第5話/社畜・寺西「バッテリー50%」

寺西は、新宿にあるビジネスホテルのエントランスに立っていた。

初めて訪れるホテルだったが、受付では「満室です」と秒で断られた。


少し前、地震が起きた。

高島屋はすぐに営業を終了し、店から追い出された客たちは、行き場を失い、街をさまよい始めていた。


駅も同じだった。

改札前は混雑し、電車は止まり、階段には動かない人の列ができている。

こんなにも人であふれた新宿は見たことがない──そう思いながら、寺西はしばらくその光景を眺めていた。


けれど、そう長くは立ち止まっていられない。

帰れないかもしれないと思った瞬間から、今夜どこで眠るのかを考え始める。

周囲の人たちの足も、徐々に“避難モード”へと切り替わっていくのがわかる。


寺西も近くのホテルを数件あたってみたが、すでにどこも満室だった。


仕方なく、ホテル併設のコンビニで水とおにぎりをいくつか買い込む。

誰に教わったわけでもないのに、自然と手が動いた。

何があっても、とりあえず食べものと水があれば、なんとかなる気がする。


ロビーのソファに腰を下ろし、袋の中を確認する。

ツナマヨ、梅、昆布。いつもなら迷うはずのおにぎりのラインナップを、今日はただ「数」として数えた。


ロビーのテレビには、地震速報と津波警報のテロップが流れ続けている。

赤い帯の画面を眺めながら、寺西はようやく、これはただの“ちょっと大きな地震”ではなかったのだと理解した。


ひとまず、友達だけが繋がっている鍵付きのSNSに、「今、新宿のホテルのロビーにいる」と投稿する。

“無事アピール”と“いざという時の記録”を兼ねた。


ロビーには、次々と人が流れ込んできた。

公衆電話には、信じられないほどの長蛇の列。

試しに携帯で実家にかけてみたが、繋がらなかった。

当然、会社にも繋がらない。


そしてふと、携帯の画面に目を落とす。

――バッテリー残量、50%。

思わず、画面を消した。少しでも節電しなければ。


いつの間にか、外はすっかり暗くなっていた。

ロビーには、静けさとざわめきが交互に揺れながら満ちている。

テレビからは、地震速報と津波警報がエンドレスに流れ続けていた。


寺西は、静かに息を吐いた。

このときはまだ、自分の“長い夜”が、始まったばかりだとは知らなかった。


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