考古
轟 和子
考古
一、西暦六千年記念事業である日本国領内発掘調査にて、随筆の形式をとった二つの資料が出土した。これらを読み、問いに答えよ。
注1:この問題文、問い、及び注釈は資料本文と同様、西暦二千年頃から西暦四千年頃まで使用されていた第三次日本語(漢字とひらがなを中心に、適宜カタカナや異国文字を用いる形式)を使用して表現されている。
注2:二つの資料を読む際、その順序は問わない。
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資料1『考古学者古川の記』より抜粋
考古学というものがどのようなものなのかを語れるほど、俺は考古学のことを分かっていないと思う。それでも、この歳になると周りから「ショウウのことで困ったらとりあえず古川さんとこへ」「古川さんなら分かるかもしれない」「古川さんはショウウ研究の最後の砦」とか言われる。
考古学の何より恐ろしいところは、正解が分からないことだと思う。十中八九これで間違いないだろうという説があっても、それを「事実である」と言い切ることができない。少なくとも今の技術では、その時代の人が見たものと同じだと言い切れる景色を俺たち考古学者は見ることができない。もちろんそんな技術が開発されたら俺たちはすぐに職を失ってしまうのだから、この問題と向き合わなければならないのは考古学者としての義務と言えよう。
さて、今回は俺がショウウ台形青銅器に固執している理由を話そう。
四千年ほど前、ヅョワモソとヘイアソの間に当たる時期に、ショウウ(戦前の資料には漢字で「称生」と記されており、読み方は戦後、他の文献をもとに推測された)という期間があった。この時期の研究が俺の専門である。金塔時代(金属で造られた高い建物がたくさん建っていたことから、この名がついた)の世界大戦によって、曰本国においては金塔以前の記録の多くが失われた。強力なサイバー攻撃と爆弾による攻撃を受けた曰本国の伝統は、一瞬にしてその殆どが消失したのだ。爆撃の際には年齢の若い順にシェルターに入れられ、一時は曰本の平均年齢が六歳になったと考える学者もいる。この時代まで曰本族が生き残ったのは奇跡としか言いようがない。現代の高度な技術によって戦前の様子は少しずつ解明されているが、未だ分からないことも多い。都会のデータ化された重要資料がシェルターを貫通するほどの攻撃でことごとく消え去ってしまった中で、田舎の学校跡からほぼ完全な紙媒体が出てくるようなこともある。俺たち考古学者はどんなに小さな情報にでも食いついて、丁寧に噛み砕く必要がある。
「古川さん、ショウウ台形青銅器が出土したんですが、なにやら様子が変なんです」
後輩のNくんからの連絡を受けて、俺は出土地に向かった。この場所は中学校跡であり、俺も参加したこの遺跡の初めての発掘調査では「白田楓」(端部損傷により「白」の字が読み取りづらく、他の字だったとする説も僅かながらにある)という人の手記のようなものが出土した。「白田」はこの学級の担任だと考えられている。中の文字は読めない状態のものも多く、専門家による解析が進められている。ショウウ(称生)という名前は、この遺跡から出土した生徒の肉筆から推測された。担任自身の持ち物よりも生徒の肉筆の方が圧倒的に保存状態が良く、この教室の担任は生徒のものをすごく大切に扱っていたのだろうと考えられている。
ショウウ台形青銅器はショウウに作られた不思議な形の器である。ショウウ以外の時期に作られたものが見つかっていないことから、ショウウを象徴する遺物と言われている。以前この遺跡からショウウ台形青銅器のイラストが出土したことはあったが、金塔時代の遺跡ということもあり、ショウウ台形青銅器の本体が出土するというのは想定外だった。現場に到着した俺と出迎え役のNくんは、挨拶もそこそこに情報共有を始めた。
「変ってどういうことだ」
「大きさと材質が、これまでのものと全く違うんです」
表面に複雑な模様が描かれたこのショウウ台形青銅器は、これまでに出土したものと形が共通している。一般的なショウウ台形青銅器の下部には円状の穴が空いており、液体や穀物ではなく比較的大きなものを入れていたと考えられるが、底部のアーチ状装飾のせいで自立不能であることから、ものを入れる器ではなく空洞を利用して音を響かせる打楽器などの役割を持っていたと推測する学者もいる。
「見ての通りサイズが極端に小さいのと、あとこれ、青銅製ではないみたいなんです」
