ガストンとヤー、概ね腹筋。またはBL攻めに関する個人的見解。

micco

続・私は筋肉が苦手である

 大変恐縮であるが、前回の筋肉エッセイ『ガストンとタキシード仮面、ときどきエドガー。そしてTLヒーローに関する個人的見解』を未読の方は、アレルギー反応が出るといけないのでそちらを先にご一読くださるようお願い申し上げる。あしからず。

 https://kakuyomu.jp/works/16817330654260157986

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 さて序として述べるが、先日X(旧Twitter)では、マッチョをこよなく愛するフォロワーズがスペースで「いつからマッチョが好きになったのか」「筋肉ならばどの部位が好きか」と、楽しいおしゃべりを繰り広げた通称マッチョラジオ(異論は認めない)が開催された。またその翌日は、ラジオを聴いた創作界隈で自作のマッチョキャラをタイムラインに怒涛の勢いで放流する祭りも自然発生的に行われ、賑わった。今もそうかもしれない。


 だが、私は未だ筋肉が苦手である。

 え? ぬ~べ~がマッチョ? いや冷静に思い出せば確かにそうだ。しかし小学校教員が腹筋を晒す機会は平和な世界ならプールの授業でしかあり得なくなくなーい?

(まぁ毎週鬼の手使わなきゃならないくらい妖怪が出ちゃ仕方ないところはあると思うけどさぁ……でも鵺野鳴介の腹をそんな目で見たことなかったよう)

 ゲフン……話を戻す。

 つまり当時の私の眼は曇りなき少女の輝きを宿していたということであろう。


「まだごちゃごちゃ言ってるのかmicco」「洗脳が足りないようだマッチョー」という声が聞こえてきそうであるが、もう少し待ってほしい。


 さすがにあれだけの熱量で性癖をプッシュされては私も人の子の末席、どこかにか細くも一条の手繰り糸がないか考えずにはいられないというものだろう。

 せっかくなので、この場を借りてちょっと考えてみることにする。



 ***



 前回のエッセイでは、ぽっちゃりに対する愛着形成から始まったmicco生は、少女期になると萩尾望都や24年組の漫画と月刊『りぼん』と『なかよし』などに育まれたことを語ったと思う。麗しき少年たちの物語、まもちゃんの割れていない腹筋と時折かける眼鏡を愛でる私であったが、その頃すでに、心の内には永遠に消えることのない筋肉への憎悪か嫌悪が生まれていた。

 そう、ご存じガストンである。


 あれから二度ほど民放でガストンを観測しているが、やはり声を大にして言おう。

 私はガストンが大嫌いである。

 ……改行しなかっただけ、配慮を身に着けたと感じていただければと思う。

 なんて傲慢で下劣で卑怯な! くッ画面に入ってくるなベルに近づくなぁぁぁぁ! という叫びを、一緒に観ている息子氏の手前飲みこんだ私を褒めてくれてもいい。

 前回同様お分かりいただきたいのは、作品としての『美女と野獣』は大好きである。

 ただただ、ガストンだけが……。私はまんまとディズニー制作陣の手のひらの上である。

 だがこの確信は、私に新たな疑問を生じさせた。

 ガストンが筋肉キャラでなかったら、どうなのか?

 …

 ……

 いや待て、これは卵が先か鶏が先か論に抵触する疑問――おそらくmicco史で最も古い筋肉は彼なのである――ので、少々言い換えてみよう。


 シュッとした少年が悪役だったならば――?

 …

 ……

 いいんじゃん? あーこの子、闇深い生い立ちで性根がひん曲がっちゃってあの手この手でベルを自分のものにしようと悪に手を染めてしまったのか、くッ涙を禁じ得ない、ベルの賢くも優しい母性に惹かれてしまったんだな誰かが二次で救っているはず今すぐ光に召された彼を見に行こう、そうしよう。

 そんな未来しかない。異論は認めよう性癖も多様性。


 そう、やはりだ(やはり)私はシュッとした少年が好きなのだ。ジャスティス!

