第16話:五十嵐の要求

「や~!エナちゃん、どうもどうも」

 ケイに連れられてその陽気な見舞い客が訪れたのは、同日の午後のことだ。もう傷はかなり癒えてきた。ベッドの上に起き上がって相対あいたいする。

「はじめまして」

 エナは最初にそう言うと決めていた。はじめましてな訳が無いのだけれど、それでも初対面は初対面だ。

 この男が来た理由は分かっている。エナがケイに対して、『入院費を支払ってくれたのなら、私がお見舞いを拒否するのはかえって失礼なんじゃないの?』と言ったからだ。五十嵐に対しては思うところもあるけれど、しっかりとお礼は言っておきたい。


「あの、五十嵐さん」

 ベッドサイドの椅子に座り込んだ五十嵐に向かって、話しかけた。お見舞いの定位置である椅子を取られたケイは、窓側の壁にそっと寄りかかる。

「はいはい?」

「入院の、お金を、支払ってくれたというのは本当ですか?」

「うん、それは構わないんだ。で」

「ありがとうございます」

 さえぎるようにお礼を言った。

「うん。でね。その代わりに、エナちゃんに相談したいことがあってね」

 察した。ああ、やはり単なる善意ではなかったか。

 それはそうだ。こんな因果な街で警察官なんて仕事をしている男だ、一筋縄でいくはずがない。こういう人間が、顔を合わせたこともない他人を慈善事業のように助けるわけがないのだ。


「そういうことでしたら、支払いは、してもらわなくても」

「いやいや、もう払っちゃったもん」

「じゃあ、あとから五十嵐さんに直接お返しします」

「いらないよぉ。お金もらっても困るし」

 さっきから彼はヘラヘラと笑い続けている。掴みどころのない男だ。

「相談って言っても、一方的に何かをお願いしようって訳じゃないんだよ。これはある意味でエナちゃん自身のためでもある。それに、ケイを助けるって意味合いもある」

 なんだか嫌な言い方だな、と思った。そういう風に言われたら、詳しく聞かないわけにはいかなくなってしまう。

「警察は今、守屋亜実を取り調べている。並行して、薬物依存の治療も始まっている」

 急に、アミの近況を教えてくれた。この人はアミの状況をどれだけ知っているのだろう。尋ねれば尋ねた分だけ教えてくれるだろうか。それとも、警察組織の守秘義務とかの兼ね合いで、何も教えてくれないだろうか。

「でもあの子、意外と何も知らないんだよね」

「何も、とは?」

 エナは首を傾げながら問いかける。

「事件の中心人物みたいな扱いだったのに、蓋を開けてみればあの子、蚊帳の外なんだよね。何の情報も与えられず、末端でただクスリの仲介やってただけみたい。その割に名前だけが独り歩きして。まあ、独り歩きしたのはエナちゃんの名前なんだけどね」


 エナは軽くこめかみを押さえてうつむいた。自分の名前が流布るふしているのはやはり気が重い。それでも、何か大きな組織の中で都合良く使われ、尻尾切りのようにポイと捨てられたアミはなんだか哀れだな、と思った。

「というわけで、引き続きトー横のクスリ関係の捜査を続けたいんだよね。エナちゃんにも手伝ってほしくて……」

「駄目だ」

 横槍よこやりが入った。それまで黙って様子をうかがっていたケイが初めて声を発したのだった。

「退院したからと言って傷が完治したわけじゃない。まだ、歩くだけで一苦労のはずだ。体力だって落ちている。そこにお前の手伝いまでさせるのはオーバーワークだ」

「怪我しててもケイは走り回るじゃん」

 五十嵐がすかさず反論したが、ケイは首を横に振る。

「オレのようなのと、こういう」

 ケイは親指でベッドの方を指す。

ほそちっちゃいのを一緒にするな。だいたいオレだって毎回無理してるんだ」

 細ちっちゃいとか言われてしまった。これでも身長は160cmあるんだけど。


「エナは、高校をどうするか考えたのか?」

 壁際から質問が飛んでくる。

「高校か……」

 学校の方へはひとまず、病院を通じて連絡してもらっている。あとは、エナの考え次第だ。

「そう、ね。高校は行くつもり。卒業する」

 エナも入院期間中に、今後の身の振り方をよく考えた。

 入院期間が年末年始休業にかかったから、欠席日数が跳ね上がっているという心配はない。しっかり通えば卒業自体は不可能ではないはずだ。妹のことがあったから、何か悪い噂が回ってしまっているかもしれない。それでも、耐えなければならないのはほんの2ヶ月ほどだろう。だから、なんとか高校に通って、高卒というカードだけは得ておこうと決めたのだ。

