してくれないハラスメント
渡貫とゐち
第1話
みなが憧れる大手会社に就職できたわたしは、長かった厳しい研修を終え、やっと本社勤務になることができた。さらば退屈な一ヵ月。わたしの華々しいデビューである。
広々としたオシャレなオフィスで新人としての挨拶をし、その後は隣の席の直属イケメン上司(三十代)から仕事のあれこれを教えてもらった。
研修内容を思い出しながら先輩の仕事についていく……最初は苦労したけど、コツを掴めば力の抜き具合も分かってくる。まあ、少しのトラブルはあるんだけど……。
怒涛の勢いで過ぎてしまった一週間。
――金曜日。
わたしは退勤の記録を取ってから――先輩を見た。
今日は金曜日なので、明日は土曜日だ……当然ながら二連休。
本社勤務となってから初めての土日だった。
「それじゃあ、鹿野さん、今日までに教えたことをちゃんと家で復習しておくように。勤務時間以外の連絡ですが……まあ、してもいいですけど、俺も返信できるとは限りませんので……できるだけしないようにお願いします。じゃあ、また月曜日にでも」
「はいっ。……はい?」
あれ? また月曜日……?
いやいや、早いですって、先輩。これじゃあまるで、この後に親睦を深めるために飲みにいきましょう、とは言わずに帰るみたいじゃないですか。
「あのっ、
「ん? どうし……ました?」
高身長、顔が良い三代先輩が振り返る。
飲みに誘う、なんて頭の片隅にさえないような顔だった。……なんでっ!
「なんで飲みに誘ってくれないんですか! だって――社会人は飲みニケーションなんですよね!?!?」
大手会社に入れば当たり前にあるものだと思っていた……そうやって仲を深め知り合いを増やしていくものばかりだと思っていたから……それがまったくないなんて、そんなの……。
じゃあ、どうやってステップアップしていけばいいのよ!
「飲み? いやいや、そういうのはもうなくなったんですよ。誘われて嫌がる新入社員も増えましたしね……。自由時間を大事にしたい、って人が多いでしょう? 若い人は飲みよりも自由時間が欲しいと思って、だから誘わなかったんです。
飲みに誘うこともパワハラになってしまいますからね……、リスクがでか過ぎます。だったら、なにもしない方がいいって思いますよね?」
それは――、もちろん、そういう若い人がいることも事実、そういう人が多いのもわたしから見ても分かるけど……でも、飲みたい人だっているのだ。わたしみたいにね!
先輩が言うには、パワハラに「なる」「ならない」の二択のどちらかに転ぶか分からない以上、念のために誘わない方がいい、安全だ、と判断したらしい。
……被害が出るのは先輩だから、そう判断する気持ちも、まあ分かるのだけど……。
先輩だけじゃない。会社全体にそういう空気があった。
飲み会自体がないわけじゃないんだけど、あっても時間は短く、社員の負担にならないように意識されている……、全方位に気を遣った会合になってしまっているのだった。
それが悪いってわけじゃないのは、大前提として。
「そんなこと言わずにー、飲みましょうよ。わたし、楽しみにしてたんですからー」
「そう、ですか、楽しみにしてくれていたのは嬉しいですけど……」
「――ん、鹿野さんと、三代じゃないか。飲みに行くのかな? だったら私もいいかい?」
すると、ちょうど帰るタイミングが合った、えっと、課長……? が顔を出した。
ふくよかな中年で、ハゲ――おほん、頭髪の薄いおじさんだった。
こう言ったら偏見でしかないけど、だからわたしが悪く言われて当然で――、……なんだか、セクハラされてる気分になる見た目だった。
女性を見る目に下心が多分に含まれていそうな……(偏見)。
すると、三代先輩が課長の耳元に口を寄せた。目の前でこそこそ話するの?