Nくんの言葉通り、これまでに出土したショウウ台形青銅器は小さいものでも一尺ほどあったのに対して、これは二寸程しかない。それに、叩くと鳴るはずの「ゴーン」という独特な金属音がない。
「簡易推測機には、かけてみたのか」
現在の技術では様々な種類の光や電磁波の照射によって、遺物が作成されたおおよその年代を割り出すことができる。
「先程結果が出まして、材質は金塔石油製プラスチク器とほぼ同じ、年代は金塔時代後期です」
俺は驚きを隠せなかった。ショウウ台形青銅器は年代が下るほどサイズが大きくなって、ショウウ末期に最盛、そしてショウウの時代の終わりと共に姿を消したと言われていた。こんなものが金塔時代に作られたはずがない。ヘイアソ時代以降にショウウ台形青銅器が作られた痕跡はこれまでどこにも無かった。二千年経ってからなぜ再度作られるように。それに、器にするにはあまりにも小さい。金属製でないなら、楽器説をはじめとする異説も適用されない。いったいどんな用途が。誰が作ったのか。どうして材質が変更されたのか。分からないことが多すぎる。調べれば分かる材質や見れば分かる形状とは異なり、用途は現在の技術でも推測することしかできない。
声が聞こえた気がして前を見ると、Nくんが呆れ顔でこちらを見ている。
「古川さんってば何度呼んでも上の空なんだから。一旦落ち着きましょう。詳細鑑定にかければ何かわかるかもしれませんよ」
「そうだな。しかし、今夜は眠れそうにない」
Nくん(今はN教授と呼んだ方がいいかもしれない)によると、この時俺は笑っていたらしい。
これが、俺が今の研究を始めることになった理由だ。先程記したように、考古学の何より恐ろしいところは、正解が分からないことだと思う。十中八九これで間違いないだろうという説があっても、それを「事実である」と言い切ることができない。ショウウ台形青銅器の研究も、前段までに記した過去の物語からほんの数ページしか進んでいない。おそらく、俺が生きているうちは形にもならないだろう。
しかし、これは考古学の何より楽しいところでもある。覆される度に、俺たちは古の人々が遺したメッセージを新しい気持ちで読み直すことができる。
考古学者に限らず、研究職の人間は古代に比べてかなり少ないということが分かってきている。向上心のある学生がほとんどいないから、学問そのものが育たないのだろう。しかし、これを読んでいる時点で君は少しだけ学問に興味があるのではないかと推測している。もしも君が終わりの見えない学問に興味をもってくれたなら、この道に進んでみるといい。俺が喜んで迎えよう。
──
資料2『中学校教員田楓記』より抜粋
記録
教育というものがどんなものかを語れるほど、私は教育のことを分かってないと思う。それでも、目の前の子どもたちを相手にその「教育」とやらを施さなければいけない。教育の何より恐ろしいところは、正解が分からないことだと思う。十中八九これで間違いないでしょ、という指導でも子どもたち全員に適応できるわけではない。教員としての経験がすごく長いわけではないから、少なくとも私の技量では子どもたちが見ているのと同じ景色を見ることができない。もちろん子どもたちにとって私の技量は何の関係もないから、私は教育者として、この問題と向き合わないといけない。
最近の子どもは字を書かないなんて言われているけど、教員はそれを一番近くで感じる職業だと思う。学校では一人一台のタブレット端末が支給され、私生活では乳幼児のうちからスマホに親しんでいるこの子たちは、私の時代に比べて字を書かなくなった。そして、字を覚えなくなった。この中学校では「子どもの筆記能力育成における細則」とかいうのが作られた影響で、年に一度以上、各教科担任が紙ばい体での試験を行うことが義務付けられた。そういうわけで今回の定期テストは紙で実施することにした。
チャイムが鳴ると、二組の生徒たちは自分の座席に着いた。最近は「反抗的な生徒」が減ってきていると言われている。反抗はコスパが悪いらしい。良いことのように見えるけど、効率だけを重視して物事にきょう味が薄い生徒も増えてきたように感じる。無気力なのは社会人だけでおなかいっぱいなんだけどな。今ではほとんど使わなくなった分厚い茶封筒の中から生徒たちの回答用紙を取り出す。てつ夜で採点作業をしたが、終わったのはついさっき。デジタル採点のありがたみを感じながら、生徒たちに答案を返却していく。生徒たちの反応は様々で、友達と抱き合って絶叫する人から、赤点をとっても特に気にせずそっと答案をしまう人まで。
「皆さんお疲れ様でした。紙のテストはどうでしたか?」
難しかった、疲れた、という声がポツポツと聞こえる。
