September love‥す・ミ・れ(again)

ケムニマキコ

 September love‥す・ミ・れ(again)

 あれは一体なんだったのだろうと、今でもふと思い出すことがある。

 小学生のころの話だ。新しい学校の居心地は、想像していたような窮屈なものではなかった。この町は人口の流出が極めて少なく、進学のために外に出た若者も、いつの間にかまた戻ってきている。そんな町では、他所から来た父子の二人暮らしはひどく目立つ。酒乱の母に虐げられた哀れな子ども。閉鎖的な町の退屈凌ぎにはちょうどいいゴシップだと思っていたが、住民もクラスメイトも、誰も好奇の目で私たちを見ることもなく、まるで昔からの知り合いのように親切だった。

 まもなく私はクラスに馴染み、放課後も学校に残って日が傾くまで遊ぶことが増えた。当時、私たちの間で流行っていたのは所謂巡査・泥棒の流れを汲む鬼ごっこの一種で、地域によってドロケイまたはケイドロと呼ばれることが多いその遊びは、この辺りでは<ままかり>と呼ばれていた。この手の遊びは独自のルールで細分化されるのが常ではあるが、ままかりのそれは極めて奇妙で類を見ないものであった。

 それはまだ暑さの残る初秋の日で、放課後の校庭には十を超える子どもたちが集まっていた。初めてこの遊びに私を誘ってくれたのは、クラスのリーダー的存在のすミれちゃん(仮称)。すミれちゃんは手慣れた様子で私たちを二つのグループに振り分けていく。ままかりでは警察役は媽媽まま、泥棒役はメノコと呼ばれる。私は媽媽に振り分けられると、彼女に言われたとおり、配られた白いハンカチで目隠しをして、それを後頭部できつく結んだ。布越しに見える景色が夕日に照らされ、辛うじてその輪郭を認識できた。視界が遮られることへの本能的な恐怖はあったが、学友たちがあまりにも平然としていたため、なぜか私は妙な安心感を覚えていた。


 では、ようい。


 一拍の無音の後にすミれちゃんが柏手を打つと、弾かれたようにメノコたちが散り散りに駆け出した。私以外の媽媽は目隠しを物ともせず疾走するので、私も必死に、できる限りの速度で駆け出した。それでも、目隠しをしていないメノコに追いつける媽媽はほとんどいなかった。


 時間です。媽媽は目隠しをメノコに渡しなさい。

 五分ほど経ったころ、すミれちゃんの合図により、役割の交代が行われた。メノコの側に回ると、媽媽の速度は思っているよりもずっと速く感じられる。他の子どもがそうするように、私も必死になって逃げ回った。目隠しをした人間に追いかけられるという異様さが、メノコの圧倒的に有利なはずの立場を忘れさせた。時間です。その後もすミれちゃんの合図で、媽媽とメノコはきっかり五分おきに入れ替わった。


──して。


そうして媽媽を何度も繰り返すうちに、視界を塞がれて鋭敏になった聴覚が、逃げ惑うメノコの歓声に混じる耳慣れない音を捉えた。


──かえして。


それは媽媽の切れ切れの息と共に吐き出される、最早言葉にならないほどの微かな懇願の悲鳴であった。かえして。その音は私の口からも聞こえていた。もしかしたら、最初からずっと聞こえていたのかもしれなかった。


──時間です。目隠しを外しメノコに渡す。メノコは決して私の手に触れることなく、ハンカチのみを攫う。その瞬間、私はメノコになる。逃げなければ。私たちは走る。かえして。一度認識すれば、音はずっと鳴っていたことに気づく。かえして。私は何も持っていない。何も奪っていない。時間です。目隠しを、決して手に触れないように奪う。小さな手、赤黒い夕日に濡れて。ほとんど暗闇になった校庭で、私は目隠しをする。走る。かえして、と叫ぶ。何を? 奪ったのは私の方なのに。かえして。膝が諤諤と嗤い、肺が燃えている。何人もぶつかり、転ぶ。時間です。転んだ誰かに躓く。かえして。血の匂いがして、それでも誰も足を止めずに。かえして。誰も捕まらない鬼ごっこがいつまでも続く。時間です。かえして。時間です。時間です。


 ふと、音が止む。いつの間にか、足下に無数の影が横たわっている。いくら耳を澄ませても、誰の息遣いも聞こえない──のに、膝に手をついて立つ私の前に、誰かが立っている。……すミれちゃん? 人影からは何も返ってこない。

 時間です。すぐ後からすミれちゃんの声が聞こえた。時間です。媽媽は目隠しをメノコに渡しなさい。息をするのがやっとで、私はもう少しも動けない。時間です。目隠しを外しなさい。時間です。わたしを見なさい。わたしを抱きしめなさい。わたしを抱きしめて。抱きしめて。抱きしめて。


「ごめんね」

私は目隠しをしたまま、声のする方に向かって言った。私は知らないの。抱きしめ方を教わらなかったから。

 やがて、目の前の気配がふっと溶けるように消えた気がした。そっと目隠しを外すと、まだ日の沈みきっていない放課後の校庭と、そこで駆け回る子どもたちの姿が広がっていた。

 それから私は一度もすミれちゃんを見ていない。

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