結ビノ章

居候を始めて三日が経った晩だった。

ふと目が覚め、夜風に当たろうと外に出た時だった。

店の裏口の前に、診療所で見た白髪の少女が立っていた。


「やぁ、三日ぶりだにぇ~」

『……あっ』

「"あっ"じゃないが」


……そういえば、郷へ行く誘いを受けていたのにすっかり忘れてたな。


「で、決まった~?」

『……あぁ。やはり、自分が何者であるのかを知りたい。行くよ』

「そっか。じゃ、連れてくからそのままじっとしててね」

『……?』


ただ突っ立っていると、少女に足を取られ、反動で横抱きにされ、すぐに地面から離れた。


『うわっ!?』

「黙って目閉じてな! 喋ると舌噛むよ!!」


気づけば随分天高く飛翔していた。強く風が吹き、月は西側へ傾き始めていた。

里の家々は蟻のように小さくなっていた。

ふと少女へ目を向けると、それまで無かった純白の大きな翼が生えていた。

そして……言われるがまま、腕の中で目を閉じた。



  ◇



「起きろ~! 朝だぞぉ~」

『……んぅ?』


頭をゆすられ起こされたこの場所は……関所のようだった。

赤い小屋と扉、黒い瓦屋根で出来た立派な関所だった。


だが、明らかにどこか非現実的な光景だった。

空は異様に紅いし門番の中には異形の者が何人か居たのだ。

呆気に取られていると、座っている一人の門番が話しかけてきた。

十二角形の小さな帽子を被っており、色は緑だった。


「ようこそ、妖怪の郷へ。虹隠小雪君と倉見で合ってるか?」

『あっ、あぁ……』

「はいっ、通行手形」

「どうも。じゃあ通っていいぞ~。屋敷に案内するから余について来い」

「了解です先輩!」


倉見に先輩と呼ばれた其奴は、我等を真新しい屋敷まで案内してくれた。

道中、この世のものとは思えぬ魑魅魍魎と何度もすれ違った。

本当に「妖怪の郷」なのだな……。


屋敷は平屋で生垣に囲われており、庭も納屋もある立派な建物だった。

我等は大広間に通された。


「申し遅れてすまぬ。余は木の葉天狗の戸賀トガ サカイだ。此方は同族の倉見。貴方の屋敷の用意と過去を伝える役目を担っている。よろしく頼む」

『こちらこそ』


それからは、虹隠家の成り立ちや苫波党の事、我の人間関係、決戦の日の事、そして亡黒羅神様は虹隠家を愛しているがために村を滅ぼしたことなど、様々なことを教えられた。

時折、倉見との思い出話も挟んで聞かされた。


それでも、当時の我の記憶が蘇ることは無かったが、知識として知ることは出来た。


そして半刻程経った頃、戸賀は厠を借りると言って離席した。

その隙を見計らっていたかのように、倉見が口を開いた。


「……さて、小雪君には授けたい物がある」


差し出されたのは、細長い桐の箱だった。

蓋を開けると、一本の古びた巻物が顔を出した。


題名は……「虹隠家系譜」!?


「ふふん! 貴方の先祖の妖怪と人間が結ばれたところから、小雪君に至るまでの全てを網羅している巻物だよ!」

『こんな代物……なぜここにあるのだ……』

「実は決戦当日ね、これが消される前に貴方の蔵に忍び込んで持って来たの~!」

『しれっと火事場泥棒していたのかお主』

「えへへ……」


ふと、倉見は微笑んでいた口角を戻し、我の耳元へ顔を寄せて来た。


「……で、貴方は帰るべき居場所を見つけたんでしょ? これは懐に入れておいて」

『なぜそれを?』

「きっと、あのが最も欲しがっていたのはこれだと思うから」

『……!!』


『……逃げ出すのを手伝う気か?』

「いや、わっちが出来るのはこれを預ける事だけ。でもそこから納屋に仕舞うも懐に入れるも、貴方の自由だよ」

『……そうか』


そこまで話したところで、耳元から離れた。


「ふぃ~……気晴らしに散歩でもする? 難しい話ばっかで疲れたでしょ~」

『とか言って、それで疲れたのはお主では?』

「あははっ! やっぱ小雪君にはバレるかぁ~」

「んじゃ、そこの裏口から出よっか」


そう言われて、縁側を経由して建物裏の小さな戸の前へと向かった。


「あっ! そういえば戸賀先輩が厠から出てくる頃だ!」

『おっと、そうだったな。では散歩は後にしようか』

「……うん」


イマイチはっきりしない返事が返って来た……と思えば、倉見は小さく呟いた。


「行け」

『……ありがとう』


指示を聞いた瞬間、静かに戸を開けて素早く家を出て、通りを走り抜けていく。

目指すは関所だ。道筋は覚えている……が、どうせ着いたところで捕まるだろうに。



  ◇



やっと関所を見つけた!