 もちろん青年も可とする、まもちゃんは原作では大学生である。


 また同時にみなに伝えたいことがある。

 あれから私は『一体いつからヒーローは腹筋が割れるようになったのだろうか』という特異点を探し求め、何度かジャングルの奥地へと足を踏み入れた。私が影響を受けたであろう少女漫画そしてちょっとアダルティーな女性向け漫画(当時はティーンズラブとは言わなかった。以下、TL)をしらみつぶしに読み直したのだ。

 控えおろう。

 玉を集めて朱雀(神龍は不可)を召喚する中華系のヒーローの腹筋は六つには割れていなかった。アニメも確認した。

 花ざかりな男子寮のみんなも紅茶から現れる端正美形もはっきりとは割れていない。

 カフェ店員が主人公の本番ありエロなラブでファントムなホテル勤務眼鏡スーツイケメンヒーローも割れていないのである。

 よろしいか、割れていなかったのだ。


 ――これはmicco致し方ないのでは。

 もちろんジャンプやマガジン作品で見たことはあったが、愛読とまではいかないところが根深い前提を形づくった所以であろう。時代の寵児というやつである。

 しかしこの論拠では前回と何も変わっていない。なかなか本質にたどり着かないな。では視点を変えてみる。


 どのような筋肉ならば許せるのか。

 許すの定義は、『「うへぇ」センサーが働かない』とする。


 以下に列挙してみる。

 キン肉の方々、北斗の方々(ひでぶ系はガストンなので除く)。ピッコロさん。安西先生バスケがしたいです君(湘南・三井)、中山きんに君(ヤーーーーーーー!!!!)。

 うむ、いいぞ。

 それと最重要な条件として挙げたいのが、胸と腹が隠れていれば、服を脱がなければ見つめていられる。私とてすべてのキャラを非筋肉かそうでないかでとらえているわけではないのだ。本当だよ。

 昨今の女性向け漫画腹筋割れ問題に胸を痛めながら、果敢にも毎月五千円はTLとBLに突っこんでるまさに超優良購買層なのだ。もう大人なのでぐっちょんぐっちょんの世界ラブも番ラブもバースラブも、ラブなしファンタジーも大好物さ、みんなおすすめ教えてね。


 閑話休題。


 というわけで、miccoのうへぇセンサーは服を着ていれば概ね大丈夫! という判定である。快挙である。

 これは上記にあげた裸でもプロレスパンツ姿でも「うへぇ」とならないメンバーと、重大な共通点があると見い出せる。

 性愛を感じさせない点だ。

 また、辛い目にあってメンタルが落ち着いている系キャラ、もしくは父性強めキャラであろう。

(これは独断的見解かもしれない)(きんに君については話が混乱するのでここでは割愛する)


 想像してほしい―――――。

 キン肉の方々がナンパ大好きだったら? 変態集団である。

 北斗の方々がユリア以外にふらついたら? 世紀末である。

 ピッコロさんが顔を赤らめる相手がいたら? 二次創作で抹消する。

 安西先生バスケがしたいです。みっちー、前歯よかったね。

 イッツマイライフ? ヤーーーーーーー!!!!


 純粋なる闘いのフォーマルウェアとしてのパンイチ。演出上七星は露出すべき。ピュアァな父性、人間じゃないし元神だし。迷子だったみっちーが鍛えなおした腹筋ならいいよ。粉チーズのためには仕方ない。(ヤーーーーーーーー!!!!)


 *


 こんな声が聞こえる。

 いやそんな御託並べても、あんた『パンツの国』で腹筋割れてる四十がらみのオジ書いてるやん。

 その指摘については深く陳謝の意を表する。そして大いなる誤解があることをお伝えしたい。

 本文ではマッチョと一言も言及していません!(クソデカボイス)

 だけど赤下衣パンツをおしゃれに見せるために上衣シャツの裾の流行を追うオジの腹がたるんでいてはと血を吐くような検討に検討を重ねた結果―――――――――割れたんだよぉぉぉ!!!! ヤーーーーーーー!!!!(やけくそ)

 あと描いてくださった神絵師が、筋骨隆々好きだからね。(小声)


 そう私とて分かってはいるのだ、今、流行はしっかりめの筋肉を有したメンズ――ヒロインを軽々と抱き上げ甘やかし時には執着して闇堕ちするほど溺愛して朝を迎えられるくらいの体力――だということをね。

 見えないだけでみんなバキバキで六つどころか会話できるほど各部位が脈動できることを。瀕死。



 ***



 ――ここまでお読みくださったみなさま。そろそろこのおかしな話を閉じてほしいと願っていることと思うが、もう少しだけお付き合いいただきたい。


 さて、私のフォロワーであれば日曜昼のあやしい覚書ポストを目にした方もいるだろう。

 ここまで筋肉を否定し続けてきた私であるが、考察をする内に、戸惑いを隠しきれない心情を観測した。まるで初めて買った本番アリの漫画を母に見られたあとのような心地である。


 女性向けジャンルにおいて、男女の恋愛(TLであっても)にヒーローに『オスみ』は必ずしも必要ないが、BLにはある程度必要なんじゃなぁい?


