嘘の顔
songdancer
白と銀のグラデーション
来てしまった。ユリは憧れの日本についた。誰も誘わなかった。ユリが日本で新しい人生を開きたくて結婚仲介業者を通してくることができた。山形県の最上町という冬景色が驚くほど白と灰色のグラデーションで地味で、何か昔の趣が醸し出される所の奥までついた。
仲介者の道子さんが仙台空港まで迎えに来てくれて、車で約2時間かかって最上町に入った。ひんやりしている空気を吸いながら、古いアパートに入った。道子さんが韓国からお見合いに訪れる女性たちを泊まらせる貸家だった。すでに二人の女性たちが世話になっていた。簡単にあいさつを済ませて、荷物をほどくユリに中年に見えるシュッキという女性が声をかける。
「まだ若いのに、なぜこんなド田舎まで来たの。韓国のどこから来たの?」
「ソウルです」
「何歳なの?」
「25歳です」
すると隣でテレビを見ていたヒソンという女が声を上げる。
「お前、バカっか。まだ若いのになぜここに来たの。いくら大変でもソウルではいいチャンスがあるのに。さっさと帰ったほうがいいよ」
ユリは黙り込んだ。自分はただ誰もわからない新しい居場所が必要なだけなのだ。
翌日、ユリ、シュッキ、ヒソンはそれぞれお見合いのために、山形県の隅々まで行くことになった。ユリはソウルで大学を卒業し、若いという条件から30歳の若手事業者と出会った。男は気難しい顔で不愛想だったが、結局ユリが気に入らないと断った。理由は若いから信用できないということ。
ユリは簡単な日本語しか知らない。あいさつは言えるが、ほとんど無知の状態だ。それぞれお見合いを終えてアパートに戻ったユリ、シュッキ、ヒソンは夜ご飯を食べながらお見合いで出会った男性について話の花を咲かせている。
シュッキは新庄市の工場で働く45歳の男性をとても気に入って結婚したいと言った。シュッキは46歳で、ふっくらとした顔をしており、愛想がよくて愛嬌があった。ヒソンは最上町で会計士をやっている無口な男性に会ってすぐに結婚を決めたと自慢した。ヒソンは45歳で韓国の仁川で美容師をしているという。ヒソンは背が高く、痩せているが、女性らしい物静かな雰囲気を持っていて、いい印象を与えている。
キムチチゲを食べながら、ユリは何も言わなかった。翌朝は大雪で真っ白な世界になっていた。ユリは窓越しに見える白と銀の幻想的な世界に心を奪われ、ここに住みたいと誓った。
今日は、最上町で農業と建設業をやっている男に会った。男は背が高いけれど可愛い顔でシャイだった。仲介者の道子さんが通訳してくれて、男は43歳で普段は米作りをしており、傍ら親戚の建設会社で働いていることが分かった。18歳の年の差は問題ないと思った。百合はともかく、韓国という現実から逃げ出したいと思い、逃げ場が必要だった。
賭博と女遊びで浸っていた父親、警察官というのにいつも金に苦しんでたまに家に帰って来ては金を出せと罵り、母親に暴力を振った。ユリは父親が永遠に消えてしまってほしいと内心祈った。
韓国はいや、世界はSNSの普及により、外見至上主義が広まっている。奇麗とは程遠い、地味なユリは男にモテなくて、大学生時代にはシャイな内向的な性格も加わって全然付き合いがなかった。
学歴社会の韓国で、普通のレベルの大学に入ったユリにとって就職も大変なハードルだった。高校時代は、勉強が嫌いだった。しかし、英語とフランス語は得意で好きだったユリはフランス語をもっと学びたいという夢を持ち、第一志望でフランス語学科を受けたが、見事に落ちて、第二志望で経営学科に入った。地味な何もない自分にふさわしい大学で入れた。