「私も採点に手こずりました。というのも、テストの点数以前に皆さんちょっと字が汚いです。私も人のこと言えないですけどね。」
「だって字なんて書かなくても生きていけんじゃん!」
クラスの中でも特に元気が良いSくんが大きな声で言う。他の生徒も「その通りだ」と言わんばかりに首を振る。こんいん届すらネットと出せるこの時代においてSくんの意見に反論する術は無い。それでも私は教員として、未来の日本に手書きの文字を残す野望みたいなものを、生徒に押し付ける。
「確かにそうだね。でも、ある日突然デジタル機器が使えなくなるかもしれない。今の戦争だって、いつまで続くか分からないんだから。ここは電柱も地下に埋まってないから、電気が使えなくなるかもよ」
生徒たちの何人かが小さく頷く。
「上手な字を書く必要は無いの。でも、読める字が書けるっていうことはいつか必ず、誰かの役に立つと思うよ。じゃあ解説をしていきます。まずはさっきも言った通り、字の間違いが多すぎます。いちばん多かったのは弥生時代の弥。称にしてる人が多かったです。卑弥呼の弥でも同じ間ちがいしてる人たくさんいました。変かんだと一発で出てくるけど手書きだとどっちか分からなくなるよね。気をつけましょう。あと、カタカナで読みを書く問題を出しました。シとツ、ンとソは似ているので、ちゃんとわかるように書いてください。あと、ウの一画目が短すぎてワみたいになってる人もいました。これは小学生レベルですからね」
「もも先生、これ採点間違ってます!!」
とつぜん大きな声がしたと思うと、いつも赤点スレスレのサバイバルをてんかいしているYくんがとくいげに自分の答あんを持ってきた。
「ほら、もも先生ここここ、日本ってちゃんとかいてあるでしょ!」
「これはあまりにも横長なのと、三画目が短いのでげん点しました。あと先生にあだ名をつけるのはやめなさい」
「よめるからいいじゃん。マルにしてよ!」
「『日』に似ている字で、『曰』というものがあります。どちらをかいているのか区別できるようにしなければいけません。うーん、そうだな。じゃあ今回は文脈から分かるので特別に丸にします。同じような減点がある人がいたら持ってきてください」
すう人の抗ぎに対応して、かいせつの時間はしゅう了した。
「正とうりつが高かったもんだいも紹介しますね。どうたくのイラストをえらぶ問だい、非常に正答りつが高かったです。実さいにミニチュアを見せて説明したので、みんなよくおぼえてい
もっと書きたかったが時間がない。この授業が私の最後のじゅぎょうだったのかもしれない。子どもたちが帰った後、町の東側にばくだんが落とされた。しょく員室に残っている教員は私を含め三人。校舎にのこっている生徒が居ないことをかくにんした後、東に家がある私はここに残ることを決断した。おそらく私の家はもう無い。おおきな音が何度もなっている。この町全体がひょう的にされていることが分かる。子どもたちはもうシェルターに入ることができるねんれいではない。ぶじかな。いま別棟で小さなばくはつがあった。給しょくセンターのガスか何かに引火したか。この校しゃにもばくげきがあるかもしれない。この記ろくを安ぜんなところにおいてから、べっとうのしょう火さぎょうに向かう。ここにかいた話を教室でできる日が来ると願う。
■田 楓
注:■には「白」が入るとされてきたが、現代の研究では「百」が入るという説も有力である。
──
チャイムの合図で俺はペンを置いた。今期のテストはあとひとつで終わりだ。僕は後ろの席の佳奈に声をかける。
「やあ。佳奈さん。このテストはどうだった?」
「むずかしかったね。でもおもしろかった」
「僕もそう思うよ」
「なんで第三次日本語で話しているの」
「佳奈さんもでしょう」
「話しかけてきたのはあなた」
「明日のスピーキングテストの練習だよ」
「そのくらい話せていればもう問題ないよ」
「ありがとう。佳奈さんもすごく上手な第三次日本語だね」
「今回はいい評価が欲しいからね」
「努力している人は尊敬できる」
──
「っていうのが、見えるわ」
「姉さんの占いってそんな先のことまで細かく出るんすか」
「今日は調子がいいだけ。普段はもっと大雑把よ。どんなに調子が良くてもやっぱり六千年が限界ね。あと、これ占いとは少し違うんだよ」
「なんか難しいんすね」
「難しいことをできるからこの大国を統べることができるのよ」
「さすが卑弥呼姉さん」
考古 轟 和子 @TodorokiKazuko
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