オフ会で一目惚れ
片葉 彩愛沙
起
ファミレスの一角で、とあるオンライン対戦ゲームのコミュニティのオフ会が始まった。斉藤は少し緊張した面持ちでドリンクを手に立っていた。オンライン上では多弁でも、ボイスチャット越しでしか知らない人々と会う場では、少し居心地の悪さを感じていた。
しかし同じ趣味で集まっている者同士、口を開けばそこにいるのは毎日のやり取りで良く知る相手と変わりなく、打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
「マヒロ、来るんだよな?」
隣にいた別のフォロワーが尋ねると、斉藤は肩をすくめた。
「らしいな。でも正直、あのプロフィール写真はだいぶ盛ってると思ってるよ」
斉藤は苦笑しながら答えた。
SNSのマヒロのアイコンはめずらしく実写で、それも自分自身の顔だと言っていた。完璧な笑顔とキラキラとした瞳、端正な顔立ちはどこか現実離れしていて、加工か拾い画でもなければあんなに堂々と晒せるわけないと、斉藤は思っていた。
ゲーム内で斉藤はマヒロと組むことが多かった。相性がよく、幾度も勝利を収めて、そのたびに音割れするほどの雄たけびを一緒に上げていた。
ゲームだけでなく、それなりに雑談をするまでの仲になっていた。
オンライン上でこんなにも気の合う友達を作れたことは幸運だと思う。その一方で、アイコンの誇張だけがちょっとだけ癪に障っていたのも事実だ。
するとファミレスの入店音が響いた。
何気なく顔を上げた。
走ってきたらしいその客は肩で息をしながら店員と話している。遠目で見るその姿に、斉藤は見覚えがあった。
そこに立っていたのは、紛れもなくマヒロだった。
暗めのグリーンのジャケットに白いシャツ、きれいに整った髪型――その姿はプロフィール写真そのままでありながら、それ以上に輝いて見えた。
「え……?」
斉藤の心臓が大きく跳ねた。
マヒロが軽やかに歩いてくるたびに、斉藤は自分が目をそらせなくなっていることに気づいた。頭では「冷静にしろ」と自分に言い聞かせるが、心臓の鼓動はどんどん速くなるばかりだ。
「遅れてごめん! みんな、初めまして……でいいのかな? まあ初対面っていう訳でもないけど」
マヒロが声をかけ、テーブルに笑顔で手をつく。その瞬間、斉藤の胸の奥にある何かが一気に崩れ落ちた。
「写真、加工じゃなかったのかよ……」
斉藤は思わずぼそりと呟いたが、おそらくその場にいた全員が同じことを考えていた。目の前のマヒロは、アイコンよりもずっと自然で、魅力的で、完璧だった。
マヒロが話し始めると、その声や仕草までもが斉藤の心に深く刻まれる。彼の明るさ、軽やかさ、そして一瞬だけ見せた照れくさそうな表情――すべてが斉藤を引き込んでいった。
憧れ、感嘆、あるいは静かな嫉妬──その場にいた全員がそれぞれの感情を抱きながら、マヒロに視線を注いでいた。マヒロの存在は、カフェの空間を一瞬で支配していた。
(……やばいな、これ)
斉藤は息を吐きながら、手元のドリンクを飲み干した。その視線は、初対面のマヒロからまったく離れなかった。
その日、斉藤は確信した。
「あいつに一目惚れしたんだ、俺」
◆
斉藤は鏡の前で自分の姿をじっと見つめていた。
鏡に映るのは、少し腹が出ていて丸みを帯びた体型。学生時代から運動は苦手で、つい怠けがちな生活が続いていた。その結果が今の自分だ。
そんな斉藤の心に火をつけたのは、先日のオフ会で会ったマヒロだった。明るい笑顔と引き締まった体、そして自信に満ちた仕草。すべてが斉藤にはまぶしすぎた。
「俺も……あんな風になりたい」
一目惚れしたマヒロに少しでも近づきたい、隣に立っても恥ずかしくない自分でありたい、そんな思いが斉藤の胸を強く突き動かした。
翌日、斉藤は意を決して近所のジムに入会した。慣れないジムウェアを着て、最初は緊張した様子でトレーナーに挨拶をする。
「とにかく……痩せたいんです。あと、筋肉もつけたい」
斉藤の言葉に、トレーナーは親切に計画を立ててくれた。
最初のうちは、ほんの数分走っただけで息が切れてしまった。腕立て伏せをしようとすれば手が震え、バーベルを持てば腰に違和感が走る。それでも、マヒロの姿を思い出すたびに斉藤は歯を食いしばった。
「ここで諦めたら、あいつに顔向けできないだろ」
そう自分に言い聞かせながら、毎日少しずつ体を鍛えていった。
斉藤は同時に食生活も改めることにした。これまでは、揚げ物やジャンクフードが大好きで、夜遅くにスナック菓子をつまむのが日課だった。
だが今は、バランスの取れた食事を心がけ、プロテインシェイクを取り入れるようになった。最初は味に慣れず苦戦したが、「これもマヒロのためだ」と思えば続けられた。
コミュニティではその後も何度かオフ会が開かれているようだった。だが斉藤は理由を付けて出席しなかった。
皆に変わった自分を見せつけて驚かせたかったのだ。そして何より、マヒロに会う勇気がなかった。
それから2か月が経過し、斉藤は少しずつ変化が現れ始めたことに気づいた。最初に現れたのは肌の質感だった。以前に比べると色つやが増し、張りが出てきた気がするのだ。さらに体を動かすことにも抵抗がなくなり、毎日のランニングも楽しんでこなせるようになった。
3か月が経ち、斉藤の体には確かな変化が現れ始めた。以前はパツパツだったシャツが余裕を持って着られるようになり、腕や胸板には筋肉の輪郭が浮かぶようになった。
ジム仲間にも「いい感じじゃないか!」と声をかけられ、照れくさくなり笑みがこぼれた。だが彼の心の中には、マヒロの顔が鮮明に浮かんでいる。
「次に会ったとき、絶対驚かせてやるからな」
鏡の前で拳を握りしめる。
◆
ある日、斉藤は屋台の前で立ち尽くしていた。
ジュワジュワと油が弾ける音。香ばしい匂いが鼻をくすぐり、胃がキュウッと鳴る。目の前には、こんがり焼かれたホットドッグ。滴るチーズ。パリッとしたバンズ。たっぷりのベーコンとソース――完璧だ。
(ちょっとくらいいいよな?)
