第17話:退院

 退院の書類には確かに、自分や病院関係者とは別に2名の名前があった。

 費用支払いの証明欄には『五十嵐純一』とある。そして――

 身元引受人の欄には『五十嵐圭』とあった。

「……苗字、一緒なんだ?」

 書類をじぃっと見つめながら、独りごちた。

 それにしてもなんて迂闊うかつだったのか。自分は今まで、ケイのフルネームを聞き忘れていたのだ。

「兄弟、とかなのかなぁ……」

 でも、兄弟という関係性に2人を当てはめてみると、どうにも違和感がある。それにケイは、五十嵐のことを“雇い主”と言っていたような気がする。

 自分の苗字も五十嵐だというのに、雇い主のことを五十嵐と呼んでいるのもなんだか変だなと思う。


 そういえばケイは以前、すごく妙なことを言っていなかっただろうか。本名が無くなって、ケイが本名になった。そんな話をしていなかっただろうか。

(あれって、どういう意味だったんだろう……)



 ケイはどうやら、身寄りがなくなったエナのために、一時的に保護者代わりになってくれるつもりらしい。退院の日にもわざわざ病院まで来てくれた。

 病院を出るときには、白いマフラーを身につけた。

「思った通り、よく似合う」

 この人は普段はぶっきらぼうで無口なくせに、思いがけずストレートなことを平然と口にすることがある。そういうことを言われると少し返事に困ってしまうし、いちいち照れてしまうのもなんだかしゃくだ。

「ありがと」

 マフラーに顔を埋めながら、小声でお礼を言った。


「腹が減るだろう」

 病院を出てすぐ、ケイはそんなことを言った。エナが小さく頷くと、ケイは目についた和食屋を指さす。異論はないけれど……。

「随分シブいところに連れてきてくれるのね」

 暖簾のれんをくぐりながらつい、ボソッと言ってしまった。

「まだ本調子じゃないだろう。うどんでも食っておけ」

答える声はとても柔らかかった。


 真っ黒な風体ふうていのケイと昼の和食屋はどうにもミスマッチな気がした。だけど、2人であれこれと話しながら料理を注文していたら楽しい気分になってきた。

(ああ、なんだかデートみたいだな……)