外見、家柄、学歴など何も有利な点がなかったユリは、韓国では幸せになれないとつくづく気づいた。いろんな理由でうんざりになったユリは、日本で結婚できるという地域新聞の広報の宣伝文句に乗り、日本に来た。異国に憧れて新しい人生を開きたいと願った。
ユリは一週間の滞在の予定で飛行機チケットを取ったので、2回目で紹介された43歳の佐藤という男と結婚すると咄嗟に決めてしまった。初印象と勘に従って直ぐに決めちゃった。シュッキは慎重な性格で3回も日本に足を運んでやっと気に入った相手に出会えたと言い、ユリにもっと時間をかけてゆっくり選んでほしいとも忠告した。でも、ユリは再び日本に来られる時間的にも金銭的にも余裕がなかった。ヒソンはユリが勿体ないと思い、暗い顔になった。
日本に来て5日目に結婚を決めたユリは、何も深く考えずにやってみてダメなら、次の方法を決めればいいと考えた。深く考えたら何も進めなくなると恐れ、実行すること。それがユリの生き方、もしくは得策ともいえる。
韓国へ帰る前、ユリと佐藤は結婚の手続きに必要な手順を相談した。ユリは韓国へ帰ったら、母親にどう説明するかを悩んだ末、ただ、仕事で日本へ行くことにすると思い付いた。
ユリはアメリカに行きたかった。正確にいえば、アメリカ人と結婚したかったけれど、術が見つからず、日本人との結婚を決めた。まずは、日本人と結婚して、白人に会うことにすると内心思った。
ユリは韓国人の男性が苦手だ。気ままで外見で判断する獣臭い男だからいやだと思っている。実はすべての韓国人の男性がそうではないとは思うけれど、だいたいの若い男はそうだったからそう決めつけた。本当に理屈のない偏見だ。女子中学校と女子高校を卒業して、共学の大学に入ったユリが男の学生たちに接して感じた感想は男は美人に優しいし、弱いとのことだった。どの国も同じだとは感ずることができる。
韓国へ帰ってきたユリは母親に結婚のことを話した。本当はすべて嘘だが、ユリは先輩の紹介で知り合った日本人と結婚すると話した。母親は心配でいろいろと訊いてきたが、ユリは適当に作り話をした。父親は3か月も家に帰ってこないので、父親には話さなくてもいいと思ったユリは、兄弟にも嘘をついて日本へ行く準備を進める。
友達もいなかったユリは荷物を両手に持って日本へ渡った。飛行機の中でさようならと胸の奥で囁いて、過去の自分を捨てることにした。
佐藤家は厳しかった。もっぱら、田舎の慣習を引き継いでいる堅苦しい家だった。日本語をわからないユリは姑の指示に従って働かされていた。姑は厳しい人で、女なら、お嫁なら、犠牲なる者だと一日中、仕事をやらせた。
夫、佐藤は無口だった。必要最小限の言葉しかたせない人で、仕事三昧だった。姑は4月の春に結婚式を挙げたいと言い出した。でも、ユリは結婚式を断った。お金が必要だから、式の費用をいただきたいと夫に頼んだ。びっくりした夫は何も言わずに、わかったと頷いた。結婚式をしないことになったと言われた姑は機嫌を損ね、ユリに冷たい態度を取り始めた。
冷たい緊張の幕が張られている空間でユリは黙々と家の仕事に専念しながら、テレビを見て日本語の勉強も励んでいる。ユリは夫に家の事情が悪いので、お金が必要だと言い、式の費用を含む5百万円のお金をもらった。ユリはアメリカに行く準備を着実に進めていた。
ユリの夫、佐藤は清廉な顔に不釣り合いに性欲が旺盛でよく閨をともにした。けれど、ユリは注意深く避妊をした。姑は結婚式は諦めても早く孫の顔が見たかった。でも、ユリは子供は孕みたくないと思った。
男の経験がなかったユリは夫と体を重ねるたびに、本能的な快楽を感じるようになり、夫との閨事が好きになった。しかし、シャイなユリは消極的に応じることしかできない。