……が、何者かに見つかったようで、突然後ろから肩を叩かれた。


「貴様……もう外の世界が恋しくなったか?」


この重苦しい御声……おそらく亡黒羅神だ!!

これを見越して待ち伏せしていたというのか!?

だが……我の居場所はここではない!


『我は、これまで人間として歩んできた。人間は、人間の社会で生きるべきだ』

「そおか……大人しく移り住む気になってくれたかと思ったが、残念だ」


「…… 一戦、交えたいか?」

『……あぁ。決戦の日にされた事のお返しも出来てないだろうしな』

「ほお、貴様が村を代表するのか……こりゃあ楽しみだな」


大きな手が、肩を離れた。

左側から回って来た重い足音。それを聞いて、鼓動はさらに速くなる。

亡黒羅神が、関所の前で立ちはだかるような格好で現れた。


『「――いざッ!』」


我は身体が覚えている通り刀を振り、奴はそれを拳で受け止める。

……ただそれが続くだけの時間が続いた。

奥義も何も覚えておらず、会心の一撃を与えることが出来ぬまま、時だけが過ぎた。


『もし、お主は……なぜそこまで我を必死に止めるんだ?』


「……君は、儂が犯した最大の失敗をもう一度繰り返せというのか?」


『それは……』

「彼奴は儂の大親友で、半分家族のような存在だった。そんな奴の恋を応援したら、現地で迫害・侮辱された」


「……今度こそ、何も失うわけにはいかないのだよッ!!」

『ぐあッ!!』


その一言と共に繰り出された拳で刀が弾き飛ばされ、勢い余って尻もちをついてしまった。


駄目だ……貧弱な人間程度では全く歯が立たない。

どうする……!?

白旗を揚げる余裕がある内に諦めた方が……良いのか?


……本当に、それで良いのか?


『……』

「どおした。もう力が出ないか? まぁ無理するでない。儂も貴様が療養を終えたばかりなのを知っておる」


……これが、絶望か。

いや、あれだけ歓迎されるのであれば、ここで暮らすのも悪くないのかもなぁ……。


そんな諦めかけていた時だった。

唐突に紅い空が、我々の頭上のみ暗雲で染まり始めた。

……雨雲にしては発生の仕方が出鱈目すぎないか?

それは一定の塊が形成され、次いで太鼓のような音と共に糸状の光を纏った。


「あ……? なぜこんなところに雷龍が飛んで来た……?」

『……雷龍?』


なぜだろう……昔、それをどこかで見かけたことがある気がした。

だが深く思い出す間もなく、その光が轟音と共に我に直撃した。


『ぐあッ!! ……ッアーー!!』


身体中が痺れてたまらない。こんなの、貧弱な人間の身に耐えられるはずがない。

……耐えられるはずがないのに、なぜか逆に足と肩が軽くなった。


「バァリィー!」

『お前さん……雷を次男坊に落として何がしたいのだ?』


……鋭い爪と牙を持つ白い龍が、思いの外柔らかい声と共に現れた。

雷龍とやらは我の横に付き纏い、亡黒羅神をじっと見つめた。


「……お主、我に力をくれるのか!」

「バァル♪」


気のせいか、笑顔でうなずいてくれた気がした。

それはまるで、実の母のような優しい振る舞いだった。


『ほお……面白い。そうこなくてはな!! 戦闘再開だ!!』


掛け声を合図に、再びぶつかり合った。

だが、意外にも算段はすぐについた。雷に打たれた際、知らない技能の事が頭に流れ込んできたからだ。


一歩下がり、目を閉じて真っすぐ刀を構えた。


「――虹隠奥義、【八玉如騎馬隊ハチギョクキバタイ ノ ゴトシ】ッ!!」


唱えた瞬間、目の前に八つの鬼火が円を作るように回り始め、一発ずつ亡黒羅神へと飛んで行き……爆発した。

それに続き、地面を蹴り上げ、奴を頭から一刀両断した。


「ぐわああぁぁ!!」


……奴はそのまま倒れた。


『……やったのか?』


だが、例によって両半身が合体して立ち上がった。


「……強くなったな、貴様。よし、その意志の強さを認め、里に帰してやろう。ほれ、倉見よ! 見てないで送ってあげなさい」

「あっ、御意ッ!!」



  ◇



妖怪の皆と別れ、倉見とも橋上で別れの挨拶をした。

日は一度昇った後沈んだようで、月が東から出ていた。


急いで知原家へと帰ったところ、娘が待っていた。


「……はっ! お帰りなさいませ小雪様~~!!」

『何も言わず家を飛び出してすまなかった。ただいま』


……やっと帰って来れた。

そして、店の奥にある和室へと入った。中ではお父様とお母様が待っていた。


『前に言われた通り、我の身分が分かる家系譜を持って来た』


懐から巻物を取り出し、お父様に差し出した。


「ふむ……随分と年季の入った巻物だな。信用は出来そうだ」


お父様はすぐに家系譜を広げられた。

だが、冒頭の箇所に目を通し始めた途端、目つきが豹変した。


「さてはお前さん……アヤカシの血が流れているな?」

『「ッ!!』」

「なんですって!?」


お母様は恐れおののくように声を上げたが、娘はまるで予め察していたかのように、少し顔が青ざめただけで済んだ。


「世代を重ねたとて、そう簡単に妖の血は消えまい。もうこれ以上我が家には関わらないで頂きたい」

『そんな……』

「貴方は……私達を化かしていたのね!!」

『そんなつもりは……』


場が一瞬で凍った。

だが、それでもお構いなしに娘は身を乗り出して巻物をさらにめくり、我の世代から順に家系譜全体を指で辿っていた。

まだ何か希望があるとでも言うのか?