 なぜここに至ったかの経緯を説明すると、実写版BLドラマを眺めていたmiccoは一種の物足りなさを感じた。誤解をしないよう断っておくが、俳優のCPは想像の一万倍はハマっており、原作改変の見られる脚本もごく自然なもので、思わず「ぐへへぇ」と萌笑いを漏らすくらいにはドラマ化よかった。ありがとう。

 しかし、なにか違う。一体なにが……。

 そしてその数時間後、ふとテレビの宣伝で映った某美しすぎるアイドル氏を見てぎくりとした。役どころなのだろうが、ちょっと強引キャラを演じていた。肩の筋の張りが美しかったような……ウッ頭が……いやこの胸の高鳴りは老い……?

 始まったばかりのドラマのふたりは、まるで仲の良い兄弟のような雰囲気だったのだ。そして終始スーツ、いいよスーツ大好物だよ! しかしスーツは脱がせるべき鎧(比喩)である。


 BLにおいて性愛は絶対的通過点。攻めは攻める、受けは受けるのである。

 ちょっと何言ってるか分からなくなってきたが、そういうことである。

 『オスみ=筋肉』は暴論だが、BLにおいてはカップリングが同性であるため、キャラ差分を考えるに片方は筋肉マッチョーの方が分かりやすい。筋肉ある方が攻め様という現象は定番(男女恋愛が下地)として認めてもいいところなのであろう。(中には枯れオジと合法ショタや、懐かしのガチムチもあるが。あるぞ。)


 では性愛のない、ブロマンスではどうか。……ごめん、ここは魔境だったやめとく。だってタイ〇ニとか見てよ。あ、『まほろ駅前多〇便利軒』みたいなの大好き☆


 ふう、乙女のポリシー時代の寵児を名乗った私だが完全に薄汚れちまったようだな。


 待てよ。なるほど。今ひらめいた。

 男女の恋愛においては、おそらく『女』への解像度と共感度が高すぎて、自己投影の結果『筋肉は悪』という洗脳が強く反映されてしまい「うへぇ」センサーが発動するのかもしれない。

 しかしBLは違う。もちろんストーリーに感動しキャラに共感はすれど、投影はできていないのかもしれない。うん、そうかも。許せるのかも。

 なんかすっきりしたぞ。


 ということはだ、一般的『オスみ』はやはりイコール筋肉量ではなかろう。

 (女性向けと男性向けで解釈が異なることはどこかで誰かと語り合いたいところだが)TL、BLを見渡したとき、メンズキャラは必ずしもマッチョではないからだ。より『み』が増すことは確かだろうが。

 だって三次元でいうとオダギ〇ジョーとか豊〇悦司とか、すごくマッチョじゃないけどなんか首らへんから出してるよね。ただそれが色気というには、定義として薄い気がする。(高校時代の友人が豊悦に狂ってた話は今度するね。)


 え、待って。豊悦をベースにして考えたとき、漫画小説で感じるオスみキャラはつまり、上位互換みがある――懐の深さを感じさせる、ということなのだろうか。

( ゚д゚)ハッ! オジじゃん。それって一億五千万人創作人が大好きなオジじゃん……!!??!!!!



 ―――という訳で、剥き出しの筋肉に関してはごめん、やっぱり克服はしていないのである。

 いや今回も迷宮入りしたような気がしないでもないが、結論としては末永くオジを推していくということである。(うん)

 そして服を着用し、そのキャラに愛着などの好印象を持っていれば「あら素敵」とほほ笑むことができるまでになっているmiccoをあたたかく見守ってほしいということである。アラフォーであっても人間でありつづける限り成長するのだ。え、洗脳? や、優しくしてね……。



(了)


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 私の愛するフォロワー、みんなの面白すぎる作品、筋肉・非筋肉、敬愛する漫画作家のみなさまに心からの感謝を。

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