「そういうことだ。体をかばいながら高校に行って、さらにお前の手伝いができるわけがないだろう」

 五十嵐はケイの顔をじっと見る。目が笑っていない。

「最近は反論が増えたよね―……」

 ケイは答えず、五十嵐をジロリとにらみ返した。なんだか少し険悪だ。その間に挟まれて、一体どうしろというのだろう。

「まあ、事情は分かった。高校生に向かって『学校に行くな』って言えるわけがないし。じゃあ、傷が癒えて動ける段階で、学校がない土曜日にでも、あらためて潜入捜査をしてよ」

「潜入捜査!?」

 ケイが空中を見つめて大きなため息をついた。


 そんなスパイみたいな真似をどうしてしなければならないんだろう。そもそも、何の技術も知識もない自分に、一体何ができるというのだろう。

「……一般人を巻き込むな」

 狼狽うろたえるエナに代わって、ケイが鋭い声を吐いた。しかし五十嵐は揺るがない。

「だってエナちゃんの名前がトー横に流れちゃってんだから、エナちゃんが行くべきでしょ?」

 なるほど、五十嵐の策略が分かってきた。

 彼は、エナにまだまだ使い道があると見越して、あえて逮捕しなかったに違いない。

 エナが違法店に在籍していたことは状況からも明らかだ。ガサ入れの際、あの店の従業員名簿や勤怠記録は手に入れただろうか。そういう証拠があれば、エナを捕まえるなんて朝飯前なのだろう。エナのやましさを重々承知しながら知らん顔をしている時点でお察しだ。どうやらこの男は相当腹黒いようだ。

 つまり、警戒するに越したことはない。エナはそう判断した。


「あんなすさんだ場所で私の名前が流れてるのは確かに困るんだけど……」

「そう、だからね……」

 五十嵐がなにか言おうとするのを素早く遮った。

「でも私は、薬だとかなんだとか、そういうことを本当に何も知らなかった。それ なのに名前が流れるわ、腹は刺されるわという可哀想な被害者ですよね。ねえ、警察は被害者を助けてくれるんじゃないんですか?」

「そうは言っても、こっちでできることって限られててさぁ」

 そっけない返事が飛んできた。だから、つい言い返してしまった。

「つまり、警察って頼りにならないってこと?」

「なかなか手厳しい」

 五十嵐は「あははは」と声を出して笑った。ちっとも笑い事じゃないんだけどなぁ、とがっかりした。


 この協力要請はできれば断りたい。それがエナの本音だった。

 新宿の裏側に誘い込まれるなんて御免だ。こういう街で一度でも深みにまったら、もう戻ることはできない。アミだってそうだったじゃないか。戦うすべを持たない非力な女に、一体何ができるというのだろう。しかも、自分は刃物で刺されたばかりだ。怖い思いも、痛い思いもしたくない。嫌な目にはもう遭いたくない。

 とはいえ、五十嵐の要請をバッサリ断ってしまうのも得策ではないだろう。相手は『エナをいつでも逮捕できる』というカードを持っている可能性がある。もしもそのカードを切られたら一巻の終わりだ。

 エナは心を落ち着けるために一旦、ため息をつく。それから言った。

「とにかく、私は高校を無事に卒業したいです。出席日数が、ちょっとだけ危ないの。体調のこともあるし、無理はしたくない。もしも歌舞伎町で何かに巻き込まれて停学になったりしたら、本当に困るの」

 そういうことを懇々と伝えて断った。幸いにも、五十嵐はそれ以上無理強いをしてこなかった。

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