「おい!! 今は取り込み中だ!!」

「……!! お父さん! 見てこれ!!」


「知原家って書いてある!!」

『「「はあ!?』」」


お父様は娘の手を払い、該当箇所をじっと見つめて読み上げた。


「永徳元年、知原家、度重なる戦乱により、ついに居村に堪え難き旨を乙名に奏し上ぐ。乙名これを容れ、同年八月十八日、奉書を賜り、知原家、村を立ち退き、虹隠家との縁絶す」

『「「……!?』」」

「つまり……うちらは昔、小雪様の一族の元分家だったってこと?」

「正直不服だが……そういうことになるらしいな」

「……貴方、そういえば我が家の家系譜は、不自然な空白が無かったかしら?」

「……見てみるか」


お父様は知原家の家系譜もどこからともなく持ってきて広げた。

確かに、所々不自然に空いているように見える。


「時期も一致する。これで確定としても良いだろう」

「はっ! だったら!!」

「……結婚か」


身分は判明した。知原家との繋がりも判明した。これで……どうだ?


「貴殿の長男と父方は?」

『もう、この世には居ない。我が唯一の生き残りだ』

「なら、虹隠清次郎様。貴殿の仰せの通りに」


すかさず、娘が我に向かって額と手を畳に付けた。

続いて、お父様とお母様が渋々頭を下げた。

これ以上に無いくらい、部屋一帯に緊張が走った。


――答えなんて、最初から決まっている。



『……我は、知原家の娘と結婚する。元よりそのつもりで家系譜を持って来たのだ』


「「御意」」



「……!! やった……! ありがとうございます小雪様ぁーー!!」


娘は、嬉しさのあまり我に抱きついてきた。

緊張が一気に解けて腰が抜けるかと思った。


「ねぇ、あの川辺に行きましょう! 記念に連歌を詠ってみたいの!」

『あぁこれ! 夜道を走っては危ないぞ!!』


娘は我の手を引き、共に川辺へと走り出した。


「良いのですか? 半妖の居候と……」

「あぁ。少なくとも、結ばれたらまずい家柄では無かったしな」

「……それに彼奴はきっと、蕗子フキコを幸せにしてくれそうだなって勘が働いたんだよ」

「……ふふっ。貴方の勘ならもう、信じるしかないじゃないですか」



  ◇



「おら、知原蕗子と申します! 蕗の子供、蕗のトウこと蕗子です!」

『そんな素敵な名前だったんだな、お主は』


いつ聞いても心落ち着く清流の音が、今宵は特に美しく感じた。


『……今更だが、実は我がこの里にやって来たのはだったのだ』

「逃げる……?」

『かつて、向こうの山道を上って行った先には【神返村】という、我が住んでいた小さな集落があったのだ。だが、恐ろしい魑魅魍魎に襲われ、その時父上に言われて逃げて来たのだ。"虹隠家の、この村の血を絶やすな!"と』

「そうだったのですか……おらが思っていたよりも壮絶な過去があったのですね」

『あぁ……そして、我一人だけが生き残ってしまった。三人の盟友も、兄上も散っていった。そんな中、我だけがこうして幸せになってしまって良いのだろうか……』


少し間を置いて、お蕗は口を開いた。


「……少なくとも、おらは良いと思いますよ。だって普通、貴方の家族や盟友は、貴方が幸せでいる事を願うものではありませんか? 血筋もこうして、途絶えずに済んだことですし! ……まぁ、本家の苗字は消滅してしまいますが」


……そうか。本来の目的は達成したも同然。それに、言われてみれば我も、盟友や家族達が幸せでいると嬉しかった。確かにそういうものなんだろう。


『……そうだったな。なぜこうも簡単なことを忘れていたんだ……ありがとう』

「はいっ! じゃ、おらに続いて詠ってくださいね」

『分かった』



「二川の 水音ミオトを渡る 月の橋」

『長途の果て 君が待ちけり』



――後に、知原家に新たな家族が産まれた。

こうして、その虹隠家の血は首の皮一枚で繋がったのだった。



さて、この血は今、どこの誰に流れているのでしょうか?

それは貴方自身かもしれないし、貴方の知人かもしれませんね。


 ~終~

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妖怪侵略史 ~血と悪縁で紡がれた家系譜~ アノルデンこまち @Anorden_Komachi27

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