第7話 存在の行方

「オババ」


入り口で名を呼んだ。


気配で洞窟が荒らされていないことがわかった。

だが何かの気配に私は足を止めた。


ううっ、と呻く声がする。


犬か? 


ぎょっとして後じさると、続いて咳払いが聞こえる。


「オババか?」


急いで中へ入り、中を照らすために熾火 おきび を取り小さな松明に火を移した。

声のする方向へ火明かりを向けた。


果たしてオババがいた。


うずくまっている。


「怪我をしているのか?」


駆け寄って抱き起こすと、額は血だらけで手足も火傷を負っている。


「大丈夫か?」


ゆっくりと頷くオババの目を見てしまった私は胸の内にいいようもない苦いものが広がっていくのを感じた。


正気の目を見てしまったのだ。

気弱なただの年寄りの目だ。


「わかるか? わたしがわかるか?」


オババは薄目を開けたまま、また素直に頷いた。


「火付けに気付かなかったんだな」


「恐ろしくてなあ」


「そうか」


「恐ろしくてなあ」


「そうか、動けなかったか。柱で頭をやられたんだな。村の連中に姿を見られたのか?」


オババは難儀そうに目を閉じた。

私はオババを抱きかかえていることに気付くと、


「すまない、病気がうつるな」


と、手をそろそろとオババの体から外した。


ごろりと茅の上に転がったオババの手がゆっくりと合わされ私を拝んでいる。

目はしっかりと閉じられたままだ。


火傷がひどいのか、それとも打ち所が悪かったのか、相当に弱っているようだ。

あるいはオババの正気がオババを打ちのめしてしまっているのかもしれない。


水瓶の水を鍋に取ると、燃えている火の上に置いた。


パチパチと薪の燃える音が静かな洞窟でただ一つの音を立てていた。


私も疲れ果てていた。

息の喘ぎがなかなかおさまらない。

体の傷も膿みも苦にはならなかったが、なにより息切れがこたえる。


ますます周囲が静かになると、私の息切れとオババの吐く息とが混じり合い、洞窟内に小さな獣の蠢めくような音を広げた。


鍋の湯がぐつぐつと音を立て始めたので、それを鍋から下ろし冷ます為、そろそろと用心に用心を重ねて洞窟の外へと出た。


月明かりが浜辺を照らしている。

皓々とした月明かりだ。

フクロウやリュウキュウアカショービンの鳴声が森の中で姦しい。


オババの怪我はどうやらたいしたことはなさそうだ。

正気に戻ってしまっているのだ。

オババを正気に戻してしまったのは私だ。


調子の外れたオババなら、村人の火付けくらい気付いてとっくに逃げていたはずだ。

私が遠ざかって以来、あの調子だったのだろうか。

そう思うと、胸が詰まった。


七恵は大丈夫か、母は大丈夫か。

程を知って行動すればよいものを、己の程以上に動き回った罰があたったのだ。


オババは、何より程を知っていたではないか。

だが七恵は、私がいなければ溺れていた。


神がいるとすれば、あそこへ行ったのも何より神の思召しというものではないか。


寄せては返す波の音が、昼間起こった事を嘘だと諭すように静かだった。


しかし、昼間起こった事が白昼夢でなかったことを、その後、私とオババはすぐに味合わされたのだった。


醒めた湯を気付けの為にオババに飲まし、その後、足りない薪を取りに表に出た私は、遠くで揺れる幾つもの松明を目撃した。


「オババ、起きろ」


うっすらと目を開けたオババは、まだ正気の目をしている。


「村の連中だ、早くしろ」


いいや、とオババは首を横に振った。


「頼む、オババ」


オババは起きようともしない。


「頼む、娘の為だ。娘に今日、会ってしまったのだよ。クンチャー村へ一緒に行ってくれ頼む」


ゆっくりとオババが起き上がった。


「ここにいたのが私とわかれば、今度は娘が村を追われる。頼む、オババ、追われるのは私一人で十分だ」


私の言葉が終わる頃には、オババの体は完全に起き上がっていた。


オババは、本を次々焚火の中へ放り投げた。

周囲にあった着物も私の持ち物とわかるものは全て焼くつもりのようだった。


それから、私の腰から水筒をひったくると、鍋の中の湯を注ぎ入れ、それを私の腰にもう一度括り付け、膿みだらけの私の手を引いた。


「うつるぞ」


だが、オババの手はそのままだ。


いつのまに盗んでいたのか、洞窟の向こう側のゆうなの大木の下にサバニ(くり船)があった。

きれいに茅や葉で覆われて隠されてあった。


オババの動きは素早かった。


私をサバニに乗せると、海上へと押した。

潮が腰半分に浸かるまでサバニを押し続けた後、勢いよく乗り込みサバニに置いてあった竿を挿す。


丁度、松明の集団が、長いこと私の住まいであった洞窟に入り込むところであった。


追われて逃げるのではない。


皓々と月明かりに照らされて、オババの漕ぐサバニはまっすぐにクンチャー村のある小島へと向かっている。


舞い戻ることになってしまったオババの顔は、と見ると、異様に光った目をしてまっすぐに前を睨み、後を睨みと無駄がない。


追われて逃げるのではないが、これで七恵に会うことはもうないだろう。

そう思うと、とうに諦めていたはずなのに、昼間見た七恵の姿が私を苦しめていた。


正気じゃないオババの見事な竿さばきが、そんな私の気弱を強引に前へ前へと連れていく。


後ろ姿に、私は目を閉じて手を合わせた。

あんたのおかげでまだしばらくは生きていけそうだ、と手を合わせて私はオババを拝んだ。


松明の群れには暗い海に漂う私たちの姿がどうやら見えないらしく、松明は浜を右へ左へと散りだしていた。


探せばいい。


追えばいい。


死ぬ時が来たら死んでやるよ、と私もオババのように正気の外へ行くことの楽を思い始めている。

どう存在しようと、己のことは己が始末することなのだ。


風は追い風になり、やがて目指す島が近付こうとしていた。


              (了)

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