第6話 逃げる森、焼けた小屋

猪も通らないのだろう。

木々が乱雑に生い茂っている。


七恵の事が頭を離れていた。

オババの小屋へ足よりも先に気はすでに飛んでいる。


この辺りは健康であった時でさえ、足を踏み入れた事のない所だった。

目隠しのうえ、ぐるぐる回転させられポンと放り投げられたら、右に行けばいいのか、左に進めばいいのか、まったく検討もつかない。


指に唾をつけ風向きを確かめた。

洞窟を出る前に確認していた。

風は南から吹いていた。


小屋の方角を読んだ。東に向かえばいい。

東へ東へと、行く手に大木があろうとも、その隙間をぬって前進する。


ひとたび右へ左へと方向を間違えば、小屋へ辿り着けないどころか、日の高いうちに森を抜け出ることすら難しくなる。

もっとも森の中は大木が陰をつくり重なっている為、まるで夕方のように暗い。

しかし、慣れれば木の陰は本当の闇ではなく、足は不自由でも動きは次第に勘を取り戻し、杖という三本目の足で意志を十分に補い始めている。


オババにとっても私にとっても、再び追われるということはただ事ではない。

村の人間が思うように、病人ならクンチャー村でおとなしく暮らせというわけにはいかないのだ。


人の中に混じれば混じるほど孤独は増す。

家族と離れ、世を捨てている人間の無念など彼らにわかるはずもない。

洞窟に一人いる方が少なくとも私にとっては孤独ではない。

小屋に一人住んでいるオババもたぶん同じなのだろう。


オババに無性に会いたい。


村の男たちは小屋の存在を知っていたのだ。

オババもまた追い払われるというのか。


急がねばならなかった。

だが情けないことに不自由な足はすぐに疲れてしまった。


杖は所詮、杖。体の一部ではない。

丈夫なクロ木で作ったオババにもらった杖であったが、それを扱っている右手に痺れがきて、いつのまにか転げ落ち、見つけようにも仲間の木々に埋もれてしまい、どうにも見つからない。

しかたなく丈夫そうな枯れ木を一本代わりにした。


体は疲れ果て、息はぜいぜいと悲鳴をあげている。

倒れこむように木の幹に腰を下ろした。

腰の水筒に手を伸ばしたが、海水が混ざってしまっていたことに気付き、手をつけるのをやめた。


ようやく気が七恵に向いた。


私の事が知れれば村八分にあうのではないか。

いや、そんなことはない。私の知っている村の連中はそう悪い人間はいない。


この病が悪いのだ。


彼らだって私やクンチャー村の人間が嫌いなわけではなかろう。

子供や自分に感染させられるという恐怖が、私たちを追い払うのだ。


七恵に触れたわけではないが、七恵はこの水筒に触れた。

大丈夫だろうか。

しかしあの時、居合わせなければ七恵は溺れていた。


あれで良かったのだ。

なに、水筒だって海水で十分に洗い流されて綺麗なはずだ。

潮は消毒する。大丈夫だ、あれで良かったんだ。


そう自分に言い聞かせてみたが、やはり胸のうちに気になるものが潜んでしまった。


七恵が発病することを考えてみること程、恐ろしいことはない。

娘までが顔がこうなっていいはずはない。

そこまで神は私を試したりはしないだろう。


だが、もし助けたのが私だと、こんなになってしまった私だとわかってしまえば話は別だ。


追われる前に逃げよう。


それが娘の為だ。

私など、いなければいないほど、あの子の為なのだ。


咽喉がからからに乾いていた。

咽喉を潤す水が欲しかった。


ようやく小川を見付けた。

まっすぐ進んでいたはずなのに、いつのまにか横にずれてしまっていたのかもしれない。


すぐに川の水をすくって口へ運んだ。

欲するだけ飲みたい衝動が起きるが、その代わりに何度もうがいをし、それから小さな流れで洗えるだけ膿みと汗の滲んだ汚れきった体を洗った。


かなりの時が過ぎていたように感じた。

小川を辿れば必ず本流に辿り着く。

そうすればオババの小屋へもすぐだ。


これ以上歩けぬと倒れこんだ所で、ようやくいつもの河原へ辿り着いた。

もう一歩も動けまいと思っていたのに、夢中で煙が上っている方向へ歩き出している。

煙はやはりオババの小屋からであった。


すべて焼き払った跡だった。

山火事を防ぐためなのだろう。


煙がもくもくと上がっているのは中柱にしていた大木からで、残りは飛び火がないように水をかけられていた。


急いでオババを探した。

焼け死んだのか。


杖にしていた心許ない木の枝で、固まりになった焼け跡を次々ひっくり返した。

だがオババの姿はどこにもなかった。


ほっとして水をかけられた竈の跡に腰を下ろした。


すぐに尻が暖かくなった。

村の男たちが立ち去ったのはそう前ではないと察して、すぐにまた腰を起こした。


洞窟だ。

洞窟へ行かなくてはと、煤で黒くなった枯れ木を捨て、代わりにもう少し丈夫そうなものを探すと洞窟へと向かった。


村の連中ではなく、オババがそこにいて欲しい。

頼む、オババ、いてくれよと、私はオババの安否ばかりを念じていた。


息切れのあまり途中で息を吸うことが困難になり何度か足を休めたが、気は急いている。


ようやく浜へ出た。

日が沈んだばかりなのだろう。

空は茜色に染まり、ものの数分もまたないうちにここが闇になることを告げている。


すぐに洞窟へと駆けつけることを控えて、森の出口で息をひそめて周囲を伺った。

小屋がああなった以上、洞窟だって無事では済むまい。


洞窟にいてくれよ、と祈っていたはずなのに、オババがすでに遠くへ逃げ延びてくれればと、今ではそれを願っている。


動物のような勘を持ち合わせているオババだ。

私のように動きが鈍いわけではない。

捕まってはいないはずだが、追われる姿も想像したくなかった。


茜色が鼠色になり、やがて本物の闇が浜も海も森も覆いつくした。

慣れなければ、どこが海か、どこが浜なのか、検討のつかないまったくの闇だ。

だがしばらく待てば月明かりが闇の形を変えていく。


目が周囲に慣れた頃、そろそろとようやく洞窟へと忍び寄った。

周囲に人の気配は感じられない。

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