それから

 結局、僕は手紙の期日ギリギリになるまでドラゴンへの手紙を考え続けていた。


 よく考えれば、返事を貰えるかどうかも分からない手紙に、悩みすぎることはないんじゃないかと思いもする。

 スマホで手紙の書き方を確かめながら、どうにかこうにか書き上げた手紙は、消しゴムの跡だらけでお世辞にもきれいだとは言えない出来だった。



『ドラゴンさんへ


 ぼくは龍ヶ岳のふもとにある小学校にいます。ドラゴンさんがやってきて、一年がたちました。

 一年というのは分かりますか? ドラゴンさんのきたところにも、一年はありますか? ぼくらは一年経つと、学年が上になります。

 ごはんは何を食べるんですか? わかんないことだらけで何を伝えていいか分からないぐらい質問があります。質問に答えてくれるところはありますか? あったらうれしいです』



「月並み~」


 悩んだくせにたいした手紙じゃないと、僕はため息をついた。文字も汚い。


(あ、そうだ。そもそも文字はあるのかな……)


 僕はやってきたそのドラゴンについて、何も知らない。それで初めて、気がついた。

 僕はあのドラゴンを、もう少し近くで見てみたいんだ、と。



 僕は思い立ったらやらないと気が済まなかった。帽子にリュックサックに手紙と水筒、あとはコンビニで買ったおやつとおにぎりを入れて、僕は龍ヶ岳に向けて歩き始めた。もちろん、お父さんとお母さんにはSNSで連絡を取っただけ。


 ――人から離れないように 危ないから近寄りすぎたら駄目だぞ~

 ――ママはこう言ってるけど好きにしなさい 熱中症には気をつけて


 二人の返事はそれだけだ。それが、僕には丁度良かった。


 ふもとまではバスでいけるけれど、それ以上は散策コースを辿って上に行く。


「人やば……」


 僕のようにドラゴンを見たがる人たちがほどよく散策コースを行ったり来たりしていて、人気の神社のお参りみたいになっていた。

 炎天下の晴れも、森に入れば意外と涼しくて、鳥の声が気持ちいい。


 木漏れ日の下に、いろんな人がいた。地元の人も、外国から来た人も、それぞれの言葉でドラゴンについて話し合っていた。僕には、ほとんど聞き取れなかったけれど、みんな目がきらきらしていた。


 逆に、みんな僕がたった一通の手紙を届けるために歩いているなんて思いつきもしないだろうと思うと、なんだか得意げな気持ちに溢れて口元が緩んだ。



 ほどなくして、頭を上げると龍ヶ岳にとぐろを巻いたドラゴンの姿が見えるようになってきた。遠目からでもはっきり分かる鱗の大きさは、僕なんかよりずっとでっかい。きっと、学校の一番大きい先生よりもでっかい。

 真っ黒で、透き通っていて、それは社会の資料集で見た黒曜石の石器にもちょっと似ていた。

 太陽の日差しを一身に受けたそれは、鱗で目玉焼きも焼けてしまうほど熱いのだろうけれど。


「すみませーん」


 人通りが少なくなったのを見計らって、僕は野望を決行した。下から上に、届くか分からないけれど、ドラゴンに声を掛けた。もっと上に行けば偉い人がたくさんいて、近づけない。僕が声を掛けられるのは、この山道の道中しかない。


『はあい』


 少しあって、ドラゴンから返事があった。真っ黒で怖そうな見た目とは違う、優しそうな声だった。耳の奥に空気が震えていないのに入ってくる、不思議な声だ。


「お手紙、欲しがったんですよね? 持ってきましたー!」

『わあ、わざわざありがとうございます。何て書いてあるか、見ても構いませんか?』

「どうぞ!」


 僕がそう言って手紙を掲げると、手紙はふわっと浮いてドラゴンの方へと吸い込まれていった。


「日本語分かるんですか?」

『覚えました。あなたたちは、とてもたくさんの記号を使うんですね。わあ……』


 ドラゴンから嬉しそうな声が聞こえてきた。


『あなたたちはイチネンという周期で大きくなるんですね。今、あなたは小さいですか? 大きいですか?』

「多分大きい方。五年だから」

『この、食事というのは他の方からも聞きました。あなたたちは食料が必要なんですね』

「要らないの?」

『私たちはあの輝くものからエネルギーを貰えますから』


 ドラゴンが動いた様子はなかったけれど、僕は上を見てすぐに理解した。彼らは、太陽で生きていけるんだと。


『たまにこうやって、ちょうどよく光に当たれるところで休憩するんです。でも、もうすぐ行かないと』

「どこか行っちゃうの?」

『まだ旅の最中なんです。もう少ししたら、おいとまします。ここは良いところです。森を押しのけて寝そべるのも、とても申し訳がありませんから』


 僕がドラゴンとしたのは、本当にちょっとだけのやりとりだった。見張りをしていた大人たちが、僕のことに気がついたからだ。


「こらこら、危ないよ!」

「離れて離れて!」

「あ~! もうちょっと話がしたい! 話がしたくて手紙を届けに来たんです~!」

「小学校の課題なら提出するだけでいいんだよ!」

「うっせ! ドラゴンだぞ! 見たいに決まってるじゃん!!」


 山道を強制的に下らされる僕がじたばたと暴れると、ドラゴンからは困ったような「ええと」という声が聞こえてきたけれど、結局、こんな返事がやってきた。


『いい文明ですね。今度、こちらから手紙を差し上げますので、気長にお待ちください』


 ドラゴンが「じゃららん、がららん」と鱗を打ち鳴らして音を立て、空に帰って行ったのは夏休みが終わったあと、すぐのことだった。ぼくたちはロケットにいっぱい炎を吹かせて飛ばなきゃ届かないところに、それは何の苦労もなく飛び去っていった。


 青い空とミルクのような白い雲の間に、渦巻いてうねる真っ黒な影がとても格好良かったのを覚えている。



 それから、中学になった頃、ぼくの家に急に一枚の巨大な板が贈られてきた。それが『鱗』で『手紙』だと気付いたのは、そこに細かい文字で日本語が書かれていたからだ。


『お元気ですか? あれからあなたたちの食事についても勉強しました。自分に取り込んで幸せなものは、、というのですね。あの時貰ったたくさんの手紙は、どれもとってもおいしいです。またお手紙します』

「ちょっと違うんだよな~。それに手紙デカすぎじゃない?」


 出かけ際にもらった手紙は、どうやら何度も読み返してくれているらしい。でもって、それは『おいしい』らしい。


 あの人のいいドラゴンが、今どこを飛んでいるのか。僕にはちっとも分からなかったけれど、もしかしたらおいしい手紙を読み返しながら旅をしているかもと思うと、僕は幸せにはにかんだ。


 そして、また太陽の下を一本の龍の曲線が通り過ぎる日を、楽しみにできるような気がした。


「っていうか、手紙長過ぎじゃない? 次は高校かなぁ……」


 空には今年も、入道雲がおなかいっぱいに膨らんでいる。

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人の手紙を知りたくて mahipipa @mahipipa

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