時間は誰も待ってくれない。理由を聞くなどの配慮もなく、過ぎて行ってしまう。結婚して一年がたち、ユリも日本の生活に慣れてきた。いつも静かに本を読んだり、テレビを見ながら日本語の勉強をしているユリは、日本語を上手にしゃべるくらいの実力が伸びた。
姑の冷たい態度は相変わらずだが、ユリは自分の仕事をきちんとこなした。子供ができないことに心配になった姑は神社に行って祈りを捧げることが日常になった。ユリは夫をよく観察している。純朴な外見とは違って、とても情熱的な遊び心の持ち主の夫は、音楽が大好きで、2階の奥の部屋に専用の音楽鑑賞室まで作ってしまった。また、東京で開かれる有名な歌手のコンサートを見に、よく新幹線に乗った。
来日して2年目、結婚して2年目、ユリは夫の紹介で新庄市の貿易会社の通訳者としてアルバイトを始めた。新庄市には、大手半導体製造工場があって、そこで訪れてくる取引先の韓国人の通訳を任されることになった。語学力が優れていたユリには打ってつけの仕事だった。
ユリは姑と夫だけの3人暮らしで、始めは気難しかった姑も今は仲良くなり、無口な夫は変わりはないが、ユリが年に一回韓国の実家に帰るたびに、夫は少しのお小遣いをくれた。ユリは韓国に着いたら、アメリカの語学研修のプログラムを調べていた。いつかは日本を出たいと思っている。
子供ができないまま月日は過ぎてゆき、ユリは日本での3年目のクリスマスを迎えることになった。夫はコンサートのために、3日間東京へ行くと言い、楽しみにしていた。
ユリは誰とも友達になれず、会社でも週に三日だけのアルバイトでほとんどの時間は2階の寝室で過ごしていた。夫は、初めは子作りで熱心だったが、1年たったら、閨事を全然しなくなった。長男で一人子の夫に子供がなかなかできないことを焦るのは姑のみだった。
二人の仲はセックスレス生活が当たり前で、お互いに無関心になり、夫は仕事と趣味に夢中だ。一方、ユリは仕事に専念し、着実にお金を貯めていた。
クリスマスのコンサートを狙って東京に行った夫は予定より、二日遅く家に帰ってきた。でも、一人のはずの夫は後輩と言って、奇麗で華奢な男を連れてきた。姑はその男を見る途端に顔が青白くなって、血の気が引いた。
後輩は同じ大学の出身で、33歳の片岡伊介という。夫とは随分年が離れているけれど、どんな経緯で親しくなったのかが気になったユリだが、姑の凍りついた態度を察して訊くことはできなかった。
その後、夫の後輩の片岡さんとの気まずい生活が始まった。片岡は2階のお客様の部屋を奇麗に掃除して、大きなトラックで運んできた荷物を整理した。元々きれい好きな姑の性質でお客様のへやはもちろん、家は隅々まできれいに保たれていた。
片岡は朝7時に決まっている朝ご飯の時間には現れない。夫が8時に出勤し、10時になるころにキッチンに入って一人で簡単なサラダを作って食べている。昼は食べないみたいで、午後5時になると、1階のキッチンに来て、姑の手作りのみそ汁と納豆と漬物で済ませている。
片岡は本当にきれいだ。女のユリがみても、うらやましいと思われるほど、白い肌で大きな目を持ち、肩まで伸びた淡い茶色のサラサラの髪は女性だと勘違いされるほどだ。片岡は夫以外には誰とも話さない。姑はまるでこの家で片岡を幽霊のように無視している。
大晦日が過ぎて新しい年を迎え、新年の長い休みの間、片岡は全然一階に降りて来なかった。夫が食べ物は妹と甥に気づかれないように、密かに2階の片岡の部屋に運んだ。山形市に暮らしている夫の妹が一人息子を連れて遊びに来たけれど、姑も夫も片岡の話は全然しない。妹は離婚して中学生の息子と二人暮らしで、山形県立病院で神経外科医師として働いている。妹も無口で物静かな人で、甥も無口で大人びていた。
