平らな道の上を、車輪が転がるということ

つきかげ

平らな道の上を、車輪が転がるということ

 アパートの自室でYouTubeを開くと、最近、話題の政治家のチャンネルが目に入った。

 どうやらライブ配信をしているらしい。

 ぼくは政治にあまり興味がなかったけど、暇だったので、なんとなくその配信をみることにした。


「どうも。アスファルトがし党です」


 そう、男は挨拶をした。


「最近、暑いですね。

 熱中症で救急搬送される人も、あとを絶ちません。


 年々上がる気温。

 都市部では、ヒートアイランド現象が深刻な社会問題となって久しいですね。


 アスファルトには、日中の熱をためこむ性質があるんです。

 だから、夏は地獄なんですよね。


 そこで、考えました。


 私たちの想いは、ただひとつ。


 都市の表面を覆うアスファルトを、剥がすことです」


 なんだか、突拍子もないことを言い出した。


「まったく、昔の人はとんでもないことを考えたものです」


 男は続けた。 


「石油を分留したあとの残りカスみたいなものを、あろうことか、地表に?

 しかも、自然の土や草を覆い尽くすくらい大量に?


 狂気の沙汰です。


 人類は、どうしてそんな道を選んでしまったのか。


 車輪を転がすためですよ。


 荷車や馬車からはじまり、列車や自動車へ。

 車輪の技術の進歩とともに、舗装の技術も進歩しました。


 優れた舗装技術がなければ、車輪文化への推移は不可能だったかもしれません。


 車輪が移動手段の主流になったあとは『じゃあ、地面を全部車輪にあうようにカスタマイズしてしまえばいいじゃないか』などとという、とんでもない発想が産まれました。


 こうなれば、人類はもう車輪の奴隷です。


 自動車が普及してからは、最悪ですよ。


 特に都市部では、真っ黒なアスファルトがすべての地面を覆ってしまう勢いじゃないですか。


 そんなことをすれば、生物の多様性が失われ、ヒートアイランド現象が起きるに決まっている。


 さらに、アスファルトが削れてできる粉塵は、マイクロプラスチックに近い性質を持つといわれています。


 風や雨で流れた粉は、土壌や川、最終的に海にまで到達します。


 これを微生物やプランクトンが取り込み、魚などの生物が受け取ります。

 そして、その魚を人間が食べる……。


 アスファルトは自然に分解されないんです。


 分解されないなら、どうすればいいでしょう?


 再利用するしかないんです。


 でも完全にリサイクルすることはできなくて、新しい材料も追加するから、半永久的に負債が積み上がる。


 その維持費は、年間数兆円規模です。


 しかし、もはや私たちは、アスファルトで、せっせと地面を覆わないわけにはいかない。


 覆うしかないと、そう思い込んでしまっている。


 それは、私たちが、自分でも気がつかないうちに車輪の奴隷になっていたからでしょう。


 現代の営み。

 それは、地面を車輪向けにカスタマイズするプロジェクトだったのでしょうか?


 転がす文化が、私たちの生きかたそのものを決めてしまったのでしょうか?


