超光速航行=異世界転移

「俺はな、『イーロン・マスク』号の初代乗組員さ。もっとも、今この世界で停泊してるあの船そのものじゃないがな」

 言って、店主は笑った。


「……冗談抜きで、あれは。『イーロン・マスク』も『ジェフ・ベゾス』も、欠陥品なのか?」

 ノクが呻く。

「考えようによっては理屈どおりに動いてる成功作だ。ただ単に、超光速航行は必ず片道航行になる理論限界を超えてないってだけでな。俺はあの船で20回ばかり航行したよ。俺の故郷のユニバース、右利き率88パーセント弱の世界には戻れない。それを認めて、超光速航行を辞めた。恒星船に乗ることも、辞めた。退職金でこの店を開いたのさ、この右利き90パーセント世界のトウキョウドームの傍にな」

 店主の話は奇妙だ。

 事実なら「イーロン・マスク」号は就役以来、何十回も係留軌道から姿を消してるはずじゃないのか?


「候補生のお嬢ちゃん、誤解してるな。超光速航行は一瞬で終わる。そして常に時間を遡るタイムトラベルを合わせ行う。停泊を続けてるように見える『イーロン・マスク』はたぶん数千回……もっとかな?他の世界の『イーロン・マスク』と入れ替わってるのさ」

 先回りされた。


「元の世界には戻れない……確かか?」

 タロウが呻くように尋ねる。

「この店の常連客から話聞いてみることだ。俺は統計が取れるほどに話を聞いたぜ」

 言葉が出てこない。ボクだけじゃない、ノクもタロウも同じ様子だ。

 言われた通りに他の客に話を聞くことが、怖い。


「マスターの言うとおりだ。俺は右利きと左効きがイーブンの世界から来た。面白いことに、俺のユニバースでも、俺が経由してきた右利き95パーセント世界でもこの日本やイギリスは左側通行だ。なぜか右側通行の国が圧倒的に多い」

 そんな声が別のテーブルから掛かった。


「話の辻褄が合う」感覚に、震えが走る。

 恒星船実習で「辻褄の合うエラー」をホットサイクル核融合炉制御系が吐いた時の、あの震えとも何かが違う。


「訓練生、お前さんはこの右利き90パーセント世界に生まれ育ちながらも左利き多数世界をあの準決勝で覗き込んだ当事者だ。それで十分なはずだ。卒業配属先は、普通の恒星船にしとくことだ」

 マスターはそう言って発泡エーテルをボクの前にも置いた。

 ノクとタロウはエーテルの代わりにウォッカを注文して、煽り始めた。


「イーブン世界の野球なら、左投手も右投手もイーブン?」

 恐怖を堪えて、隣のテーブルに聞いてみた。

「違うな、お嬢ちゃん。俺の世界でもランナーは反時計方向に回る。つまり左打者が有利だ。左打者5人に右打者4人ってくらいにな。だから、左打者封じのために左投手の方が多い」

 その答えに、ようやく疑問が浮かんだ。


「おかしいよ。なんで平行世界の違いを野球で気づく人間ばかりがこうも集まってるんだい?」

「おいおい、訓練生。現に君はトウキョウドームからその酔いつぶれてる2人と一緒にこの店に来たじゃないか。単にこの店がトウキョウドームの近くにあるから。たぶんそれだけさ。それで十分だろ?」

 頷いて、発泡エーテルを煽る。


 クラクラしてきた。

 ひっくり返る前に、カプセルの前金を払って二階に上がる。


 たぶん恒星船から降ろした中古品だろう。実習船の乗員区画にあるのと同じ、シャロー・スリープカプセルがそこにはあった。

 コールドスリープには及ばない、浅い低温睡眠。これに入って疲労回復するには、エーテルを飲んでおく必要がある。


 キーパッドにタッチしてカプセルに倒れ込む。

 オートロックが掛かるのを聞き、カプセル内温度が下がり始めるのを感じながら起床タイマーをマンチェスターの試合開始に間に合うようにセット。


 そこで気力が尽きた。


 主観的には一瞬で目が覚めた。

 酔いはすっかり醒めている。


 現役では3人目の400勝投手が。オギワラが登板する試合が開始するまであと15分。


 1階に降りると、ノクもタロウも、隣のテーブルの酔客も居なかった。


 マスターも居ない。夜の店番だという店員たち以外には、ボクだけ。


「お店、閉めないのかい?」

 客がボクひとりだというのに店を開けていては赤字だろう。

「他にも起きて来るお客さんがいますからね。それに、この店で観戦しようというお客もそろそろ入り始めますよ」

 それを聞いて、中継配信を良い角度から見れる席を取った。


 スタジアムで言えばバックネット裏の席だ。まあ、ほかの席からでもポータブルビジョンで見れるんだけど。


 マンチェスター複合スタジアムは、今日は野球モードだ。

 本来の所有者であるマンチェスターユナイテッドはなにしろサッカーチームだから、2週間に1回しか試合を開催しない。

 空いている期間を全て芝の養生に充てる贅沢が許されない時代になり、MLBチーム「ユニオンズ」が発足して共有するようになってから200年以上も過ぎている。


 軍楽隊の演奏が終わった。

「ユニオンズ」改め「セブンス」が守備に散った。

 昨年、イギリスのMLBチームとして初となるワールドシリーズ制覇を記念して国王陛下が命名なされたのだ。

 そして今年から、ユニフォームはホームゲームであってもMLBコミッショナーの特別許可を得て「赤基調に7つの縦並び金ボタン」になった。

 とは言っても、さすがに野球の公式ルールを無視しているわけではない。巧みに配色されているが、ホームユニフォームは白の面積の方がわずかに多い。

 金ボタンに見えるのは巧みに配色された黄色の模様に過ぎない。

 けれども、まるで。


「7つ目の近衛歩兵連隊」が野球をやってるように見える。


 前回にユニオンズがワールドシリーズに進んだ時の最若手選手だった、今や唯一の「前回」の存命者による始球式が行われる。

 弧を描いて投じられたボールに、ファイターズの1番打者が型式通りに空振りする。


 球審のコール。公式記録員がスコアブックを広げる。公式統計員の入力が表示される。

 試合開始。


 さすがに複合スタジアムの大半がセブンスの応援に来ているのだろう。

 いかに、今日のファイターズの先発投手が史上初めてのアンダースローの400勝投手にして、ファイターズ選手としてはおよそ100年ぶりに背番号「11」を与えられたオギワラだとは言っても。


 エスカルゴ食らいとジャガイモ食らいの国のチームがそれぞれMLBワールドシリーズを初制覇したのはWW4の直後の混乱期ではある。

 しかし事実として、同じ条件で試合を重ねて奴らは優勝している。それ以来一度も、どちらも優勝どころかワールドシリーズ進出もゼロだけれど。

 それからなんと250年も過ぎて、ようやく昨年。ブリティッシュによるブリティッシュのチームがMLBを制した。

 もうエスカルゴにもジャガイモにも、嫌味を言わせない。


 だからボクもブリティッシュとして、セブンスを応援しよう。


 寝る前に聞いた異様な話は頭から追い出して。

 そう、頭から追い出して!



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イギリス近衛歩兵連隊は21世紀の我々の世界では5個ですが、この世界ではなぜか6個に増えています。非公式ながら7個目もあります(作中に登場)。

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鏡の向こうのベースボール @TFR_BIGMOSA

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