご馳走してくれた。ステンドグラスがきれいだったな。でも、先生は私の隣のリサばっかり見ていた。


 別の日に先生と同じ石を探しに、狸小路に行った。ターコイズ。格好いい名前がついているけれど、トルコ石って意味らしい。まっさらな青じゃなくて、ひび割れて他の色が混じってるのが、先生っぽいって私は思う。ループタイもあったけど、私には絶望的に似合わなかった。リサには「ジジ臭い」って言われた。先生のことまでそう言われたみたいで、悲しいような嬉しいような複雑な気持ちだった。先生は、リサのタイプじゃないみたいで安心したんだと思う。


「まーた、そんな格好して……お父さんに怒られても知らないからね」

 私の服装を見て、お母さんがつぶやいた。パーカーの中は、鎖骨が全部見えるパフスリーブのTシャツに、下はオートミール色のスウェット。

「だって、こういうのしか持ってきてないもん」

 昨日も似たような服装で、お父さんに嫌味を言われた。鎖骨くらい良くない? 森って言うから虫対策に足は隠したし、パーカーも着ている。汚れてもいいようにスウェットパンツにスニーカーを選んだ。だから、鎖骨だけ。少しでも大人っぽく見られたいから。

 それはさておき……とお母さんは本題に入る。

「街まで行って、お土産とかスイーツ買わない?」

「私はいい」

「そんなこと言わないで付き合ってよー。退屈なのよー。ここ、何にもないじゃない」

「そうかな。緑に囲まれてると癒やされるよ」

 私は口から出任せを言った。癒やされているのは本当だ。

 今座っているカウチソファだって、このまま眠れそうなくらい快適。なんて贅沢な特等席だろう。私は、先生のことを鑑賞するのに最良の場所にいる。

 うーん……だんだん体勢がだらしなくなってきた……

 先生とお泊まりできて楽しいのに、ときどき切なくて、むなしくなって悲しいんだけど、どうしてなの? 話したら、また、元気になれると思うんだけど、ずっとこの繰り返し。先生に出会う前の日々は、もう思い出せない。今が一番輝いている。

 先生の後ろ姿。まだ寝癖ついてる。ソファで仰け反ると、逆さになる。振り向いて、サンルームの私を見てくれる気配はなさそうだ。お父さんすら夢中で、私たちの方を見なくなった。こんなにだらしなく座ってる私を、先生に見られたくないような、見て欲しいような。

「外、行こっかな。お母さんも、もう少し近くで見ない?」

「え……昨日も遅くまで話してるの聞いたでしょ? ずっとあんな感じだよ?」


 たしかに、昨日、バーベキューの後にダイニングで飲み直したときも、私たちは蚊帳の外だった。たぶん、その分野の話とお互いの仕事の話を、行ったり来たりしていたのだと思う。

 先生は、いろいろ回すのが好きみたいだった。ペンとか、消しゴムとか、ペットボトルとか。少年みたいだけど、頭では、とても難しいことを組み立てている。

 私は階段のあたりでスマホをいじるふりをして、こっそり先生の写真を撮った。何度か怪しまれた気はするけれど、私は何食わぬ顔でやりすごした。二秒も見つめ合えば、先生は閉口して思索に戻ってしまう。縮まらない距離がもどかしい。もっと先生の視線を感じたい。


 サンルームをたたく風の音が聞こえた。飛行機は風に乗れているのだろうか。

「ちょっと見たら、私も街に行くから」

 先生、もしかして、今、笑ってる? 素の先生をもっと知りたい。私が話しかけても、わきまえた大人の顔しか見せてくれないから。そういう意味では、お父さんが羨ましいよ。

 外に出れば思ったより寒かったけれど、土と草の匂いに胸が騒いだ。もっと近くに。青空と蹴った地面の途中にある、寝癖のついた後ろ姿がこっちを見た。

「どうかした?」

 ちょうど遮るように、お父さんが視界に入ってきて、たずねた。

 私の胸はまだ、どきどきしていた。先生と目が合ったかなんて分からないのに。

 お母さんが答える。

「私たち、街に行こうかしらって話してたの」

「ぼくたちもそろそろ出かけようかって話が出たところ」

「あら、そうだったの? 良かった。今日は一日、ほったらかしかと思った」

「先生も乗せていくから」

 先生は申し訳なさそうに笑っていた。驚きっぱなしの私は、どんな顔をしていただろう。


 先生は別のおじさんの車に乗せてもらってここまで来ていた。別行動のおじさん二人のおかげで、先生とのドライブが決定した。

 後部座席に私と先生で座る。私は敢えて、先生の方は見ず、会話も助手席の母へときどき相槌を打つに留めた。

 ポストカードに出来そうな山と大空がずっと続く。どこかで写真の一枚くらい一緒に撮ってもらえないかな。お父さんとお母さんのツーショットのついでに、流れで。何か、分かりやすい思い出がほしいな。

 それから、あの石。やっぱり、買う。ループタイはあからさまだから、ネックレスのほう。今日みたいにデコルテが見える服を着て、先生に見えるようにつけよう。

 先生への気持ちは、きっと、ターコイズブルー。トルコ石ブルーではない。切ないからって、安直に「ブルー」で片付けたくない。「恋患い」も嫌だ。好きに呼ばせてほしい。いつか、名前も。たとえ私には似合わなくても、粉々になっても忘れない。


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しじまに、blue 黒川未々 @kurokawaP31

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