選ばれし水の子

Chocola

第1話


 


 雨が降ると、手のひらが少しだけ疼く。

 それは、私が「選ばれた者」であるという証——水の刻印の痛み。


 


 この刻印が現れたのは五歳のときだった。母は最初こそ笑っていたけれど、数日後には顔をしかめ、私から目を背けるようになった。

 やがて父がいなくなり、家族は崩れた。私は施設に送られ、「特別な子」と呼ばれるようになった。


 その“特別”が呪いだと知ったのは、それから数年後のこと。


 


 火の子が死んだ。風の子が行方不明になった。雷の子が暴走して姿を消した。

 そして残ったのは、私だけだった。


 


 人々は私を「災いの源」と呼び、私はその名のとおり、水のように形を変えては隠れ、生き延びた。


 


 そして、今日もまた、誰にも見つからないように静かに暮らしている。


 


 「水瀬澪さん。君だよね」


 


 声をかけてきたのは、見知らぬ少年だった。制服は私と同じ。見たことのない顔。けれど——


 


 「……誰?」


 「俺は遠野凪。“火”の刻印を持つ者だ」


 


 その言葉で、心臓が跳ねた。


 


 「嘘よ。火の子は、みんな死んだって……」


 「……俺の家は、火の一族の末裔だった。でも刻印は、十歳のときにようやく現れたんだ。隠されていたんだよ。君が最後の“水”として追われていた間、俺は生かされていた」


 


 私は逃げ出した。廊下を駆け、階段を下りて、裏門から校舎を離れる。

 凪の声が、背後から追ってくる。


 


 「待ってくれ、澪! 君は——君こそが、世界を救う鍵なんだ!」


 


 その言葉を、私は信じるわけにはいかなかった。


 



 


 二日後、凪はまたやってきた。雨の日だった。私が屋上にいると、彼はためらいなくドアを開けて言った。


 


 「15年前、消された記録の中に君がいた。水の力を使って、刻印の暴走を止めようとした、ただひとりの子ども」


 


 「……私は、助けられなかった」


 


 「でも、助けようとした。それが真実だ。なのに君は、全部自分のせいにして、ここまで生きてきた」


 


 「……どうしてそんなことを知ってるの?」


 


 「俺の兄も“刻印者”だった。雷の子だった。でも、ある日突然いなくなった。遺された記録には“水の子の暴走により全滅”とだけ書かれてた」


 


 「それが……私のせいだって思ってるの?」


 


 「違う。俺の兄は、君をかばったって記録も、残ってた」


 


 私の中で、なにかが静かに壊れた。

 同時に、手のひらの刻印が、雨に反応して淡く輝く。


 


 「マーガレットの花を……覚えてる?」


 「え?」


 


 「丘の上に咲いてた。君がよく行ってた場所。兄が言ってた。“水の子は、その花に願いを託してた”って」


 


 マーガレット。

 あの花に、「またいつか、みんなでここに来ようね」と、子どもだった私たちは願った。


 


 「今、あの花がまた咲いてるんだ。見に行こう。君が一度、戻ってきてもいい場所があるってことを、見せたいんだ」


 



 


 そして今、私はその丘に立っている。

 雨は止み、空にかかった雲の切れ間から陽光が差し込む。


 


 マーガレットの白い花が、一面に咲いていた。


 


 「……こんなに、綺麗だったんだっけ」


 


 「花は、嘘をつかないからな」


 


 私はそっと、凪の方を見た。


 


 火と水。相反する刻印。

 でも、もう怖くなかった。


 


 「ありがとう。……やっと、少しだけ信じられる気がする」


 


 「これが始まりだよ。刻印は“呪い”じゃない。“未来を選ぶ力”なんだ」


 


 私はゆっくり手を伸ばし、ひとつの花に触れる。

 冷たいはずの水の刻印が、あたたかくなっていた。


 


 誰かに選ばれるために生きるんじゃない。

 誰かを信じ、共に歩くことを選ぶために、私は——


 


 選ばれし水の子として、生きていく。


 

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