あの日さよならをするために
ポチョムキン卿
さよならのグラデーション
プロローグ:カセットテープの擦り切れる音
僕の青春は、いつもどこか曖昧なグラデーションの中にあった。それは夕暮れの空の色にも似て、はっきりとした輪郭を持たないまま、じんわりと心に染み渡っていった。あの日、ラジカセから流れるビリーバンバンの「さよならをするために」を初めて耳にした時の衝撃も、まさにそんなグラデーションの中に溶け込んでいた。カセットテープが擦り切れるほど聴いたそのメロディは、僕にとって単なる流行歌ではなかった。それは、来るべき「さよなら」と、去りゆく「あの頃」を繋ぐ、細いけれど確かな糸だったのだ。
第1章:昭和の残照、そしてニューミュージックの胎動
1973年。僕がまだ小学生だったあの頃、日本は高度経済成長の熱狂がようやく落ち着きを見せ始め、オイルショックという影が忍び寄る直前の、どこか浮遊感のある時代だった。テレビでは歌謡曲全盛期が続き、演歌とグループサウンズの残響が入り混じっていた。しかし、その一方で、フォークソングから派生した「ニューミュージック」という新たな潮流が生まれつつあった。吉田拓郎や井上陽水が既成概念を打ち破り、自分たちの言葉で歌い始めた。彼らの音楽は、それまでの歌謡曲にはない、個人の内面や社会への眼差しを伴っていた。「さよならをするために」がリリースされたのも、まさにそんな過渡期だった。
ビリーバンバンといえば、都会的で洗練されたハーモニーが特徴だ。彼らの歌は、フォークのような土臭さとは一線を画し、かといって歌謡曲のような大衆迎合的な匂いもしなかった。その中間にある、どこか繊細で、思慮深いサウンドは、僕のような多感な子供の心に静かに響いた。歌詞の「さよならをするために」というフレーズは、子供ながらに漠然とした不安を煽った。それは、友だちとの別れなのか、慣れ親しんだ場所からの旅立ちなのか、あるいはもっと大きな、時代そのものの変化を予感させるものだったのか。
第2章:街角の風景と家族の団欒
当時の街には、まだ今のようなコンビニエンスストアは少なく、八百屋や魚屋、肉屋といった個人商店が軒を連ねていた。夕方になると、それらの店から漂う匂いが混じり合い、今日の献立を想像させた。テレビは一家に一台が当たり前になりつつあり、夜のゴールデンタイムには家族全員でチャンネルを囲んで団欒する風景が日常だった。「8時だョ!全員集合」で笑い転げたかと思えば、「日本沈没」に心を震わせた。ブラウン管の向こうには、時代の空気が凝縮されていた。
僕の家でも、食事の後のリビングは家族の笑い声と、ラジオから流れる音楽が混じり合う場所だった。親父は酒を飲みながら時事ネタを語り、オフコースや荒井由実を好んで聴いていた。そんな中で、ふとラジオから「さよならをするために」が流れてきた時の、あの何とも言えない静けさ。それは、誰もがそれぞれの「さよなら」を心の中で反芻しているような、そんな時間だった。大人たちの会話の端々から漏れ聞こえる「オイルショック」や「公害」といった言葉は、子供心に漠然とした不安の影を落としていたけれど、この曲はそんな現実から少しだけ目を背けさせてくれる、優しい鎮痛剤のようでもあった。
第3章:僕のさよなら、そして未来への予感
小学校高学年になり、僕は少しずつ大人びていった。友だちとの遊びも、秘密基地での探検から、アイドルの話題や将来の夢を語り合うことに変わっていった。中学への進学を控え、漠然とした「さよなら」の予感は、次第に現実味を帯びてきた。それは、慣れ親しんだ小学校生活との別れであり、幼い自分との決別でもあった。
通学路の桜並木が、春の風に花びらを舞い散らせるたびに、「さよならをするために」のメロディが頭の中で流れ出した。散っていく花びらは、過ぎ去る時間を象徴しているようで、どこか切なく、でも新しい始まりへの期待も感じさせた。友達と交わした「また会おうね」という言葉は、この歌の「さよなら」と同じように、再会を願う気持ちと、もう戻れない日々への郷愁が入り混じっていた。
僕にとって「さよならをするために」は、単なる失恋ソングではなかった。それは、移りゆく時代の中で、僕自身が経験する様々な「別れ」と「始まり」を優しく包み込んでくれる、僕だけのアンセムだった。あの頃の僕は、まだ未来の自分を想像することもできなかったけれど、この曲が教えてくれたのは、さよならは決してネガティブなだけのものではない、ということだ。それは、新しい自分に出会うための、そして新しい世界へと踏み出すための、必要なプロセスなのだと。
エピローグ:時を超えて響くメロディ
あれから数十年が経ち、僕を取り巻く環境は大きく変わった。デジタル技術の進化は目覚ましく、カセットテープはおろか、CDすら過去の遺物になりつつある。しかし、ふとした瞬間に耳にする「さよならをするために」は、あの頃の僕を鮮やかに蘇らせる。曲が持つ普遍的なメロディと歌詞は、今もなお、僕の心に静かに語りかけてくる。
人生は、さよならの連続だ。大切な人との別れ、慣れ親しんだ場所からの旅立ち、そして、古い自分との決別。その一つ一つが、僕たちを成長させ、新しい景色を見せてくれる。ビリーバンバンが歌い上げた「さよならをするために」は、そんな人生のグラデーションを、優しく照らしてくれる光なのだ。あの頃の僕が、カセットテープの擦り切れる音とともに聴いたこの曲は、今も僕の心の中で、大切な思い出として生き続けている。そしてこれからも、僕が新たな「さよなら」を迎えるたびに、きっとそっと寄り添ってくれるだろう。
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あの日さよならをするために ポチョムキン卿 @shizukichi
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