「最初の風景画」

九月ソナタ

 パティニールが描いた風景画

柴田恭太郎さん主催の自主企画。三題噺「息」「予感」「光」の参加作品です。



*

 1520年頃の話である。


 ブリュッセルの工房に、朝の光が差し込んでいた。 画家のヨアヒム・パティニール(1480-1524)は故郷ディナンの風景を思い出しながら、絵筆を握っていた。 


 彼は遠くに見える岩山、蛇行する川、霧に包まれた空を描こうとしていた。

 アトリエの机の上には、先輩のヒエロニムス・ボスが描いた「最後の審判」の模写が置かれていた。


  奇怪な生き物、ねじれた建築、地獄の炎。 だが、パティニールの目は、その背景に広がる風景に向いていた。


「人は、神を描く。だが、神が創った世界は、誰が描く?」

 彼はそうつぶやき、人物を小さく描き、その背景に、空、雲、左側には平和な森と湖、川を挟んで、右側には、燃えている村を描いた。


 それはヒエロニムス・ボスが描いたような宗教的な教訓ではなく、風景そのものだった。これまで、こういう描き方をした画家はいない。

 そんなことをしてよいものだろうか。彼は恐れと迷いを振り払うために、何度も息を吐いた。


 彼が窓を開けて空を見上げると、煙のような雲が流れていて、遠くには、白い光が差していた。

 そうだ。この感じだ。


  彼はイーゼルに戻り、板に描かれていた空の青に、白を重ねてみた。

「この絵は、何かを変えるかもしれない」

 そういう予感はあったが、自信はなかった。


 ある日、すでに画家として名声を得ていたドイツ人の画家アルブレヒト・デューラーが、イタリア旅行の帰りに、パティニールの工房を訪れた。

 そして、彼の 絵を見て驚いた。


「ヨアヒムさん、あなたは風景を描いているのですね。こういう絵は見たことがない。すばらしいです」

 彼が帰った後、パティニールの心は弾んでいた。あの偉大なデューラーが認めてくれた。


 それは「ステュクス川を渡るカロンのいる風景」という絵。ステュクス川とは、地獄の最も深い所を流れる川で、カロンとは、地獄の渡し守のこと。

 カロンが舟で運んでいく人間は小さく、板一面に描かれているのは風景。これが、「風景画の誕生」である。


 この絵は、後にスペイン王フェリペ二世が購入し、現在はマドリードのプラド美術館にある。


              了

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「最初の風景画」 九月ソナタ @sepstar

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