 車輪を転がすたびに、大きなお金が動きます。


 しかし、私たちは、いったいどこに、なにを運びたかったのでしょう。


 地面を削り、プラスチックに似たもので地面を覆いつくしてまで、いったいどこへ急ぎたかったのでしょう」


 配信は終了した。



 10年後。

 ぼくはその日、ぼんやりとライブ配信をみていた。


「アスファルト剥がし党です」


 名前を聞いたことがあった。

 最近、少し議席を伸ばしたらしい。


「近年は、科学技術の進歩がめざましいですね。しかし、暑いです」


 男はハンカチで額の汗を拭った。


「大手自動車メーカーが開発した四足歩行ロボットが、ついに実用段階に入りましたね。


 それに、日本でもドローンによる配達サービスの導入が検討されているようです。


 アスファルト剥がし党の理想も、現実味を帯びてきたのではないでしょうか」


 とはいうものの、街では相変わらず車や自転車が走っている。

 とてもではないが、彼のいう理想が近づいているとは思えなかった。


 彼は、一息つくと遠くに思いを馳せるような目をした。


「昔の人は、スニーカーなんて履きませんでしたよ。下駄や草履で十分だったんです。なぜでしょうか」


 彼はいった。


「地面が柔らかかったからですよ。

 江戸時代の飛脚は、クッション性ゼロの草履で一日に100キロ以上も走ったという記録があります。


 しかし、現代の舗装された道で同じことができるでしょうか。


 数週間も待たずに、足を悪くしますよ。


 地面が柔らかかったから、昔の人間は、クッション性に優れるスニーカーなんてものを履く必要なんてなかったんです。

 昔は、土が、草が、自然の地面が、クッションの役割を担ってくれていた。

 スニーカーみたいなものは、硬いアスファルトの上を歩くための、いわば義足ですよ」


 男は鼻息荒く口にする。


「車輪という発明品は、それ自体の性能を発揮するために、多くを求めすぎるんです。

 我々は、車輪にとって都合のいい条件を、文明の力で無理やり整えているに過ぎません。


 ……でも、アスファルトを剥がしたら、まずいんじゃないか。


 こんな声も多く寄せられます。


 水道管とかガス管なんかは地面の下にありますよね。

 アスファルトは、それらを保護する蓋みたいなものですから、そんなものを剥がしてしまったら、雨や風で一気に劣化してしまうのではないか、と。


 一理あります。


 しかし、考えてもみてください。


 その蓋を敷いてしまったがゆえに、メンテナンスが難しくなっている面もあるんです。

 たとえば、老朽化した水道管を工事するためには、莫大な税金がかかってしまいます。


 メンテナンスや工事の際は、いちいちアスファルトを剥がさなければなりません。

 これでは水道管などが老朽化し、最悪の場合、破裂してしまうまで放置するのが当たり前になってしまっても、無理はないのです。


 私たちはなにも、すべてのアスファルトを剥がそうなどとは主張していません。


 30パーセント。


 主要なアスファルトの30パーセントを残して、残りの70パーセントを緑に戻すだけで、街は涼しくなり、空気は澄み、鳥や虫の声が帰ってくるんです。


 平らな道の上を、車輪が転がるということ。


 これは一見すると、最強の移動手段に思えます。


 しかし、車輪は、本当に効率的な発明なのでしょうか。


 生物は、何億年という途方もない時間のなかで、地球で生きる上でもっとも効率的な形を選んできました。


 ここで質問です。


 移動手段として、車輪を持つ生物を見たことがありますか?


 私は一度も見たことがありません。


 進化という『究極の効率厨』ですら、車輪を選ばなかったんです。


 代わりに選んだものは、脚です。


 なぜでしょうか?


 簡単です。


 脚のほうが、車輪よりもはるかに効率的だからですよ。


 山でも、森でも、でこぼこ道でも、ぬかるみだってなんとか進める。


 脚ならね。


 一方で車輪が転がるのは、平らな道だけです。

 

 だから、車輪を転がすためには、お膳立てをしなければいけません。


 道のことまで考えると、移動手段としての車輪は、ちっとも効率的ではないんです。


 私たちの身体が、自ら証明しているではないですか。


 ゲームのRTA(リアルタイムアタック)並の効率を求める、効率の権化、生物の進化ともあろうものが、その過程で車輪を獲得しなかったんです。


 代わりに得たのは。


 そうですね。脚です。


 自然界では、車輪よりも脚のほうが効率的だ、という結論が、何億年も前から出ているんです。


 未来の社会学者は言うでしょう。


「舗装された道とは、いったいなんだったのか」


 と。


「産業革命以降、人々は車輪を転がすことに取り憑かれてきたのです。それはもはや、集団的洗脳とでもいうべきものでした」


 と。


 未来の都市では、トラックの代わりに、強化スーツを着た飛脚や、四足歩行ロボットが柔らかな道の上を走る姿をみることができるでしょう。


 さあ、みなさん。

 いまこそ、目覚めるときです。


 私たちは、平らな道をせっせと作るための奴隷じゃないはずだ。


 そうは思いませんか」



 さらに20年後。


 Amazonから『サーロインステーキVer.3.2』のコードを受け取ると、ぼくは自転車のペダルをこいで近所のスーパーへ向かった。


 店内の片隅にあるフードプリンターにコードをかざすと、機械が動きはじめる。

 ノズルから吐き出された食用インクが、動物の筋繊維を模倣するように、幾重にも薄い層を形成していく。

 インクのカートリッジには、タンパク質や脂肪、必要なビタミンなどがバランスよく充填されているのだという。

 