「(課長、ダメですって。課長なんか生きたセクハラなんですから、年下の、しかも若い世代にボコボコにされますよ。セクハラ、パワハラ、同時に何件も訴えられたら――そんな人材がいる会社は恥です――気を付けてください)」
「え。私、そこまで言われるほど偏見があるのかな……」
「ありますよ。課長、歩くセクハラでしょう?」
「君の言い分はなにかしらのハラスメントになると思うが」
さすがに可哀そうだったけど、三代先輩なりの忠告なのがよく分かった。
いいや、緊急性が高いので、これは警告なのだろう。
「とにかく、課長はダメですよ、訴えられると分かっていて、みすみす行かせるわけにはいきません。――さあ、今日はもう帰りますよ。課長には奥さんと子供がいるんですから、家族サービスをしてあげてください」
「ううむ……、それもそうか」
おっと。このままだと飲みに行くこと自体が流れてしまいそうだ。
リスクヘッジのために飲みには誘わない……分かるけど……でも。
こっちにだって不満があるのだ。
「――なんでっ、なにもしてくれないんですか! なにもしてくれないハラスメントになりますよ!? ないハラです!」
「な、ないハラ……!?」
「ええ、そりゃあもうっ、ないハラですよ! ハラスメントを意識し過ぎて、新入社員に冷たくなってます! そりゃ、仕事仲間でしかありませんけどぉ……、それでもやっぱり仲良くなるためのイベントは欲しいじゃないですか! わたしみたいに飲みに誘ってほしい部下だっているんですっ、なんでもかんでもリスクヘッジして、部下になにもしないのはダメですから!」
だんだんっ、と地団駄を踏む。
飲みに行きたい行きたいっ、という気持ちが行動に現れていた。
おっとっと、はしたない子だと思われてしまう。
「……はぁ」と、三代先輩が溜息を吐いた。
あ、もう思われてるな?
「誘ってほしい、ね……それが分かれば苦労しないんですよ。いつどこで、気が変わるか分からない。自称被害者優先の風潮です、言われただけでこっちは社会的に終わるんですから、意識しますよ……。気軽に地雷原を歩くことはできないんです。分かってください――ハラスメントを回避するなら、触れないことが一番ですよ」
「それはそれで、なにもしてくれないハラスメントになりますけどね……、あー、傷ついちゃったなー……ちらり」
「なら、鹿野さんから誘ってくれればいいじゃないですか。部下の誘いを断る上司もそういませんから」
「え、嫌です、なにかのハラスメントになりそうですし」
「あなたがリスクヘッジしてるじゃないですか」
もちろん、無自覚ではなかった。先輩の言う通りだった……、訴えられたら、と思うと安全策を取りたくなる。つまり、なにもしないのが一番だ。
なにもしないハラスメントがあったなら、詰み、なのだけど……。
動けば訴えられるし、動かなくとも訴えられるし。
じゃあどうしろって言うんだ――が本音だった。
仲良くなれば飲みも気軽に誘えるのだろうけど……じゃあ、仲良くなろう、と思えば、手っ取り早いのは飲みに誘うことだ。
だけど、飲みにはまだ誘えないから……あれ?
仲良くなるためにはどうすればいいんだろう……?
「先輩、仕事中に仲良くなりましょうよ」
「仕事に私情を挟まないでください」
「そんな言い方……っ、ハラスメントですよ!」
「そうやってハラスメントを盾にするなんて……、ハラスメントですよ」
「君たち、やめなさいってば……喧嘩なんてして……上司を困らせないでくれ。これ、私へのハラスメントになるんじゃないかね……?」
ハラスメントに返すようにハラスメント。
第三者が口を出してもハラスメント。ハラスメント自体がハラスメント――
きっと、なにをしてもハラスメントになるのだ。
――こんな感想もまた、誰かにとってのハラスメントになるのかな?
※
つまり、
あなたのレビューも、わたしへのハラスメントになることをここに記しておきますね。
… おわり
してくれないハラスメント 渡貫とゐち @josho
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