 内心でそんなことを思う。

 お茶の湯呑みを持ち上げたら、ケイも湯呑みを持って軽く当ててきた。

「退院おめでとう」

 湯呑みで乾杯なんてしたことがない。いよいよおもしろく思えてきて、「ありがとう」なんて答えながら声を上げて笑ってしまった。

「なんか、釈放後みたいね。シャバに出て最初のご飯」

「重めの冗談は止めておいてくれ、反応に困る」

 困惑されてしまった。

「まあ、妹があんなことじゃあね……」

 軽い気持ちで言った冗談だったけれど、どうやら状況が状況だけに、洒落にならないらしい。


「五十嵐はオレが止めておくが……」

 メニューが豊富な和食屋なのに、ケイは術後のエナに気を遣ってか、エナと同じうどんを注文した。無表情で食事をしながら言う。

「万一接触があったら、オレに連絡してくれればいい。なんとかして止める」

「ああいう人間って止めて止まるものなの?」

 ケイは食事の手を止めた。しばしの無言。

「……止める」

 それでも、言い切ってくれた。

「わかった」

 そう言ってもらえるなら、とりあえずは大丈夫だろうか。

「そもそも、警察じゃ手が出せないから一般人に頼みたいなんてのが常軌じょうきいっしてるんだ。そんな程度の低いものにエナが協力する義理はない」

 ひとまず、エナは頷いた。でも、五十嵐というのはどうにも狡猾こうかつな人だという印象がある。油断すれば、きっと巻き込まれてしまうだろう。


「一応、卒業までは放っといてくれるみたいだけど……。2月の終わり頃には、卒業できるかどうかが確定するはずなの。問題はそのあとだと思う」

 お茶を一口飲んでから伝えた。

「私ね、卒業後にはまた歌舞伎町に戻るつもりでいる」

 ケイの眉間にわずかにシワが寄る。

「あんなただれた街からは早く離れた方がいい」

「お金ないもん」

 ケイは黙り込んだ。リアクションしにくいことを言ってしまったのは申し訳ない。でも、それがエナにとっての厳然たる現実だ。

「入院中に色々考えたの。私には両親がいない、妹もいなくなった。これからは1人で生きていかなきゃならない。一般の会社に入るとか、高校に就職先を紹介してもらうとか、選べる道はいくつもあるけど……それでも、どうしても歌舞伎町は効率がいい。それに、私は夜の仕事にも慣れてるし」

「だが、それは……」

 賛成しがたいといった表情だ。言いたいことはよく分かる。

「看護学校を」

 だから意を決して言った。

「今後、看護学校に入ることを、視野に入れているの。1年後でも、2年後でもいい。その頃までに違う道が見つかるかもしれないけれど。いつか進学するなら、まとまったお金が必要だから」


 看護師になりたいという夢を、自分は捨てかけていた。家族を支えるギリギリの毎日の中で、自分の目指す道はすっかり後回しになってしまっていた。

 だけど、ケイの部屋で腕の傷を手当した夜、夢のことを不意に思い出した。入院先の担当看護師の優しさに触れて、なりたいという気持ちがますます深まった。その夢を目指してみる甲斐はあるのではないか、と感じたのだ。

「そうか」

 ケイは少しだけ目を細めた。この人は時々、こういう優しい表情をする。

「そういうことなら、歌舞伎町に長々と居着かずに期限を切るとか、働き方をキッチリ自己管理するとか」

 随分神経質なことを言われている気がする。それだけ心配してくれているのかもしれない。

「とにかく、ズルズルとあの街に取り込まれるな。闇に飛び込むな」

 そういえば入院中にも、そんなことを言われた。

「うん、分かってる」

心配してくれる人がいるのなら、ちゃんとしなきゃな。そう思った。


「ああ」

 ケイが、ふと思い出したように言った。

「エナが手当てしていった腕だが、一応傷はふさがった。傷跡はまだ真っ赤だが、化膿は避けられた」

「わ!ホント?」

 嬉しくなってしまって、思わず微笑む。

「エナの傷だって一応は塞がっただろう。オレはそれより前に怪我をしたんだから、塞がっていて当然だ」

「だって病院行ってないじゃない」

 エナの傷は病院で丁寧に治療してもらった。今後も何度か通院する必要があるし、傷を治すための薬も塗らなきゃならない。そういうプロセスをすっ飛ばして自力で強引に怪我を治そうとするなんて、正気じゃないとエナは思う。

「……ねぇ。見たい」

 自分が手当てした怪我がどんな風になったのか、少し興味が湧いた。だけど、ケイの返事は素気すげないものだった。

「メシ屋で服を脱ぐわけにはいかないだろ」

「そりゃそうか」

 少し残念だった。


「そういえば、退院の書類でケイのフルネームを見たんだけど」

 今日を逃したら聞く機会がないかもしれない。気になることを今のうちに尋ねておくことにした。

「五十嵐のことを五十嵐って呼ぶくせに、自分も五十嵐じゃない」

「あー……」

 ケイは眉間に皺を寄せて、後頭部をがりがりと掻いた。

「事情があって、そういうことになっている」

「まったく分からない説明だわ」

「……とにかく、あれとは赤の他人だ」

 ますます意味が分からない。偶然苗字が一緒だった、と理解すればいいのだろうか。それとも……。

「そうなんだ」

 でも、なんだか話しにくそうだ。あまり突っ込んで聞くのは避けておこう。



 それから、とりとめのない話を少しして、店を出たところでケイと別れた。

 ひとまず、お互いは別々の場所で頑張らなきゃならない。また逢える日に誇りを持って逢えるように、まずは高校卒業を目指そうとエナは決意した。



=私たちはイミテーションジュエルの街を歩く 第一章:終=

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