妹は大晦日と元日を挟んだ3日間だけ1階のお客様の部屋で泊まって、片岡の存在に気づかないまま、息子と山形市に帰ってしまった。
片岡と同居してから、夫はユリと一緒に寝なくなった。夫は、風呂上がりしてから、夫婦の寝室に入ってユリに挨拶だけし、後輩と話があるから後輩の部屋にいると言い残し出て行った。
ユリは夫に無関心だったから、何も気にしなかった。でも、いつからか、夫は夫婦の寝室に全然顔も出さず、片岡の部屋で過ごした。
陽気に満たされる春になり、ユリはアメリカの留学のために、夜も惜しまず英語の勉強に励んだ。深夜1時、いつもならぐっすり寝る時間だが、なかなか寝付けないユリは2階のお客様の部屋の隣の浴室に行った。いつもは12時前には眠りにつくけれど、コーヒーを飲みすぎて眠れない夜だった。浴室は明かりがついていて、夫と片岡がシャワーブースで息を切らしながら、体を重ねていた。
二人ともあまり熱中していて、ユリに気づかない。暫く突っ立ってみていたユリは静かにドアを閉めて1階のトイレに向かった。のどが詰まるようなもやもやした気持ちを抑えながら、トイレまで歩いた。
その日を境に、ユリは喋らなくなった。そのまま日月は過ぎて春の満開の桜が舞い落ちるころ、ユリは勇気を出して姑に夫と片岡の関係について訊いた。
姑はユリの釣りあげている目を凝視して淡々と話しだした。夫は東京の大学の入試のために、東京の叔父さんの家にお世話になったころ、叔父さんの隣の家が片岡の家だったそうだ。入試センター試験が終わり、時間に余裕のあった夫が隣の家の小学生の片岡とよく遊んであげていたそうで、東京の大学に合格して大学の寮に入った後でも二人はよく会って遊んだそうだ。そのまま時は流れ、29歳になっても結婚しないでいた夫を無理やりお見合いをさせたら、大学生になった片岡に恋心を抱いた夫は片岡を連れ去って家出をしたそうだ。それで、しばらく両家は大騒ぎになって捜したが、突然2週間後に現れた二人は両思いだと付き合っていると打ち明けた。その時、同性愛を猛反対した父親が倒れて病院に運ばれたが、脳出血でなくなり、東京で働いていた夫は片岡と別れて最上の実家に戻ってきたそうだ。しかし、夫は全然結婚の意欲がなくて、結婚話を振ったら、すぐに怒ったり、席を立ったりして、姑は困ったそうだ。時間は流れて、夫は43歳になり、姑はこのまま跡継ぎがないまま死ぬことはできないと思い、子供を授かってすぐに離婚してもいいから、まずは子供ができたら、片岡との関係を認めてあげると提案したそうだ。
ここまでの話を静かに聞いていたユリは、なぜ夫がお見合いの時、「子供を生んでくれる女性ならいい」と言い、何も質問しなかったことの真相がわかるようになった。
自分だけじゃない、夫も自分を利用した。怒りも込み上げて来ないままユリは黙り込んだ。ユリは自分が子供を産まないから、そろそろ離婚するしかないと思う。その夜、ユリと姑と夫と片岡は初めて4人揃ってお茶を前に話し合った。夫はユリに何も謝罪しない。夫はユリが避妊してアメリカの留学準備を密かにしているのを察知していた。
片岡はごめんなさいと言いながら、涙を零した。姑は一言も言わない。夫は自分は一生片岡だけを愛してると言い、離婚を早くしたいと話した。ユリは夫の言うことが正しかったので、何も言わず、仕事を辞めてすぐに韓国へ戻ると静かに言った。終わりだ。
嘘の顔 songdancer @soulsong
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます