水着のお姉さん
テマキズシ
優しいお姉さん
その日、僕は親と大喧嘩し家出をしていた。
原因はテストの成績悪化。僕が海で遊びすぎているからだと親は僕を叱咤し大喧嘩。
僕はそのまま近くの海まで逃げてしまった。
観光客が居ない時の海は本当に静かだ。
そういえばこの時期は何かが帰って来るから海には近づくな。何かに引きずり込まれ、帰れなくなるから海には行くな。
なんて言葉をよく老人達から聞いたことがあった。
でもそんな言葉を守りたくない。
今の僕には大人の言葉と言うだけでその言葉を破ってやりたい欲求があった。
僕は広い砂浜にザクザクと足音を立て、進んでいく。
そして周囲に人がいないことを確認すると、その場に勢いよく倒れ込んだ。
「お腹……、減ったな」
グーグーとお腹の音が波音に木霊するように鳴り響く。
月で輝いた夜の海は神秘的で心身に染みる恐ろしさがある。
だけど今は……その神秘的な恐ろしさが心を安らげてくれていた。気づけばほっと一息つく。
「どうしようか……。お父さん。帰ってきてたら良かったのに」
お母さんに激怒されると毎回お父さんが僕を助けてくれていた。
しかし今は居ない。
こういう時に限ってお父さんは出張で帰ってこない。僕は自らの不幸を呪った。
「……そもそも。皆がちゃんとテスト範囲を教えてくれたら良かったんだ」
僕だって頑張った。
けどテスト範囲が分かった時、僕は運悪く風邪を引いて寝込んでいたんだ。
でも友達がいない根暗な僕には、誰もテスト範囲を……そもそもテストがあることすら教えてもらえなかった。
先生は恐らく生徒に騙されたんだろう。
知っているはずだと勝手に決めつけ僕を怒鳴った教師の醜い顔は今でも脳裏に浮かんでくる。
「でも……言えなかった」
この事を言えばお母さんは僕を叱らず、学校に殴り込みに行っただろう。
でも僕は……言えなかった。
僕の心に眠る意味の無いプライドが、僕の惨めな思いを封印したんだ。
本当に僕はバカだ。こんな惨めな目に遭ってもプライドを消すことができない本物の無能だ。
「………………ああ」
黒い海が…、こちらに迫る波の音が…、僕に来いと囁いてくる。
フラフラと、体が次第に海の下へと向かって行った。
「少年! それ以上は駄目だよ!」
「…………え?」
体が何者かに引っ張られる。
甘く……、だが芯のある綺麗な声。
僕は何か温かい弾力のある何かに受け止められた。
「良かった〜。もう駄目だよ! そんなことしちゃ!」
「う……あ……」
水着を着た綺麗なお姉さんだった。
全体的に大きく、僕の担任の180cmを優に超える身長。
何……とは言えないが僕の頭を包んだあの場所もバッカデカい。思わず僕は顔を背けてしまう。
夜の闇に輝く黒い髪が僕の体に少し触れ、くすぐったさの中に妙な気持ちよさが目覚めた。
誰も居なかったはず。音も何もしなかった。どうしてここに?
いろんな疑問が湧き上がる。
だが僕はそんな事を考えられるほどの余裕がなかった。
「ううう…!」
彼女を見た瞬間。僕は涙を流していた。
温かい人肌と優しい声色がボロボロになった僕の心に染みていく。
玉の涙を流す僕を見た彼女は一瞬驚いたように目を見開き、すぐに僕を強く優しく抱きしめ頭を撫でてくれた。
「大丈夫じゃないでしょ…。ほら少しづつ呼吸を整えていきましょう。ゆっくり…ゆっくり」
「ううう…うう」
落ち着くのにかなりの時間を要した。
僕は見知らぬ女性に泣きついてしまったと言う事実に耐えられず、顔を赤らめその場でうずくまってしまう。
そんな僕を何が楽しいのかお姉さんはニコニコと見ていた。
「……………ごめんなさい! いきなり泣きついちゃって!」
「大丈夫大丈夫! 次からはあんな事しちゃだめだからね!」
「は、はい! もうしません!」
ずっと泣き続けた事でだいぶスッキリする事ができた。
だけどまだ……、心にしこりが残っている。
もしかしたら小骨を食べてしまったのではと思った時に喉に出る謎の痛みのような、不思議な感覚が僕を襲った。
「……まだ辛い?」
「え!? いやその………………はい」
「そっか! じゃあ話してごらん! 何も知らない人だからこそ話せるものがあるでしょ!」
「でも…」
「でもじゃない! こういうのは話さないとずっと心に残っちゃうの! ……私みたいにね」
「え…?」
お姉さんの雰囲気が変わった。
体がボヤりと薄くなり、寒気が僕を襲う。
でもそれはまばたきをした一瞬のこと。
すぐにお姉さんは元の調子になり、ドヤッと言う効果音が聞こえそうな満面の笑顔で僕の言葉を待っていた。
「……僕。学校で上手く馴染めなかったんだ。人と話すのが苦手で…………」
気づけば言葉を漏らしていた。
一度漏らしてしまうと先の涙と一緒で止まること無く溢れ続ける。
「プリントを渡されない事もあった。先生に言っても聞いてくれなくて……」
「うん…うん。それはひどいね…。君はよく頑張ってるよ」
お姉さんは頭を撫で、僕の言葉に肯定してくれた。
学校ではどんな言葉も否定されてきた僕にとって、お姉さんの言葉は安心感を与えてくれる。
「それで僕は…。僕は…!」
「大丈夫…。落ち着いて。ゆっくり、ゆっくり話すの」
全てを話し終えた時、ようやく僕の心は完全に落ち着いた。
心の闇を全て放出したからか、心だけでなく身体もスッキリしてる。頭もだいぶ冴え、今は風呂上がりの牛乳を飲んだような気持ちだ。
「ありがとうお姉さん!」
「良いの良いの! 少年が元気になって良かった!」
月夜に生まれた太陽のような笑顔。
黒い海に輝く彼女の笑顔はそれだけで賞を取れるのでは感じてしまうほど芸術的。
僕は息を呑み、彼女の美しさに見惚れてしまう。
そしてハッとした。
僕は自分の事だけ話していて、まだ彼女の名前も聞いていないことに。
「そういえばお姉さんのお名前は何ていうんですか…?」
「名前…? 名前かあ…。う〜ん考えたことなかったなあ。そもそも私住む家すら無いし」
「え!? お姉さん住む家ないの!?」
「まあね! 私の家は結構厳しいところでね。今まで我慢してたのが溢れて、生まれて初めての海に来たんだよ! それが楽しくて気づいたらもう夜だったんだ……」
「ええ…?」
しょんぼりと顔をへにゃった後、カラカラと笑うお姉さんの姿には哀愁が漂っていた。
お姉さんと離れたくない……。
お姉さんともっと話したい。もっと一緒に色んなことをしたい。
側に居て欲しい。
哀愁漂うお姉さんの姿に耐えられず、僕は大きな声でお姉さんに提案した。
「じゃあお姉さん! 僕の家に来ない!?」
「…………え? 少年でもそれは親御さんに迷惑がかかるよ。それにそんな心配しなくても」
「僕はお姉さんに助けられたの!!! だから今度は僕が助ける番!!! お母さんもお父さんも僕が説得するから!!!」
力強く。僕はお姉さんを説得した。
お姉さんはとっても優しい人だ。お母さんもお父さんも受け入れてくれるはず。
「………………家に行って……いいの?」
「…うん!!!」
頭に思い浮かんだのは家にお姉さんを連れて行ったことでお母さんが怒る姿……、ではなく老人達から聞いた言葉だった。
何かが帰って来るから海には近づくな。何かに引きずり込まれ、帰れなくなるから海には行くな。
何故僕はこの言葉を今思い出したんだ…?
ああそうだ。確かに僕はあの時海に引きずり込まれる所だった。
でも僕は助かった。他ならぬお姉さんのおかげで。
お姉さんは信頼できる。大丈夫だ。
僕はお姉さんを引っ張って家へと案内する。
僕が肯定しようとした時に見えた……、震えるような笑顔は偽物だったのだと心に釘を刺して。
『午前のニュースをお伝えします。本日未明。〇〇県〇〇市にて親子の溺死体が発見されました。抵抗の様子は無く、家の中での溺死と言うことから本件は何者かが事前に計画したものであると考えられています。また出張中の父親に連絡が取れず、現在捜査中とのことです』
水着のお姉さん テマキズシ @temakizushi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます