「広っ!」から(小声で)「オンのままだった……」まで

和立 初月

「広っ!」から(小声で)「オンのままだった……」まで

「おう、新入り! そろそろ一人で取材、行ってみるか?」

 私がせっせと記事の校正作業を行っていると、編集長が丸めた雑誌で軽く肩を叩いてきた。

「え……? 良いんですか?」

「あぁ、お前をずっと見てくれてる先輩が直談判に来てな」

 ちゃんとお礼を言っとけよ、と編集長に促され、向かい側に座る先輩に視線を向けると、軽いウインクとともに指でbのマークを作ってから、再び自分の仕事に戻っていった。私は、心の中で何度もありがとうを繰り返しながら力強く、編集長にこう答えた。

「是非、やらせてください!」




 今回は、企画立案から先方へのアポイント、そして取材用の貸会議室に至るまで、下準備のすべてを先輩が段取りを組んでくれていたので、私は取材の準備に十分な時間をかけることができた。

 出版社がある方向へ、水飲み鳥のように心の中で何度も頭を下げながら先に会議室へ。先方へお出しするお茶とお菓子、ボイスレコーダーやノートパソコンの準備や机・椅子の配置等の準備を万全にして到着を待つ。

 期待と不安が入り混じる中、それに加えて理性では抑えきれないほどのテンションの高まりを自覚していた。

 今日取材をするのは、今をときめくアイドルグループ『エンプレス』のプロデューサーだ。デビューシングル『ダンスをご覧ください』は瞬く間にメガヒットをたたき出し、続くシングルも立て続けにミリオンセラー。破竹の勢いのまま、波に乗る彼女らの次の新曲はなんと、記念すべき1stアルバムを発売するという。

 今回の取材は、そのアルバム発売に先駆けて、収録曲やリードトラックについて深堀するといった内容だ。取材の企画書には取材の大まかな流れがフローチャートのように書かれており、その隙間を縫うように、先輩の付箋が差し込まれている。

「これは絶対に聞け!」とか「時間が押している場合はここはなしで」とか。

 いやもうくどい位に書くけれども、否、言うけれど。私は「先輩……」と心の中で土下寝しながら感謝の言葉を繰り返していた。……さすがに心の中とはいえ、起きなければ。

 気を取り直して、再び頭から企画書を眺めていると、一つ引っかかる付箋を発見した。それは、一番最後の付箋に書かれていた、「最後の挨拶とお見送りはしっかりと! あぁ、あと一つ。ママでお願い」

 ……土下寝どころか、私の今までの感謝の全てを返してほしい。今までの緊張がどこかへ飛んで行ってしまった。戻ってこい、緊張。……会社に帰ったら私はどんな顔で先輩に会えば良いのか……。

 いや、それよりもだ。一体なんだ、『ママ』とは? いや、ママはママだろう。ママ以外に考えられない。ママはママのままだ。クイズ番組ならここで「さぁ、問題です。今までに、ママという単語は何回登場したでしょう?」という風に発展するのだろうが、勿論ここはそんな場所じゃない。何なら(取材とはいえ)私がクイズの出題者だ。……ん、待てよ? ママって確か……? 私は添付された資料の、近日発売のアルバムのジャケットのカラーイラストを見ながら突拍子もない声を上げた。

「これも『ママにならないで』……ママだ!」

 思わぬ点と点が線でつながった。いや、つながってもらっては困るが。そして改めて、何かママのヒントになるものはないかと、イラストと付箋を交互に見比べていると。

「こんにちは、本日の取材会場はこちらでよろしかったですか?」

 バケットハットをかぶったアラフォー男性がドアからひょこっと顔をのぞかせていた。

「あ、すみません! どうぞこちらへおかけください」

 私は資料を机の下に収納すると、机の横に寄せていたノートパソコンとボイスレコーダーを引き寄せた。

「本日取材の方、担当させていただきます。鳴海と申します」

「どうも、フリューゲルのプロデューサーを務めております、平木と申します」

 プルプル震える手で名刺交換を済ませて、私は彼を先に座らせてから断りをいれて、ボイスレコーダーのスイッチをオンにするのだった。




「次に、今回のアルバムのタイトル『ママにならないで』についてお聞かせください」

 ついにママの謎に迫る瞬間が来た! 私は内心ガッツポーズをしながら今もデスクに向かって校正作業中であろう先輩に冷たい視線を投げていた。

「これは……企業秘密っていうか……あんまり話したくはない内容なんだけど……どうしても話さないといけないかな?」

「あぁ、いえ。無理には」

 チッ(心の声)

「まぁでも、君は熱心に私の話を聞いてくれているからね。そこに免じて話そう。リードトラックにもなっている『ママにならないで』は、一聴すると、ママになって遠くにしまう近所のお姉さんを、指をくわえて見送ることしかできない男の子の心情を歌っているように聞こえるんだけれど、そうじゃないんだ。

 男の子はつらい現実に直面して、それでも歯を食いしばってその悲しみを乗り越える。まだまだこれから先、様々な困難が待っているこの世界で彼は、この時のことを思い出し、また立ち上がる。さながら不死鳥のようにね」




 緊張しながらも、取材は何とか終了し、しっかりとプロデューサーを見送ってから

彼女は一息ついた。

「ふぅー。緊張したけど終わった。あ、使用時間は……あと三分しかない! 急いで出ないと!」

 私は急いで荷物をまとめると、脱兎の如く部屋を飛び出して……ボイスレコーダーを忘れたことに気づき、すぐさま踵を返し、何とか回収してタクシーに飛び乗った。

「しかし……結局『ママ』については、わからず終いか……」

 プロデューサーの話からでは先輩の使ったママとの共通点は見つけられなかった。

 思考を巡らせているうちに出版社に到着した私は、階段を駆け上がり編集部へ。

「ただいま戻りました!」

 煙草でも吸いに行っているのか、先輩の席は空いていた。もしいたら、私はどんな顔をしていただろうか。そんなことを思いながら、ポケットからボイスレコーダーを取り出すと、スイッチがオンのままだったことに気づき、すぐさまオフにしてから編集長の元へ。経過報告と共に、貸与品のボイスレコーダーを返すのだった。

 取材後の私の妄言がしっかり記録されたボイスレコーダーを。




 後日。私が書いた記事はほぼ全没という形で無に帰すことになった。しかし、引き出せた内容は満足のいくものだったため、先輩が一から編集して書き上げるらしい。

「あ、先輩」

「ん? どうした」

「あの付箋のことなんですけど……」

 今まさに、その記事の作成中だった先輩は手を止めて私に向き直った。

「あの最後の付箋の『ママでお願い』ってどういう意味だったんですか?」

「あぁ、あれか。いや、お前のことだからそれで伝わるかと思ってな」

 それで伝わったのは、あなたの変態性だけです。という言葉は飲み込んで、私は先輩の言葉を待った。

「原文ママって意味だ。編集用語で、資料を引用したりするときに使うんだが、まぁ今回でいうと『今回の記事はそのまま使うからそのつもりで』って意味だ」

「と、言いますと」

「ボイスレコーダーの最初から最後までをそのまま書き起こす」

 ん? んん?

「ちなみに、会議室に入ってからボイスレコーダーのスイッチはオンになってたぞ」

 えーっと……。

 (原文)ママにならないでー!

 ※ちなみに、このボイスレコーダーの取材部分(会議室に入ってから、編集部に戻るまで)は資料として社内で共有されることになったのだった。

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「広っ!」から(小声で)「オンのままだった……」まで 和立 初月 @dolce2411

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