 自宅に戻ったぼくは、プリントアウトされたばかりの新鮮なステーキを熱したフライパンにのせた。

 じゅう、と香ばしい匂いが台所に広がった。


「アスファル党です」


 スマートテレビから音声が流れてきた。

 どうやら、政党名が微妙に変わったみたいだった。


「転がす文明は、いつ終わりを迎えてもおかしくないところまできています。

 転がす必要なんか、もうどこにもありません。

 しかし、嘆かわしいことに、未だに車輪は地面を転がり続けている。

 もはや、人類が転がる快感に取り憑かれているとしか思えません」


 何度かみたことのある男は、はじめてみた時よりも歳をとっていたが相変わらず熱っぽかった。


「車輪が必要だったのは、人類が未熟だったからです。

 しかし、科学技術は大いに発展しました。

 いまでは、転がす以外の選択肢はいくらでもあります。


 私たちには強化飛脚スーツもあれば、四足歩行ロボットもある。

 AIドローンもある。


 運ぶための選択肢は、陸にも空にも、水にも、多岐にわたり広がり続けているのです。


 それなのに、私たちは相変わらず都市部の地面の9割以上を、アスファルトで塞いだままです。


 いったい、どうして人類は舗装された道路と車輪にこだわり続けるのでしょうか。


 それは……。


 もしかしたら、安心が欲しいからなのかもしれません」


 画面のスライドが、都市の舗装された道路を映し出した。

 無機質で、整っていて、地平線の向こうまで続く、よく見慣れた人工の楽園だ。


「アスファルトで覆われた地面は、文明の象徴でした。

 ここは地上の征服者である人間の土地だ、という安心、思い込みが、いまも人類を車輪の絶対王政に縛りつけているのかもしれません」


 ぼくは、焼き上がった人工肉を皿に乗せた。

 醤油をかけて、箸でつまみながら、悪くない味だ、とひとり舌鼓を打つ。


「そもそも、物流という発想が、時代遅れなんです!」


 男は、バン、と眼の前の机を叩いた。


「人も、モノも、物理的に動く時代は終わりました。


 会議はネットで、買い物は仮想モールで。


 遠くにいる知人とは、バーチャル空間で会えばいい。


 家具や小物などの生活必需品、簡単な家電製品だって、インターネットで注文して、コードを受け取って、その都度3Dプリンタで作ればいいじゃないですか。


 それなのに、車輪を転がすことによる物流は、終わる兆しがみえない。


 舗装された道は、もはや、遺跡ですよ。


 恐竜がいた時代のライフスタイルを、未練がましく保存しているようなものです。


 道路の整備って、大きなお金と労力が必要なんです。


 平らにして、固めて、ヒビが入ったら直して、雨水を排水して……そのたびに人も金も資源も使う。


 舗装というものは、壊れるたびに直す前提で成り立っているんです。


 劣化するたびに人手とお金が必要になるし、CO₂だって出るんです。


 本末転倒だと思いませんか。


 でも、私たちはもう選べるんです。


 選べるところまで、きているんです」


 スライドが切り替わる。


 映し出されたのは、道なき道を歩く強化飛脚や、四足歩行ロボット。

 空にはドローン。

 川にはAI船頭が導く小舟。


 映像は、さらに切り替わっていく。


「物流は、中央集権型から、分散ローカル型へと変わるべきなんです。

 もう、アスファルトはいらない。


 そもそも、物流の前提がバグっていたんです。


 本来、歩きやすい地面は人間のためにつくられたものだったはずです。

 でも今は、車輪のために、私たち人間が地面を作り替えている。


 現代文明という名の自作自演コントは終わらせるべきです。


 人類はいま、みずから生み出したバグを修正する段階にきています」



 さらに30年後。


「アスファル党です。最近、最新型のスマート脳に変えました」


 頭部を3分の2ほど機械化した男が、配信していた。


「機械化により、夏の暑さから開放され、熱中症とは無縁になった人も多いと思います。しかし果たして、私たちは勝利したといえるのでしょうか?」


 ぼくはなにげなく、自らの頭部前方に装着された高性能カメラを窓の外に向けてみた。

 あたりには草原が広がり、青々と茂った木々のほうからは小鳥の鳴き声が聞こえてきた。


「都市部には、緑が広がっています。

 涼しい風、小鳥の鳴き声、足元には草花の柔らかな感触まであります。

 とても、清々しい気持ちです」


 男は、機械化された頭部の吸気口から、呼吸音を鳴り響かせた。


「しかし、わざわざ私がいうまでもなくおわかりでしょう。


 目の前に広がる視界は、AR技術により描画された風景です。

 足元に感じられる柔らかな感触だって、スマート舗装とスマートシューズが連動することによる『仮想草原ver4.1.3』による演出です」


 スマート舗装の上をスマートシューズで歩くと、足の裏に、柔らかい草原や朝露の冷たさ、ぎゅっという土の踏みごたえなどが再現される。


 さらに、加齢などにより、脳インプラントが挿入された人間の疑似感覚野には、リアルタイムでさまざまな快感フィードバック――頬には風、耳には小鳥の鳴き声など――が送られることになっていた。


「人類は、もう自然を必要としないのでしょうか」


 男は、人工的な声を荒げた。


「草や土、風のにおいさえ、アプリケーションストアからダウンロードできます。

 地を這うミミズの視覚的な動きさえも、サブスクリプションに組み込むことができます」


 男は、少しだけ暗い表情になった気がした。


「……でも、現実は、AR技術の向こう側にある。


 いまはもう、私たちの手の届かない場所に。

 柔らかで青臭い仮想地面の裏側では、硬くて熱くて、それでいて冷ややかなアスファルトが、いまも私たちをじっと踏み返しているはずなんです。


 私たちの脳は嘘をついても、現実は正直なんです。


 私たちの履いているスマートシューズ……。

 デフォルトの状態では草の上を歩くモードになっていますが──その靴底は、夏場では80度のアスファルトに焼かれているんです。


 舗装された地面は、今もここにあり続けています。


 仮想植物は、光合成しないし、水も吸わない。


 露出した仮想土には、微生物も存在しなければ呼吸することもありません。


 ……どうして今まで気がつかなかったのでしょう。

 私たちが剥がそうとしたのは、ただのアスファルトではありませんでした」


 男は、人工肺を通して送られた空気を、勢いよく口元の吸気口から吐き出した。


「私たちが剥がそうとしていたのは――現実を見失うことを正当化する文化、そのものだったのかもしれません」


 なにげなく、窓のほうをみる。


 草原化したスマート舗装の上を、自動車が車輪を転がして走っていた。



 了

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