五月雨のパークアンドライド#

名暮ゆう

#

 どうして公園に来たんだっけ。

 言い訳の一つや二つ、あったような気がするが、今や私の両手はビニール傘と紙袋で埋まっていて、思い返す余地はなかった。

 ここは、そこまで大きな公園ではない。どの方角からでも対向に歩いてみれば、一分も経たずに敷地外へと出ることができてしまう。中央に公衆トイレがあり、あとはその周辺に紫陽花が咲いているような、街中のありふれた公園の一つである。

 見渡す限りに鈍色の雨雲が広がる空を、ビニール傘ごしに眺めてみる。雨粒が傘を覆い、ほとんどまともに楽しめない。雨粒を弾く音がやけに大きくなった気がした。

 梅雨時に決心したことが間違いだったのかもしれない。両手を傘に添えたことで、紙袋がガサリと音を立てる。自然と中身に目がいった。その先を考えただけでも喉が締めつけられる。巻き舌になって唇がぎゅっと締まる。


 ……目を逸らした先には、紫陽花がいた。

 青や紫で色づけられたそれらは、流石は梅雨の風物詩と言ったところだろう、雨多し梅雨の風情を色や形で体現し、こうして降り注ぐ雨に打ちつけられても尚、強く逞しく咲いている。私とは大違いだ。

 私とは、大違いだ。


 ……ねえ、どうして君たちはそんなに前向きなの。


 紫陽花に語りかけてみる。

 彼らは梅雨風に吹かれてふわりと揺れた。途端に雨脚が強まって、それはより顕著となった。私には紫陽花が私の言葉を否定したように思えて、胸の奥がキュッと締めつけられた。


 ふふ、突然話しかけてごめんね。怖かったかな。

 でも、大丈夫。私は何もしないから。


 気を取り直して、中腰になって彼らに目線を合わせてみる。

 反応はあった。紫陽花の茎から伸びる一枚の葉が、大きく揺れた。おおっ、と思って葉を捲ってみる。


 ……ガッカリした。

 カタツムリが動き出したのに合わせて反応しただけだった。

 咄嗟に舌に歯を立ててしまって痛かったが、めげずに話しかけてみる。


 私とは違って、綺麗だよね。

 何か、秘訣とかあるの?


 ……奴らは気高い植物で、人間を見下しているのかもしれない。そう感じさせるほど、うんともすんとも言わない。


 ――馬鹿にしやがって。

   気を利かせて話しかけてやったのに。

   この仕打ちかよ。


 貴方たちは私のことなんて何も知らない。私だって、貴方たちのことは何一つ知らない。いつからこの地で花を咲かせているのか――梅雨頃なのは明白だが――私にまじまじと見つめられてどう感じているのか、何一つとして知らない。

 だから、言葉を交わそうと思った。

 対話をすれば、分かり合えるかもしれないと思った。

 普段なら、誰も私の話に耳を傾けてくれない。

 けれど、君たちなら。

 もしかしたら。

 そう、思ったのに。

 やっぱり、私の善意には応えてくれないの?


 ……ねえ。

 どうしてそんなにまじまじと私を見つめるの。


 何と問われていようと、私には微塵も理解できない。それでも理解してよ、そう訴えているような気もした。



 ――無理でしょ。

   植物の分際で。



 無性に腹が立って鷲掴みにしてみる。力加減が分からず、紫陽花の身体からいっぱいの雨粒が弾けて、私の顔まで飛んできた。……惨めな植物に汚された気がして、鷲掴みにした手を握り拳に変える。ガサガサ、ミチミチ。手がぎゅうぎゅうと音を立てている。

 それから紙袋を振るい、紫陽花らを強打する。

 どうだ、痛いか。

 本能に任せて紙袋を左右に力いっぱい振るう。ふん、ふんッ。花弁はその度に周囲へ飛び散り、やがて花は茎からへし飛んでいった。はあ、はあ……。それからぐりぐりと、紫陽花を踏み潰してみた。既に十分湿きったスニーカーだったが、執拗に踏み込んだからか、異物感のある染み込みが指先の体温を冷ましてゆく。


 ふふっ、お似合いだね。

 半ば地面に埋もれた紫陽花を眺めながら最初に出てきた感想は、それだった。少なくとも私からしてみれば、同情を抱くほどに汚らしい紫陽花が目の前に現れて、強かな笑みすらこぼれるほどだった。


 ……綺麗なんて、詭弁に決まってる。


 多分、その価値観は、人間には必要のないものだと思う。だって私たちは、埃やゴミが粘着した汚らわしいキャンバス。

 人間ってそういうもんでしょ。

 生きているだけで世界を汚してゆく。

 集団行動を基本とするのに、集団の中で惨めな人間を指差して、袋叩きにする哀れな生物。

 私だって何度も言われてきた。

 身の程を弁えろ、お前なんて見る価値のない、醜い、実に。そう罵られながらスプレー缶を制服に噴射された。こっちの方がお似合いだよ。私が塗り替えてあげたんだよ感謝しなよ。あ、ありがとうございます……。人間ってそういうものだから。上には上がいて、下には下がいる。あんたみたいに醜い物は、上からの施しをただ待っていればいいんだよ。どうせ生きてるだけで汚いんだからさ。


 ふふっ、そうだね。

 そうだった――。


 傘を閉じ、その先端を地面に突き立てる。心なしか、紫陽花の嬌声が耳をつんざいた。アリガトウゴザイマスって? 馬鹿らしい。

 雨粒に期待した。

 私の身体を清めてくれるかもしれない。

 助けを求めた。

 これが最後のSOSだった。

 けれど、無意味だった。汚らしい私が露呈するだけ。彼らの方が、余程。だから、私というキャンバスに敢えて描き足すとするなら、それは紫陽花になる。花は、何故だろう、そこに在るだけで彩りを与えてくれる――そんな気がして。


 世界は依然として黒く厚い雲に覆われている。

 雨は止まない。一寸の光も見当たらない。希望はない。抜け目なく、私の身体を隅から隅へと濡らしてゆく。

 ずぶ濡れになった髪はきっと痛むだろう。雨粒で透けたブラウスも汗ばんだスカートのベルトも、洗い流されたところで削ぎ落せはしないだろう。

 紙袋から色落ちしたジャケットを取り出し、誰も見ていないからと大げさに羽織ってみる。

 そしてもう一つ。

 ジャケットで包んでいた包丁を、

 そっと握ってみる。


 今は不思議と――手に、馴染んでいた。


 もう傘は要らない。

 それは紫陽花に突き立てて、紙袋も投げ捨てた。

 スニーカーにこびりついた泥をアスファルトに擦りつけ、紫陽花の方に身体を向ける。

 甚雨ひさめを受け入れる覚悟はできた。

 後は別れを告げるだけ。


 ――さようなら。

   次会う時は、隣で咲いてもいいかしら。


 フフッ。

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五月雨のパークアンドライド# 名暮ゆう @Yu_Nagure

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