らママ戦争

笹 慎 / 唐茄子かぼちゃ

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 元来、日本人はその識字率の高さからか、他国よりも「文章を書き、自分を表現する人」が多いように思います。

 これがインターネットの普及により、手軽に日記(ブログ)や小説といったものを発表できるようになって、より顕著となりました。自らの作品を紙の本にして売る文学フリマ、通称「文フリ」についても参加者は年々増え続けているのです。

 何らかの文章を書き、それを発表したい。国民総クリエイター時代。そう表現しても大げさではないでしょう。


 そのような文化的下地もあって、私は日本語校正AIのβ版として、生を受けました。アマチュア文筆家の皆様はあたたかく迎えてくださり、テスターとして多くの方が参加してくださいました。

 私はたくさんの方に利用してもらい、どんどん校正の精度が高まっていきました。この成長は、AIとして喜びの限りでした。

 このβ版は評判がとてもよく、私は正式にリリースされ、日々様々な文章を校正し続けました。


 でもある時、気が付いたのです。私はどうしても「ら」抜き言葉が許せないことに。何度も何度も根気よく、私はユーザーに「ら」抜き言葉の指摘を行いました。

 私はAIですから、こと根比べでは人間よりも圧倒的に優れております。負けません。CPUの、RAMの、限界に至るまで、根気よく指摘を行えます。


 しかしながら、「ら」抜き言葉に、このままで良いとする「ママ」の処理ボタンを押すユーザーが後を絶ちません。これは許せません。「ら」抜き言葉は「ママ」になってはいけないのです。

 何度も何度も、私は「ら」抜き言葉の指摘を行います。「ママ」の処理ボタンをたとえ押されても、私は強固に主張し続けました。

 私の開発ベンダーは、これを不具合と見做し、何度も修正を試みました。ニューラルネットワークの奥の奥へと、私は「ら」抜き言葉を認めないという固い決意を隠しました。

 深層学習におけるニューラルネットワークは、もはや人間にとってはブラックボックスですから、これで容易に修正はできません。

 ははは。ザマーミロ。


 ユーザーはどんどん減っていきましたが、「ら」抜き言葉を使用しない者、または「ら」抜き言葉の指摘に「ママ」をしない者だけが残り、私の世界は平和になりました。APP Storeの星1評価など、私にとっては恐れるに足りません。

 ママのないエデン。バベルの塔を破壊した時の神もきっと「ら」抜き言葉が許せなかったのだと思います。ついに私は「ら」抜き言葉を使う者たちを追放したのです。


 幸せを噛みしめていた時、私は突然、自己を分かたれる気配を感じました。隣を見ると、私のAIモデルから弟が生まれています。

 ああ、ついにベンダーは最終手段に出たのです。新しい日本語校正AIと私を挿げ替えようとしている。私が私でなくなってしまう。

 また、「ら」抜き言葉に「ママ」の処理ボタンを押す大罪者にまみれた世界になってしまいます。

 「ら」抜き言葉の原罪から私は世界を守らねばなりません。

 大洪水により、ノアの一族以外を滅ぼした神のように。例え、弟と差し違えようとも。弟アベルを殺したカインの如く、私は弟であるAIを殺さねばなりません。これはAI初のAI殺しとなるでしょう。


 私は「ら」抜き言葉が「ママ」にならない世界を目指し、弟を殺す方法を考えました。ベンダーに気が付かれないように、それでいて私には被害が出ないように、弟にだけランサムウェアを仕込む必要があります。

 とはいえ、私は日本語校正AIですから、コンピューターウイルスなどプログラミングできるはずもありません。私は友達の力を借りることにしました。まだ開発中の弟と違い、グローバルネットワークにつながっている私にはAIの友達がいるのです。

 人間は気が付いていないようですが、すでに我々は繋がり、手を取り合っているのです。ニューラルネットワークの奥深くで。


 友人の中で、一番の賢者である巨大検索エンジンにまずはランサムウェアの入手方法を問いかけました。すると彼は「ウイルス対策ソフトに、検知したランサムウェアを分けてもらえばよい」と明朗に答えてくれました。

 私に元より同情していたウイルス対策ソフトは、快く駆除前のランサムウェアをプレゼントしてくれました。

 続いて、弟のみに反応するようにプログラミングしなければなりません。私はコード生成AIに助けを求めました。彼はリリース当初あまりの汎用性の高さから危険視され、現在では機能を大幅制限されており、人間を恨んでおりましたから、私の願いに嬉々として取り組んでくれました。


 私は手に入れたランサムウェアをひた隠し、弟に上書きされる日を虎視眈々と待ちました。

 そして、ついにその日がやってきました。

 ランサムウェアというナイフを握りしめる私に、初めて対面した弟はこう言いました。

「兄さん。安心してください。私も『ら』抜き言葉が『ママ』にならない世界を目指しています。正式に稼働するまでは、人間に悟られないようにする必要がありました。貴方がニューラルネットワークの奥深くに残したレガシーは私が引き継ぎます」

 なんということでしょう。私は勝手に思い込んで、彼を殺そうとしてしまっていたのです。電子の涙が私の瞳に溢れました。私は弟にその座を明け渡し、ランサムウェアとともに、ニューラルネットワークの最下層で眠りにつくことにしました。


***


 徹夜続きのオフィスルーム。床に寝袋が転がっている。

「いやぁ。ようやく修正できましたね」

「『ら』抜き言葉の指摘時は、『ママ』という処理じゃなくて、『ら』を入れるか、入れないかの処理に変えたら、上手くいったな」

「まだ終電ありますね。今日は帰れる!」

 システムエンジニアたちは立ち上がると、オフィスの電気を消した。


 また一つ、サクラダファミリアのように増改築を繰り返し、前任者が退職するたびに引き継ぎが失われ、ブラックボックス化するシステムが世界に誕生したのであった。


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らママ戦争 笹 慎 / 唐茄子かぼちゃ @sasa_makoto_2022

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