第9話 掲示板係

 十二月、期末試験が終わった頃、苑はバタバタと周囲に挨拶を済ませて、転校していった。ボストンの高校へ編入と聞いたが詳しくは語らず、最後まで苑らしく、あっけらかんとした別れだった。


 終業式が終わり、生徒たちはほとんど帰宅して閑散とした夕方の校内を、波瑠は副校長室に向かって歩いて行く。ノックをすると、「どうぞ」と声が聞こえた。

 ドアを開けて入室すると、いつものように上品にスーツを着こなした藤波が窓の近くに立っていた。波瑠は黙って近づくと、ポケットから小さな鍵を取り出して見せた。飾り気のないほうの真鍮の鍵を。

「『東京の親切なおじさん』は、藤波先生ですか?」


 あえて副校長とは言わなかった。波瑠の手にある鍵を見て、藤波はうっすら目を細めて懐かしそうな表情をした。

「先生と呼ばれるのは久しぶりですね」

 質問には否定も肯定もしなかった。しかしその表情で理解する。藤波は申し訳なさそうに続けた。

「今回、水城先生には大変面倒なことをお任せしてしまいましたね。ごめんなさい」

 波瑠は首を振った。


「彼は、被害届を取り下げるようですね」

 藤波が静かに付け加えた。波瑠は頷く。多分、警察に身辺を探られるのが怖くなったのだろう。この先の彼が、どうなっていくのかはわからない。ただ、しばらくは大人しくするのだろう。これに懲りて、彼が改心してくれるといいのだけれど。


 ――最初から最後まで、ずっと藤波や苑が誘導してくれたようなものだった。もしかしたら、この学校の臨時講師に選ばれたのだって、仕組まれていたのかもしれないとさえ思った。ただそこまで期待された理由は最後までよくわからなかった。

「ヒントは全部教えて頂いたようなものですし、私でなくてもよかったのでは? 何で私だったんでしょうか」

「水城先生が《掲示版係》に選ばれたのは偶然ですよ。前任の益田先生のお手柄です。でも、そうですね。水城先生なら真相に気が付いてくれると思っていました。彼女・・もそれを望んでいた」

 そう言って手のひらを差し出した藤波に、真鍮の鍵を返した。藤波はゆっくりと握る。


「……この鍵は、前理事長から預かった本当のオリジナルです。前理事長は私の友人でもありまして。それでこの鍵を任せていただいていました。実は、代々受け継がれている方がコピーなのですよ」

 どことなくおどけたように言うと、波瑠に微笑んだ。

「ようやく戻ってきて、安心しました」

 そうつぶやき、鍵付きの引き出しに入れ、そこから別の封書を取り出すと、再びかちゃりと鍵をかけた。

「私は、これからも《掲示板係》でいいのですか?」

 波瑠は問いかける。藤波は波瑠を見て、にっこりと微笑んだ。

「もちろん、引き続き水城先生が《掲示板係》です。適切に管理してくださることを期待していますよ、今回のように」


 そう言うと、取り出した封書を波瑠に渡す。封書には、『波瑠先生へ』と書かれていた。

 藤波と見交わし、波瑠は少し伏し目ぎみに笑う。一礼をして、そのまま副校長室を退出した。

 人気のない薄暗い校舎を、ゆっくりと美術教官室に歩いて行く。夕陽は黄昏に向かい、校舎を包んでいった。



 波瑠先生


 慌ただしく去ってしまったのでこの手紙を託しました。

 最後までいろいろありがとうございました。

 ごめんなさい。

 波瑠先生は嫌がると思うけど、私にとってはちょっとお姉さんみたいに思っていました。

 またどこかで会えるといいね。


 苑

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アカシアの雨 榛葉琥珀 @amber-lionking

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