この数日間、ストイックに食事管理を続けていた。鶏胸肉とブロッコリーばかりの食生活。毎晩のように炭水化物を制限し、深夜の空腹に耐えてきた。
それなのに、今。
たった一本のホットドッグを目の前にして、理性が崩れかけている。
「くそ、どうするか」
自分に言い聞かせる。「頑張ったんだから、一回くらい」。でも、一度食べたら止まらなくなるかもしれない。明日も、明後日も、同じ言い訳をしてしまうかもしれない。
そう思いながら、ポケットから財布を取り出そうとした瞬間、スマホが震えた。通知が目に飛び込んできた。
《マヒロ:次いつ来る?》
指が止まる。胸がドクンと跳ねる。
マヒロに会う。そうだ、あいつに会うんだ。マヒロは気づくだろうか? 自分がどれだけ努力したか。以前より引き締まった体を、少しでも誇れるようになった自分を――マヒロは褒めてくれるだろうか?
「……くそ、やめだ」
斉藤は手を引っ込めた。
深呼吸をして、スマホを握りしめる。マヒロへの返信を打ち込みながら、屋台を背にして歩き出した。
ホットドッグの匂いはまだそこにあったけれど、さっきまでの誘惑とは違うものになっていた。
◆
オフ会の会場に向かう途中、斉藤は何度もスマホの画面を確認していた。
集合場所と時間、何か失言したらどうしよう――そんな不安が頭を駆け巡る。
「俺、変だと思われたりしないよな……」
鏡越しに見える自分の姿は、以前と比べればずっとスリムで筋肉もついている。だが、マヒロがどう反応するのかが不安で、胸が鳴りっぱなしだった。
斉藤は服装にもかなり時間をかけた。清潔で、シンプルすぎず、かといって派手すぎない服を選び、マヒロがどう思うのかを想像しながら鏡の前で何度もチェックを繰り返した。
会場に近づくにつれて、手のひらは汗でじっとりとしてくる。
「おい、落ち着け……大丈夫だ、変なこと言わなきゃ問題ない」
深呼吸をして自分を落ち着けようとするものの、マヒロの顔を思い出すたびに緊張は増すばかりだった。
遠くから見ても、彼の存在感は圧倒的だ。会場の入口でスマホを片手に待っている。それだけなのに周囲の視線を自然と引きつけている。
斉藤はさりげない足取りで近づきながら意を決して声をかけた。
「……っま、っマヒロ!」
マヒロは目の前で立ち止まったこちらを見上げ、少し驚いた顔で口を開いた。
「えっ、斉藤?」
「お、おう、久しぶり」
声が裏返らないよう気をつけながら答える。マヒロの綺麗な目が輝いた。
「え、すご。めっちゃ変わったじゃん! なんかすごいかっこよくなってる!」
その言葉に、斉藤の顔は一瞬で真っ赤になった。今まで感じていた緊張が嘘のように消え去った。同時に胸の奥に温かいものが広がっていくのを感じた。
「そ、そうか……? いや、そんなことないと思うけど……」
思わず謙遜して視線を逸らしつつも、心の中では跳ねるような喜びを感じている。
マヒロは斉藤の全身をまじまじと見ると、肩を軽く叩き満足そうにうなずいた。
「本当に別人だって! すっげえ! 肉体改造? 相当がんばったね!」
「そ、そんなことないだろ」
斉藤は苦笑いを浮かべながらも、マヒロの無邪気な笑顔に目を奪われる。自分が努力した成果が認められたことが、何よりも嬉しかった。
その後も、マヒロは終始明るく斉藤に話しかけ、冗談を交えながら盛り上げてくれた。そのたびに斉藤は緊張しつつも、「また頑張ろう」と思わずにはいられなかった。
オフ会で一目惚れ 片葉 彩愛沙 @kataha_nerume
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